薙刀の母
薙なた・長刀は平安時代からの伝統として受け継がれている。
有名ななぎなた名手は弁慶。京の五条大橋で鞍馬山で修行中の牛若丸から刀を奪ってしまおうとした。それまでに99本の刀を奪ったから牛若丸からの刀が100本に当たる。どうしても奪ってみせると戦いを挑んだ。弁慶は悪いヤッチャなあ。
なぎなたに女子のイメージが強い。武道なぎなたになったのは後に鉄砲が伝えられ空中戦が主流になってしまったからいくさの戦闘用具としては衰退してしまう。弓矢も同様。
それからは武家に嫁ぐ花嫁修行として護身術のひとつがなぎなたとなり江戸時代より婦人の武芸として受け継がれていく。いずれにしても上流階級の身だしなみであることは間違いのないところ。
牛若丸が後に源義経九郎となり兄貴の頼朝に嫌われてしまう。兄の討伐の手から逃げる義経。その義経を奈良県の吉野山でお妾の静御前は自らの舞を披露し兄頼朝軍の目先をくらわしまんまと逃がしてしまう。
「吉野千本桜」
なかなかの見所であり静御前の一生一度の晴れ舞台だ。この舞台にもし静御前がなぎなたの名手ならば舞はやらず長刀をグッと握りしめて敵軍頼朝と果敢に戦いを挑んだであろうなあ。奈良県に行かれたら義経鍋を食べてそんなことを考えてもらいたい。
愛知県総合体育館の第三競技場(武道場)
全日本なぎなた選手権愛知県代表選手権(女子)決勝が行われようとしている。
代表選手は県内の高校・大学・実業団と各大会を勝ち抜いた女子選手たち。
「私やだなあドキドキしている」
決勝を嫌がっているチャコは大学2年。
高校入学から競技なぎなたをやり始めメキメキと実力をつけてきた。祖父が剣道師範で孫チャコも剣道を子供時代からやり有段を所有している。
が高校に入るとなぎなたの存在を知りちょっとした興味から始めた。高校には剣道部がなくなぎなた部に入る。
チャコは始めたらそこは剣道有段の実力。早くもその片鱗を実力として出していく。
高校なぎなたは選手が少ないこともありチャコはすぐに頭角を表す。
「剣道と違ってより優雅な武術かなエヘへ。なんか私にあっているみたい」
高校1年で名古屋地区大会出場まで果たす。やり始めて間がないことで優勝はならないが健闘はした。学校も団体戦で3位になる。チャコひとりが大健闘したと言える。
高校2年。地区優勝は軽くして高校総体出場。学校もチャコ個人も愛知大会は優勝を果たす。インターハイでは学校は団体戦で2回で敗退。
しかしチャコはあれよあれよと個人戦を勝ち進む。ベスト8まであがると優勝候補の山口県代表と当たる。山口は毎年団体優勝していた。
「山口はずっと強いからなあ。インターハイ連覇しているでしょう。江戸時代から勝っているみたい。あーん運悪いなあ。山口県じゃない違う人だったら私勝てるけどなあ」
チャコがボヤクのも無理はない。山口県勢は3連覇の最中。たぶんに相手が悪かった。
試合は3本勝負。2本取れると勝ち。試合早々チャコは裾払いで1本取られてしまう。
「はやあ〜。気がつかない間に取られちゃったあ。強いなあ、強い」
こうなるとチャコでも大怪獣ゴジラでもダメ。気が動転してしまいアッサリ2本取られた。
「あん、嫌なやつ。もう顔も見たくないわあ」
勝った山口県は安倍マリアと言った。チャコと同じ高校2年。
「名前がマリア様でも嫌なヤッチャ」
高校3年。チャコ最終学年は気合いが入る。
「エヘへ気合いは入る入るぅ。だって私なぎなたで大学推薦決めるんですから」
チャコの希望大学はインターハイベスト4か国体ベスト4の成績を考慮するとなっていた。だから愛知大会は軽く優勝してなんとしてもインターハイベスト4を狙う。
「よし!やるぜ」
気合いはちゃんと入るようで愛知大会は学校は団体を優勝する。チャコ個人は優勝を飾る。向かうところ敵なしの強さだった。
「さてインターハイね。頑張って優勝飾るもんね。山口県が邪魔だなあ。当たらないように祈って行きたいわ」
大会の前に熱田神宮で参拝。チャコは真面目に山口県と当たらないようにと願をかけた。
インターハイは学校団体はかなり強さが目立ち決勝まで進む。決勝の相手は山口県。4連覇がかかる強豪だ。
「また山口ね。いい加減勝ち過ぎよ。今年はこっちが勝つ番よ」
チャコは気合いを入れて試合に挑む。5人対戦ルールで3勝したらおしまい。主将はチャコ。学校が団体戦をたいてい3-0か3-1で勝ちあがったから、
「私まで番が回る前に勝負はついてしまってね。出番はないのね。でもさ2-2で主将勝負なんて辛いわよ。勝てるといいけど負けたらおしまいですからね」
決勝戦は愛知2-1山口で副将までやってきた。副将が負けたらチャコが出番の主将勝負になってしまう。
が副将は負けた。副将が負けたその瞬間場内は歓声がワアワアとあがった。流れとしては愛知の3-1で常勝山口が負けたとなるところだった。
「すいませんキャプテン。私が、私が負けたばっかりに。みんなに迷惑をかけてしまいました。勝てる試合でした。本当に、本当にすいません」
副将を務める2年はチャコに頭を下げてそのまま膝から折れ床に泣き崩れた。
副将もチャコと同様に大変強くまた責任感のある娘さんだった。山口の対戦相手には昨年勝っていたし大会の出場選手のランキングからも負ける相手ではなかった。言葉悪く言えば油断をしていたことは明らか。
しかし負けたことは取り返しがつかない。
「ううん副将あなたのせいじゃあないわ。負けたのはあなたが悪いなんてことはないわ。いいわ見ていらっしゃい。このチャコが主将の意地を見せて勝ってやる。打倒山口よ。そんなにいつまでも勝ち名乗りばかりさせておくもんですか。江戸時代から勝っていても平成には負かせやるわ」
チャコは主将の腕章を右にギュと巻き付けた。メラメラと勝利に対する執念がわきあがる。
「副将、見ておきな。いやみんな見ておくれ。私は必ず優勝してやる。例え相手が山口の安倍マリア(高校ランキング1位)であろうとなかろうと。副将の涙は悔しい涙だけどさ、私がそれを優勝の嬉し涙に変えてやる。高校3年の集大成を団体優勝で飾るわ。いざ勝負」
顔つきも変わりチャコは大魔神のごとく競技場に立つ。その姿は祖父剣道練士の血が騒ぐ。
対戦相手安倍マリア。こちらは高校3年無敗。団体も個人も一度も負けたことがなかった。また高校だが全日本なぎなた選手権にも出場をしてベスト4となっていた。
「私は無傷で高校を卒業したいの。なぎなた王国の女王は負けることは許されない」
同じく右手に主将腕章をギュと巻き付け気合いが入る。
競技場はシーンと静まりかえる。今から始まる女の戦いに注目する。
審判は両者を紹介する。選手の名が呼ばれて拍手が沸き上がり一瞬のざわめき。が直ぐに水を打ったように場内は静まりかえる。
「始め!」
開始早々から安倍マリアは得意の裾払いを果敢に攻めてくる。
「またやってきたか。ちゃんと裾はね防御の練習しているの。何回も決めてもらいたくないわ」
チャコも防御だけでなく手数を出して激しい攻め合いが続く。試合は3分3本勝負。しかし両者決め手を欠いて時間切れ。
「延長!」
チャコも相手の安倍も精も魂も使い肩でゼイゼイ息をする。
延長戦の前休憩に副将が、
「頑張ってください。頑張ってください」
観客席から大声援を送る。主将チャコにはちゃんと届く。
「ああ頑張ってやるさ。副将のためにも。ちくしょうアノヤロー。裾払いが得意だからさ、裾を気にしてばかりで私のペースが掻き乱れてしまったわ」
チャコは悔しさを前面に出す。なんとか裾払いを防ぎながら攻撃できないか考える。
「なぎなたが下がるんだから。頭が留守になるんだから」
チャコはパッと立ち上がる。なぎなたをしっかり握りしめた。そして右手主将腕章を軽く触り、
「主将はね勝つから主将と言えるのよ。勝つために私は将をやっているの。負けることは嫌なこと」
最高の集中力を込めチャコは競技場に一礼をした。
「これより延長戦。1本勝負。よいか、始め!」
延長は始まる。来た来た!安倍は得意の裾払いに来た。頭が頭が、
「留守になった〜」
チャコは無心に留守の面を取りにいく。チャコが面を取らなければ裾払いが1本だ。一瞬にして勝負はついた。
審判の旗は?館内はさらに静まりこの同士打ちの結果が見たかった。
チャコの面1本、安倍裾払い1本。3人の審判の旗はサアッとあがった。
赤・赤・赤!赤旗が3本。
観客席の中、副将が跳びあがった。
「ヤッタア〜!チャコ先輩勝ったぁ」
両手を高々と上げ副将はまたまた泣き出した。
安倍は得意の裾払いが決まって勝利を確信していた。赤の3本判定にはかなり不服だった。膝をついてそのまま身動きができなかった。腰が抜けた状態のまま。高校の仲間が手を貸して始めて立ち上がることができた。
チャコは。勝者のチャコはどうしたか。
「私が勝ったの?面が決まって勝ったの。裾払いは決められてしまったのよ。私が勝ちなの、そう」
茫然としてチャコは勝ち名乗りを受ける。そのままその場に失神してしまう。極度の緊張が体力を消耗させていた。
団体戦は優勝をする。しかし個人戦はチャコは棄権。失神して顔色が悪いためドクターに診察してもらい貧血と診断された。
結局個人戦は副将がチャコの代わりに出場してベスト8だった。
春にチャコは大学に進学する。インターハイ成績は団体戦の優勝が認められて推薦入学となった。
「ヤッタァ。よかったわあ。私も女子大生よ」
大学のチャコは全日本愛知県予選大会は初出場初優勝を果たす。優勝はチャコ自身が一番驚いた。
「まさか勝つとはね。本当にそう思います。ラッキー」
年がかわりこの大会。チャコは決勝まで危なげなく勝ち抜き2連覇が目の前にぶら下がる。
この連覇というプレッシャーと戦うチャコはなんともいえない感じだった。
「そうなのよ。2連覇がかかってね。昨日からなんでか落ち着かないのよ。またね決勝の相手がさ。もう〜顔見るだけでも嫌ぁ〜の強敵安倍マリアだから。高校時代あんなに強いんだから。昨年は運がよくてね、準決勝でコテンと負けちゃってくれて。お陰さまで対戦しないで、私優勝できたわ。でも今年はダメだわあ。対戦相手だもんなあ。なんせ強いことは高校からかわりないからなあ。負けちゃうなあ」
チャコはかなり弱きであった。
対戦相手安倍マリアは山口県から名古屋の中京大学に進学していた。
「やっと決勝まで辿りついたというところね。昨年は準決勝敗退だからちょっと進歩したかなと言えるけど」
昨年の敗退はかなり悔しくベスト4の負けで悔しい涙がこぼれ落ちたことを思い出す。同時に高校時代から出場していた全日本なぎなた選手権出場も断念した。
「敗退は油断だったわ。一瞬の隙を突かれたわけだから。どうもこれ私の欠点みたい」
欠点克服に注意を払いすぐさま稽古に励む。
「私の夢はこんな県大会でないの、全日本選手権なの。日本一の勲章が欲しいの」
昼過ぎから県大会決勝が始まった。観客はまばらなものだが嬉しいことに皆さん熱心になぎなたを見ていてくださった。
「決勝のふたりは同じ歳で確か高校からのライバルだろ?面白いじゃないか」
審判が両者を第三競技道場中央で呼ぶ。
観客からは頑張って、頑張ってと声援が飛びかう。決勝の雰囲気は最高潮に盛り上がっていく。
審判が両者を呼び
「これより決勝3本勝負を行う。はじめ!」
ヤァー、タァ〜
私、夢中でなぎなた振ったの。もう構えがどうの、気合い、タイミングが、どうのは、勝負のかかっている一瞬には、スコーンと、飛んでしまった。
よそ見していたらアッ痛っやられた。
「1本。それまで」
「アッヤばっ一本取られちゃった。もう、後がない。せっかく、決勝まで来て、負けちゃうなんて悔しい」
観客からは、頑張って頑張っての声援が飛びかう。両者は集中していく。
審判の手がサァと上がり二本目の勝負に入る。
「はじめ!」
「後がないと思って私は開き直り。ええぃもうどうでもいいや。そう思ったら、急に、力みがちな体が、スムースに動き出して」
目をつむって、エイ!
なぎなたをまっすぐに出したら。面が入った。
「一本!それまで」
やった決まりました。1-1ね。
取られた安倍マリアは、
「し、しまった。一瞬の隙を突かれたら私の負けだわ。もっと集中していかないといけない。負けるのは嫌。絶対に嫌なの」
安倍はかなり体が固く緊張しているのが傍目からも感じられていた。
「この一本が勝負の流れを私に呼び込んだ」
逆にチャコはリラックスしていく。基本的にあまり深刻な考えをもたないおおらかな性格だった。
イーブンに戻したことと相手が緊張をしてくれたことから3本目はあっけなく決着がつく。
チャコの得意技のひとつ上段構えからの突き。
えい!
「一本!それまで」
高々と審判の旗はあがりチャコに勝者を示す。
「決まりだあ優勝決定だあ」
小踊りするチャコ。場内はわれんばかりの拍手だった。
「決まったあ決めたわ。優勝よ、バンザーイ!嬉しいわ、嬉しい」
対戦相手安倍マリアは力なくヘナへなとしゃがみこんでしまう。防げれた上段構えだっただけに悔しく感じられたのだ。対照的な決着シーンとなった。
「負けたわ、負け。悔しく思います、確かにね。実力の差ね。でも来年があるから。県大会優勝は来年の目標として稽古して出直したいわ」
チャコは県大会2連覇達成。早速、大学でおめでとうの祝賀会開催されて私は最高の気分。祝賀会のスピーチあまりに嬉しいものだから、
「来年は3連覇達成しましょう。やるっきゃあない。なんて言っていたわ。あらあら自分が恐ぁ〜い」
2連覇を果たした女子大生チャコ。大学なぎなた部のエースになった。
「なぎなたが私の青春そのものなの」
県大会優勝して全日本なぎなた選手権出場をする。
「あらごめんなさい。全日本はレベルが高い高いのよ。2回勝てたら嬉しいくらいかなアハハ」
あっという間に全日本は敗退した。
チャコは県大会と全日本選手権を終えて休みを取る。
「気分を変えてみたいからね。どっか旅行行きたいなあ」
その旅行先で素敵なラブロマンス。とある男性と知り会う。最初は気楽な知人友人関係だったがお互いメールのやりとりをしながら親しくなり恋に発展する。
「フィーリングが合うんだなあ」
その彼は商社マンだった。忙しくあっちこっち飛び回る生活だがたまたま旅行でチャコと知り合いメール交換をする。まったくの偶然であった。
商社マンの彼はニューヨーク勤務を希望していた。勤務評価をあげ上司から希望を叶えてやろうと最近言われていた。昇進であった。
ニューヨーク勤務は5年契約。
5年後は帰国かと言えば違う。そのままアメリカ勤務を経て立身出世が待つ。当然これもご本人の希望である。
「ニューヨーク勤務5年は独身では行きたくはない」
あららじゃあ。
「そうなのだ。チャコにプロポーズして一緒について来てもらう。僕の人生設計にあの純真おとなしいチャコはなくてはならない女性になっている。運命の出会いだったんだからドラマチックに結婚したい」
チャコは純真でおとなしい女らしい。運命は感じる。
誰が決めたんかな?
普段はメールでたわいもないやりとりする。
でもチャコは今夜は彼氏にデートのお誘いを受けた。ホテルでお食事をしたいと。
「彼氏とはたまにしか会わないから会えると思うとたまらなく、いとおしいわ。おおチャコの王子さま、大好きよっ、なんちゃって」
当日はチャコ朝からしっかりオメカシをする。美容院にエステ。さらに意を決して夕飯のどんぶり飯はやめた。
「ふぅーだ」
オメカシの衣裳はお気に入りの白いブラウスね。それとちょっと短めのスカートよ、えへへ。
「スカートはいつもまずはかないからなあ。はきなれていないなあ。袴だったらバッチリだけどさ」
下着はどれにする。下着は出かける時に新しいピンクをはくわ。
「だってねぇ。いいでしょ、個人の好みなんだから。もしもがあるわさ」
チャコはパンツのゴムをよいしょとたくしあげた。
約束のホテルのフロアで待ち合わせたふたりだった。
「お待ちになりました?」
チャコには幸せの時間がムード満点で訪れた。
「いや待たない。僕も今来たばかりだ」
仲良くふたりは手を取り合い久しぶりの再会を喜びあう。恋人たちにはお似合いのホテルのレストラン&ラウンジだった。
チャコは愉しい時間に酔いすっかり彼氏にとろけてしまう。メロメロになりました。
「今かな、よーし。勇気を出して話を切り出してやろう。おーし!プロポーズするぞ」
彼氏はチャコにちょっと聞いてくれとイントロを出す。
「チャコ、君に言いたいことがあるんだ」
手短に彼氏はニューヨーク勤務のことから切り出す。ひとつ、ひとつ、チャコの顔を伺う。
(よし、この調子ならば彼女も受けるであろう)
「チャコ僕について来てほしい。君が好きだ。結婚してほしい。ニューヨークはチャコと行きたいんだ」
プロポーズを言われたチャコ。
驚きのあまり口をポカーン!
「なっ、なんて私は幸せな女なの。大好きな彼からプロポーズを受けるだなんて」
ポォーとなってしまった。が答えた。
「ハイ、私でよければ」
蚊のナクような小さな声だった。
プロポーズを受けたとなると挙式の準備はトントン拍子に進む。なんせニューヨーク勤務は決まっているから急がなければ。
チャコの両親は、
「こんな娘をもらって貰えるなんて。嘘じゃないだろうか」
と喜んでいた。
結納の日取り結婚式場チャコの大学卒業見込みのメド。すべてが彼女の彼女の思う通りに進むものだった。
「そうよ私はなんて幸せな女なのかしら。このまま結婚し彼の子供が生まれ明るい家庭が築かれていくのよ。あーあ、幸せ。夢じゃあないかしら、ちょっとホッペ、ツネッタリして。アッ痛た、痛いなあ。わあーい現実だあ」
式場の手配と式の日取りも決まりチャコはフッと我にかえる。
「ウン?」
結婚式の日取りを見て我に返った。
「日にち。あらっ結婚式の日。なんか私とても大事な出来事があったような気がする。なんだっけ?アッん〜ガァ〜」
思い出して思わず椅子からステーンところげ落ちてしまう。
県なぎなた選手権の日であった。
学生生活もあとわずかとなる。チャコには卒業見込みが出た。
後は結婚式が間近に迫り愉しいものではあったが。
「あかんなあ結婚式と県大会日が一緒だなんて。大会雨で順延になんないかな。大怪獣ゴジラが出て県体育館だけ壊してくれないかな」
なんで延期?室内体育館開催だぞ。ゴジラはチャコじゃあないか。
「そうだね、そうだった。フぅ〜。あの後ろのそれナンナン?」
なぎなた部の練習チャコ心なしか気が入らないものとなる。
「県の決勝まで行かなければいいか。予選で敗退したら県大会の体育館までいかないで済むわ。結婚式だけ出ていいわけだ」
大学の道場のチャコはそんなことかこんなことかとまだまだ悩んでいた。
「ラジオのテレホン相談に、相談したろうかな」
年は明け県なぎなた選手権の予選は始まった。大会2連覇のチャコは予選はシードをされていた。またスポーツ新聞にはでっかく3連覇の意気込みをと書き立てられていた。
優勝候補チャコそれでも手を抜いてさては予選シード敗退かな?
「いえいえ、気合い充分ですから。心・技・体とより一層みなぎりまったく危なげない試合をして勝ち抜いていくつもり」
予選シードのチャコ難無く勝つ。県なぎなた選手権本戦大会出場決定。
「あちゃあ」
おめでとうチャコ。これで県なぎなた選手権3連覇も夢じゃあなくなった。大学友人から祝福を受けてしまう。
「アンガと。だけどサ」
チャコは複雑だった。彼氏には将来の旦那様でもなぎなたをやっていることは言ってなかった。
「できたらこのままわからないで、隠したままお嫁に行きたいの」
女ごころは溜め息を漏らした。
県なぎなた選手権大会が近くになるにつれチャコは焦る。大会か結婚式か。
「どうしょかな。朝なぎなたやって夜は挙式だけどさあ。あーん、朝から美容院着付け行かないといけない。美容院・なぎなた・挙式の順番でいいかな。はてはてなにが悪いのかな」
夢に見たのは朝チャコ車で美容院に行く。髪結いの着付けのままひょいっと、県なぎなた大会出場。スコッと優勝をして何食わぬ顔をして挙式会場へ行く。
「あら間に合ったわ」
夢の中の司会者は、
「では続きまして新婦のお友達を代表いたしまして、なぎなた連盟理事の」
ガバッ真夜中でもパッと目が覚めてしまう。
「なぎなたはまずいわあ」
また違う夜は県なぎなた選手権準決勝を勝ち上がり、
「やれやれ次は決勝ね」
と控えの間をみたら
「チャコよくやった。えらいぜ」
とフィアンセが県なぎなた会場でタオルを渡してくれた。
「ぐぁあ」
またまた起きてしまった。
結婚式・県なぎなた大会と数日に差し迫ったある日。
チャコは道場で稽古の集中力のないことを師範に咎められる。
「どうした?チャコちっとも気合い入ってないぞ」
チャコ本人はちゃんとやっているつもりだったからこの一言にカチンッときてしまう。
「いいでしょ。どうせ私の実力なんてこんなもんだわ。ほっといて頂戴」
道場いっぱい響きわたるくらいの不平の大声を出す。さらにチャコ怒鳴ってそのまま帰ってしまう。
「へぇ〜んだ。面白くないやあ、帰る、帰る。あたいは帰ってしまいます」
なぎなたを乱暴に投げつけ手荒にロッカールームに消えた。道場は暗い雰囲気に包まれた。
「ああつまんないわ。早く帰えろ。もう、なぎなんて嫌。第一ねフィアンセになぎやってること言い出せないじゃないの。ぶぅーぶぅー。フゥーだ」
口を尖らすチャコ。ホッペ膨らますチャコは泉ピン子みたいになった。よく似ていた。
そんなイライラしたチャコにロッカールームの陰から声をかける女がいた。
「チャコさん」
チャコは口を尖らしてピン子かひょっとこか。ヒョイと声の方を振り向く。
女はチャコのライバル安倍マリアだった。
「チャコさんずいぶんゴキゲン斜めね。私大変な時に来ちゃったかなあ」
ライバル安倍は県大会はお互い決勝で対決しましょうと激励を言いに来た。
さらには。
「ご結婚されるんでしょ」
チャコの耳にまわりからの噂は入って来はしなかったが、選手たちの間では結婚式のことは広まっていた。挙式と大会日が重なっていることはすでに公になっており、どうするのかと、話題であった。
当然に県大会は辞退だろうと言われていた。だからライバルが辞退はやめてもらいたいとチャコを訪ねたのだ。
「あなたと対戦して優勝をしたいわ、私。でもチャコさん、その様子じゃあ、例え、大会に出場しても勝ち進めないわ」
ライバルの優しい言葉だった。が、虫の居所が悪いチャコは、ピン子のようにきつく、
「いいでしょ。勝ち進むか進めないかなんて。私の実力なんだから。勝てなくて負けてしまおうが関係ないわ。あなたにはまったく関係ないことでしょ。イ〜ダ」
明らかに悪意を持った言い方だった。
「関係ないなんて酷いわ。優勝はね強いものが強いものを倒して得る栄光よ。あなたは2連覇している。私は無冠。あなたが出場しなければ私は強くないけど優勝したと言われるわ。そんなのつまんないじゃあないの。あなたは出て私に負けるべきだわ」
チャコ、余計にイライラしてしまう。
「だったら、だったら、私は、どうすればいいの。ええ私が出場したら勝ちますわ。勝ちますとも。私は2連覇している強いチャンピオン。あなたなんかに意地でも負けたくないわ」
チャコは強くいい放つ。
「それはどうかな?それは言い過ぎよ。あなたは謝るべきだわ」
ロッカールームのふたりはいつまでも平行線のままであった。挙げ句チャコは怒鳴り、
「うるさいわ。もう帰って、帰って」
荒々しくロッカールームのドアは閉められた。
春めいて来た新春の大安吉日がやってきた。
チャコは早起きし美容院に着付けを急ぐ。今日は目出度い挙式の日。
天気もよく青空が広がっていた。
チャコは美容院の着付けの最中ちょっと下を向いた瞬間涙がひとしずく自然とこぼれ落ちてしまう。誰かに気が付かれたら恥ずかしいなあとそっと涙はハンケチで拭く。
「今頃ね大会受付が始まったわ。ウチの後輩ちゃんと勝ち進むかしら。結構チームの選手の層は厚いはずだから、行けると思う。先輩としては優勝を期待したいな」
美容院の着付けが手間の通りに進む。チャコは花嫁姿になっていく。涙は化粧には問題であった。
「部長は怒っているだろうなあ。昨夜遅く出場辞退を電話しただけだもんなあ」
着付けは順調に終わりチャコは綺麗な花嫁に生まれ変わる。化粧をしたからなるべく泣かないようにと美容師に言われた。
昼からの挙式は華やかにまた厳かに行われた。ただ不思議だったのはチャコの在学の大学からひとりも招待をされていないことだった。
式は滞りなく進む。最後にフィナーレのご両親に花束贈呈となっていく。これが済めば式はお開きとなりチャコたちは新婚旅行に旅立つだけだった。
花束を手に持ちチャコは目に涙をいっぱい溜め両親に育ててくれた感謝をあらわす。挙式は最後フィナーレ花束贈呈となる。
式場の司会者が、
「皆さま長い時間ご苦労さまでした。これにて」
最後のプログラムだと知らせた。花嫁チャコも泣きながらハンケチで目を押さえ、
「ああ式はこれで無事に終わるのね」
とほっとする。
が。
司会者は様子がおかしかった。なにやら新郎を手招きをしてヒソヒソと耳打ちをする。まるで生中継の番組に臨時ニュースが飛込んだ模様だった。
司会者は耳打ちされた後、
「皆さん最後に。そ、最後に。とてもハッピーな知らせがございます」
司会者はマイクを新郎に預けた。新郎はニッコリ笑い新婦に語りかけた。マイクを突きだし、
「チャコ」
新郎はひとつ新婦を呼ぶ。
「こちらをご覧なさい」
ふたつ言われてチャコは驚いて振り向く。
新郎は大広間の扉の前にたどり着き今開けますよとスポットライトを浴びる。場内はザワザワする。なにが余興が始まるのかと話題になっていく。
新郎はマイクを握り直す。
「チャコよくお聞き。君がいなくても。そうだ君が出場しなくとも。優勝したよ」
BGMは高らかに響きわたり扉はゆっくりと開けられていく。外光が眩しくなにがあるのかよくわからなかった。
次の瞬間新婦のチャコは息を飲んだ。
決して見てはいけないものがそこにはあった。
「みんないいかしら?せーいの」
県なぎなた選手権の出場選手全員が声を揃えた。
「チャコさ〜ん。結婚おめでとうございます。私達は嬉しいでーす」
全選手とよく見たら役員や観客席のなぎなたファンも紛れていた。鳴りやまない拍手は式場いっぱいに響く。
新婦チャコは血が逆流したかと思うくらい頭がクラクラ。思わず下を向いて黙ってしまった。口唇はギュッと噛まれていた。
式場を後にし新婚旅行のため空港に向かうチャコたちふたりだった。
すっかりしょげてしまったチャコ、
「ああ、なぎ、ばれちゃった。この歳で私離婚されるんだわ。なんでみんな揃って式に来るのよ」
ずっとうつ向いたまま顔をあげない。いやあげたくなかった。
機内に落ち着くと新郎はチャコにどうチョコレート食べないかと指し出す。
「チャコ食べない?凄いね君の後輩たち優勝したんだよ。県なぎなた選手権団体戦。よかったなあ優勝できて。幸せなこと名誉なことさ。実はね俺の母もなぎなたやるんだ。故人の祖父が剣道師範だったからね。ひとり娘の母も剣道をやってた。有段らしい。それが高校に入ってなぎなたに出会い転向さ。かなり強かったらしい。で母は親父と結婚する時に女だてらになぎなたは恥ずかしいわ。と思って一生懸命隠したらしい。ハハ、アッハハ、アッハハ」
新郎は大笑いをする。また携帯のメール着信ありをチャコに見せる。メールは義理の母からだ。
「チャコさん。帰国されたら段取り稽古のお相手。手柔らかにお願いしますわ。私も久しぶりになぎを持ちますから緊張いたします」
チャコはメールを読み終えたら笑顔が戻った。新郎の手を握り顔を胸に埋める。
「この人に巡り会えて私は幸せなんだわ」
新郎は手をグイッと引き寄せて、
「チャコ、君がこれから僕の奥さんなんだ。幸せになろうな」
新郎の口唇がチャコの頬にチュとした。
3連覇達成!おめでとうチャコ。
※姑のなぎなたは県大会レベルでなく全日本選手権。新婚さんのチャコは幸せな毎日。アメリカはニューヨークに住むことになる。商社マンの夫は5年の間にそれなりの業績を出してその後の昇進を決定づけたいと張り切る。
一方新婦のチャコ。アメリカは英語に戸惑うが、
「最初はなにを言っているかわからなかったんだけど毎日スーパーやレジデンスで英語を聞いているうちにちょっとずつ理解できるようになったわ」
適応性に優れた女チャコであった。
新婚さんはふたりだけの甘い生活と異郷の地ニューヨークとに慣れたらもう我が庭も同然となり生活も楽になっていく。
「右も左もわかんなかったけどね。レジデンスには同じ商社の方も住んでいらっしてコミュニケーションをはかられているの。まあ日本が恋しいの気分はかなら癒されてはいるの」
また部屋にはインターネットがあるから毎日日本のニュースは簡単にチェックできた。
そうそう義理の母親・姑さんはどうされたか。義理の母親は静岡の自宅で独り身で暮らす。父親は癌で他界していた。
母親はなぎなたの名手。出身地山口県は江戸時代から続く武家の家系に産まれた。実家は兄夫婦が跡を継ぎさらに世代交代がなされようかとしていた。
「そうなの。義母さまは山口県の武家出身だったのね。父上さまが剣道師範だった。うん?師範?何年生まれかしら。チャコの祖父も師範だったからね。まあ愛知と山口県では交流もないだろうけど」
祖父同士が世代がほぼ同じだと後にわかる。
「あちゃあ。剣道の師範って日本に数えるほどしかいないのよ。ひょっとしてふたりは手合いをしているかな」
チャコ、リビングのインターネットにデンと座り検索してみた。
チャコ祖父名と旦那の祖父名を入れてyahoo!した。
「ワアッあったわ。チャコのじいちゃん。えっと大正の神宮剣道大会(全日本剣道選手権の前身大会)で対戦しているわあ」
驚いたのなんの。両者は決勝で戦いチャコ祖父が面で勝ち名乗り。祖父も面は得意だったようだ。
旦那が帰ってきたら早速ふたりでインターネットを見て見る。
「へぇーそんな関係があったんか。大正時代だから大会は明治神宮ぐらいしかサイトにないので残念だなあ。たぶんだが個人でもまた団体戦でも練士なら対決をされているはずだ。よしちょっと検索をかけてみるか」
両者の出身地、旧制中。ありとあらゆる剣道情報で探ってみた。
「山口県と愛知だからどうも全日本クラスにならないと対決はないね」
旧制中の戦績は両者見事なものだった。お互い主将を務め優勝をしている。ただ旧制中は野球の甲子園みたいな全国大会はずっと後のようで出会いはなかった。
「チャコこれはちょっと面白いな。ついでだ俺の母親のなぎなたを見てやるかな。女学校時代に全日本だったと聞いている」
あらっ義母さまは強いわ。なぎなた王国山口県ですから。
「サイト見たら全日本には出場はしているな。あら4.5.6回も出ているや。なんだ母さん結婚してからもミセスで出場か。たいしたもんだ」
経歴を見たら娘時代3回。ミセス3回だった。
「さすがは義母さまね。ミセスで出場となると子供を産んでもなぎなたをやっていたのかな」
とここまでチャコと旦那はサイト検索をして母親がなぎなたの名手だと改めて確認をする。それともうひとつ。
「義母さまは旧姓が安倍さんだ。安倍総理大臣と一緒」
旦那が言うには山口県安倍姓がかなりあるらしい。総理大臣とは無関係だとキッパリ。
「関係ないよ、残念ながらアッハハ」
チャコは安倍姓を知りふとライバルだった安倍マリアを思い出す。
「山口の安倍マリアさん。大学卒業をして山口に帰って行ったかな」
サイトで全日本出場名簿を検索してみた。最新の大会に、
「あっ出場しているわ。ベスト8か」
いかに強いあの安倍マリアでも全日本だけは壁が厚く優勝までにはいたらなかった。肩書きは山口県教員になっていた。
この祖父の剣道とチャコのなぎなたは同じレジデンスの商社の方にすぐに知れわたる。
「チャコの奥さま。なぎなたをやられているんですか。全日本クラスですの。ヒェーお強いわねぇ」
商社そのものにもすぐにわかったら、
「おいチャコ。商社のさビルに柔道の道場があるんだけどさ。お前あの道場でなぎなたを教えてくれないか。今日部長に頼まれたんだ」
チャコはすでにレジデンスの話題の主になる。
なぎなた教室は日本からなぎなたを数本送ってもらいチャコを師範に始まった。生徒さんは商社レジデンスの奥さま連中。このなぎなたはやり始めたらかなりノメリ込むようで生徒さんの数は増えていった。剣道や柔道と違って優雅さがある。また武家の子女のたしなみの面があるため礼儀作法も身についていく。
「チャコ師範さん。いかがでしょうか。アメリカ人も教えてみたら」
こうして青い目の弟子も迎えた。チャコの英語程度で充分に指導は出来た。
「これだけ生徒さんが増えると教えるのも大変だわ」
チャコふと旦那に漏らしてしまう。
「よしわかった。お袋をニューヨークに呼んでやる。二人で師範をやれば大丈夫だろう」
旦那はメールを静岡の母親に送る。
「お袋はねアメリカは外国だから嫌だというだけどね。しかし嫁のチャコとなぎなたができるとなれば話は別だろう。チャコいいねお袋をニューヨークに呼んで一緒に暮らすよ」
そっ別だった。義母からは早く航空チケットを一枚送ってちょうだいと返信があった。
義理母を交えての3人の生活がスタートする。嫁チャコは毎日緊張の連続である。料理洗濯掃除。それまで適当にやっていたから、
「ヒャアーさすがに姑さんがいると神経使って大変だわ。痩せたかなあ」
楽しみながら体重計にポン。あら増えてました。
「ショックだわ」
なぎなた道場は姑が師範になり嫁チャコはサブに回った。この嫁姑のなぎなたの腕前がまた凄かった。姑は30年前とは言え全日本クラス。嫁は昨年まで愛知県大会優勝の実力。年齢からしても現役とは変わらない。
「凄い嫁姑ですわね」
凄い凄いが生徒達の中で大きくなり、
「真剣勝負はどっちが強いかな」
白黒をつけたくなっていた。
「まあっ、私がウチの嫁と勝負ですか?オホホ若さには勝てませんわ」
商社レジデンスは傑出した師範と副師範、嫁姑の勝負がなぜか見たくなっていく。
「エッ姑と対決するの?もう勘弁してよ。ただでさえ毎日お三度であれこれ言われヘトヘトな私。なぎでも勝てません。あのなぎ捌きは神業だから」
姑がニューヨークに移り住みその年の暮れがやってくる。嫁のチャコは大丈夫姑に慣れてはきたようでたまに隠れて息抜きをする。
「フゥ〜。義母は悪い人ではないけど完璧にやらないと気が済まないたちだからね。神経やられちゃうわ」
チャコは姑に隠れてアイスクリームやシュークリームをこっそり食べては一息をつくのだった。鬼のいぬ間の洗濯。
「あらっ、アイスクリームあまり甘いと思わないや。それになんかね酸っぱいものが食べたいなあ」
チャコアイスクリームを不味い不味いといいながらペロリと平らげた。さらに冷蔵庫を物色する。
「酸っぱいものはと。あっ漬物があったわ」
白菜の漬物を出して白いご飯をよそい食べる。
「いただきまぁーす。ウグッ気持ち悪い」
白菜の臭いをかいだら吐気がした。
チャコさまオメデタでございます。
すぐに姑に報告し産婦人科にかかる。
「オメデタですね。三ヶ月になります」
姑は喜んでくれた。ひとり息子が父になり姑は初孫が出来た。
「チャコさんよくされました。私は嬉しいですわ」
妊娠がわかると姑はコロッと嫁に優しくなった。実の娘みたいな扱いになる。洗濯モノやかたずけものは全て姑がサッサとやってくれた。リビングの掃除機は姑がやろうとしたが、これも取られたら、
「嫁として何もかも仕事を取られてしまうから」
運動のためにチャコが担当をした。
なぎなた道場は姑ひとりが立ち居振る舞いを指導しチャコはただ見ているだけになる。また姑は張り切る張り切る。生徒さんに、
「師範いよいよ初孫ですね。お孫ちゃんはかわいいですわ」
と言われたら目尻をさげてニコニコとした。孫は目に入れても痛くない。
日増しにチャコのお腹は膨れデブに、いや臨月を迎える産婦さんになっていく。
「フゥ〜しんどいなあ。よっこらしょ。テレビで皇室の紀子さまが親王をお産みになったでしょ。あんな簡単にいけばね」
日本のチャコ両親からは安産の御守りが多数届く。
年が変わり新春が訪れた。妊婦チャコは順調にデブに、いや産婦さんになり今日か明日かの出産日を迎える。
「フゥ〜フゥ〜産まれるー」
お腹はパンパンに膨れ今にも風船のようにパンと破裂しそうだった。
産気づいたチャコは日本から母親が付き添いニューヨーク市民病院の分娩室に、
「あーん産まれ〜るぅ。苦しいよぉ」
やかましいくらい日本語が響き渡る。分娩室に入ってすぐに、
オギャーオギャー
産まれた。あらっ、なにかハーモニーでダブってオギャーしている。産まれたのは男の子と女の子の二卵双生児だった。母子ともに健康であった。
姑もチャコの母親も手を握って大喜び。
「チャコよくやったあ」
チャコは双生児を産んだがデブはそのまま直らなかった。
「あちゃあ。アイスクリームがシュークリームが」
2児の母親になったチャコ。それからは育児に専念をする。なんせ同時に2児だから手間はかかるかかる。その育児に姑はチャコが嫌になるくらい口出してくる。姑は男の子だけが大変お気に入りらしく顔を見るとすぐにあやしたりミルクを与えたりする。
「面倒を見てくれるのは嬉しいけど。男の方ばかりかわいいかわいいでは困ったわ。あーんミルクどんだけ飲ませたの、義理母親さーん」
チャコは母乳を与えるから姑が勝手にミルクをあげたりしたら不愉快だった。
「それでも姑はみんなあんなもんかな。夜泣きでも姑はちょっと起きてあやしてくれたし。第一ひとり男の子を立派に育てているから。人生の先輩だわ」
嫁チャコは憎い姑だとは思わないように自分にいい聞かせる。
年月が流れ双子も二歳になる。ひとりで大抵のことはできる歳。トイレも食事も寝んねさんも。しかし姑は過剰に関わってしまう。男の子には!
「さあさあお婆ちゃんとお寝んねしましょうね。さお父さんお母さんにおやすみなさいして。お婆ちゃんのベッドに行きますよ」
手を無理にも引っ張り連れていく。チャコも旦那も黙って見ているだけ。
食事も酷い。チャコがちゃんと家族人数分だけ用意したが姑は気に食わない。
「さあ僕。お婆ちゃんがケーキ買ってきたから後でお部屋で食べましょね」
またもや連れ去り(笑)お風呂にも入れて一緒にお寝んねさんだった。
「チャコ申し訳ないなあ。お袋も悪気でやっているわけではないからさ。息子の面倒を見てくれているんだからさ。チャコも助かっているわけだから。まあ多少は目を瞑ってくれ。頼むや」
姑の男孫に対する可愛がりは理由があった。
「私はねひとり息子を私の姑にブン取られたんだよ」
そっ、旦那からみた祖母は姑とまったく同じように孫を可愛がり嫁には触らせないくらいだった。
「ひとり息子を抱けない悔しさは忘れないね。だから今孫がかわいいし抱きたいだけ抱ける。アタシャあ、いつあの世に行っても悔いはないね。こんなかわいい孫が一緒にいてくれるんだからさ」
姑は毎晩男の孫のスヤスヤ眠る姿を見ては自分の寿命がないと嘆く。孫の成長とともに老い先が短いことを実感していく。もし嫁チャコがあれこれ孫のことを言ってきたらそれこそなぎなたで叩きのめしてやりそうな勢いだった。
「いいえ実際やるかもしれませんわ。なぜですかね気合いも入りますわ」
子供が成長したらあれこれ手間がかかるだろうとお手伝いさんを雇うことにする。月額3万円の家政婦さんはリトアニア系女子大生だった。
リトアニアはバルトある小国。1991年に旧ソ連から独立を果たしこのバルト諸国が独立するからゴルバチョフのソ連は崩壊をしてしまう。彼女の家族は1945年リトアニアがソ連に取り込まれることを嫌がりアメリカに渡る。
「私は日系が好き。興味もあるわ」
女子大生はアジアトルコ地区の歴史を専攻していた。日本語はできないが日本伝統には興味があった。
「家政婦さんなんかいらないと私は言うんだけど世間体が雇わないといけないとなっているから」
チャコは文句ブウブウ。リトアニア系家政婦のおかげで掃除洗濯後かたずけは開放された。で残りは育児ぐらいしかやることがなくなってしまう。
「暇だからなぎなた道場のサブやろうかな。でも姑がなあ。何て言うかしら」
久しぶりになぎなた道場に嫁チャコは顔を出す。生徒さんはお久しぶりですわねと挨拶してくれる。しかし姑はプイッ。
「これくらいの生徒さんなら私ひとりで教えてさしあげますから」
嫁チャコには険悪な雰囲気に感じた。また姑の師範代の席には男の孫がまるで将軍様のようにデンと座る。
「私の息子なのに。ったくもう」
リトアニア系家政婦は仕事に慣れてきたら盛んにチャコや旦那に日本について聞いてくる。
「私は日本の文化や伝統に興味があります。我が祖国リトアニアみたいに異民に常に征服された国から見たら不思議です。征服されたことのない国家は世界では稀れだと思います」
日本史もかなり勉強しているようで江戸時代のサムライなどに詳しい様子だった。
「ミセスチャコさま。武芸なぎなたをなさるのですか?日本の剣道や空手は知っていますがなぎなたは知りません。見たいです、やってみたいです。教えてください」
チャコはあまり気が進まないがなぎなた道場に連れていく。
道場には姑が師範として道場に睨みを効かせていた。チラッと嫁チャコをみたがすぐに視線は生徒たちに移る。そんなことには無関係にリトアニア家政婦は、
「ミセスチャコさま。なぎなたは武器なんですね。あの形を見たら殺傷能力もかなりありそうですわ」
リトアニア人にしたら戦争の道具は嫌というほど博物館や町で見せているから驚かないところだった。
「なぎなたのルールはフェンシングですね」
接触されたら負けのルール。
話を聞き目の前を生徒たちのなぎなたがブルンブルン回れば、
「やりたいでございます。やらしてください」
姑の師範に事情を話しなぎなたをリトアニア家政婦持ってもらう。
「このように持って。かように突いて。なるほど」
リトアニア人には面白いものに見えたらしい。リトアニア家政婦はその場で入門し以後熱心に通ってきた。
「ルールがフェンシングならば大学での仲間にも教えやすいです。それから私が魅力的に思いますは日本のスカートです」
日本のスカートは袴だった。
リトアニア家政婦が言うには大変に不思議なことに、
「ハードスポーツ競技になるはずのなぎなたや剣道です。なぜにあんな長く動きにくい袴を敢えて着するのかわかりません」
日本文化は現代の不思議をかなり含んでいるとしか思えないらしい。
このリトアニア家政婦はアメリカの女子大学を卒業し大学院に進学をする。院での論文は日本文化に絞り、なぎなたや剣道さらにお茶・お花などに及んだ。院を卒業したら祖国リトアニアに帰ってビタゥタス大学の教授になる。
ビタゥタス大学に日本文化部が設立され彼女は講義を受け持つと同時に、
「私はなぎなたと剣道をリトアニアに広めて参ります。またフェンシングによく似た競技がリトアニアにはあります。個人的な意見ですがフェンシングは男女が楽しめる競技。私は女子だけの競技をひとつ作ってみたいかなと考えています。リトアニアなぎなたでございます」
ビタゥタス大学日本文化は見事にリトアニア文化とマッチしていく。
なぎなた道場は商社の家族も運動にいいからと道場に入ってきた。またアメリカ人も物珍しいからとわんさか入ってきた。
こうなると姑ひとりの師範ではとてもとても面倒は見きれない。姑も折れて、
「チャコさん。ちょっとサブ師範やってもらえないかしら」
がふたりで師範しても生徒が増えたからひとりひとりの教授はとてもできない。そこで姑は嫁チャコを師範台にして模擬試合をちょくちょくやるようになる。嫁姑の模範演技が取り入れられた。
「口出しするより見せた方が早いから」
生徒たちは全日本クラスの模範演技に息を飲んで注目をした。
「師範もサブ師範も巧いね。さすが惚れ惚れとするなぎ捌き。見事な捌きだなあ。いや芸術だと言えるね」
姑は嫁チャコと模範演技をする間に少しずつ芽生えてくるものがあった。
「この子なぎをやれば伸びるかもしれない。結婚して家庭に入って子供が出来たから何もなぎを辞めることはないわ。鍛えたらやれるかもしれない。私の果たせなかった全日本の優勝も出来るかもしれない」
姑は競技者としての顔が沸々と模範演技のたびに沸き上がってくる。
嫁チャコはそれどころではなかった。子供を産んでからはプクッと太り始めた。体を動かすこと自体がすでに苦手になっていた。
「ふぅしんどいなあ。あれくらいのなぎなら楽に捌けたのになあ。ダメだなあ、お腹のお肉がプョンとなってはいけませんわ。なぎの八方回しやると肉がブルンブルン唸ってしまうわ。ああダイエットしなくちゃあ。でもアイスシュークリームはエヘへ。辞めたくないモン」
まったく対称的な嫁姑だった。姑の師範は模範演技は練習の中に必ず取り入れた。その二人の演技を熱心に見ては拍手をする子がいた。
「ママお上手ね。ばあちゃんもお上手よ。はい拍手拍手パチパチ」
女の孫だった。母親と祖母の模範演技を見ては盛んに拍手をしていた。
「あらっまあ。子チャコちゃん。あなたはなぎなたがわかるのかしら」
子チャコはコップに入ったココアを両方の可愛らしい手で大切に持ちながらチュウチュウやりながら答えた。
「私わかるモン!ママはねお上手よ。ブルンブルン」
なぎなたの八方回しを真似する。
「チャコさん。孫も知らないうちにこんなに大きくなったわ。どう手がかからないことだから私についてなぎなたを本格的にやりません?1からやり直さないかしら。あなたもまだまだ老け込む年ではないし」
姑はチャコに全日本に出場してもらいたいと暗に頼んでいた。しかしチャコは固辞をする。
「義母さん無理ですわ。そのわけは私が太りましたからエヘへ。細かい立ち振る舞いがどうにもつらいですからね」
母親チャコはお腹をさする。まるで子供がいるみたい。いや琴光喜かな。
それを見て孫の子チャコはよちよちと歩き母親チャコのお腹をボンとげんこつで叩く。
「ママのお腹ポンポコポン♪あんらぁいい音するなあ、ワアーイワアーイ」
チャコ悪いこといわないからダイエットしましょう。
孫の子チャコは血筋なのかなぎなたに興味を示し母親のやるような立ち振る舞いをよく真似をするようになる。手を開いて飛行機をしているかなと思えば母親の仕草を真似していた。裾払いや上段の構えもうまく真似ていた。可愛らしい豆剣士がここに誕生をする。
「お師匠さま。お孫さんも熱心になぎなたをやっていますね。あらぁ微笑ましいですこと」
姑の師範にも生徒たちからの話は耳に入っていく。
「お孫さんもなぎなた剣士でしょうか。さすがは師範の孫さまです」
血筋としては抜群のものがある。姑の祖母家系も嫁チャコの家系も剣士に繋がり今はなぎなたに受け継がれていた。
「そんなにも言うのでしたら孫にもなぎ持たせましょうかね。孫にもなぎなたを」
姑はちょっと女の孫になぎをと芽生え始めた瞬間だった。
「いいわ教えてあげましょ」
姑は嫁チャコをなんとか痩せさせましょうとあれこれ指示を出す。まだ諦めていなかった。
嫁チャコの太り過ぎは食生活からだが、
「嫁のチャコさんは私の目を盗んでアイスやシュークリームを食べているようだわ」
冷蔵庫の中は姑も常々チェックしていた。チャコにアイスとシュークリームを食べてはいけないと言うと、
「ヤダア嫌々。私生きていけないわあ」
べソをかいてしまう。アイスクリームとシュークリームが生き甲斐である。日本にいたらこしあんのまんじゅう。
「まったく。嫁は孫娘と二人でアイスシュークリームをペロペロしていることが唯一の幸せみたいなんだから」
と言いながらチャコを諦めた。
その頃。チャコが一段もニ段も太りまくった頃。
日本では全日本なぎなた選手権が行われていた。
決勝にはチャコのかつてのライバル山口県の安倍マリアが勝ちあがっていた。マリアは高校時代から全日本には出場していたがなかなか勝ち進めず決勝進出は始めてだった。対戦相手は優勝候補の兵庫県の選手。国体は兵庫県が優勝しその勢いで全日本も優勝を狙いにやってきた。
「これより決勝戦3本勝負を始める。始め!」
サアッと審判の右手が降ろされマリアはなぎなたを構えた。
兵庫県は伊丹市に日本なぎなた連盟本部があった。伊丹を連盟としては伊丹を中心にしてなぎなたの普及に務めなんとか国体優勝兵庫県にまでコマを進めた。後はなぎなた競技の最高峰である全日本優勝を勝ち取りたいという段階ではあった。
その兵庫県と伊丹に立ちはだかるはなぎなたの強い山口県の安倍マリアだった。
「全日本は勝ちたいの。私は勝って優勝の美酒に酔いしれたい。別に山口県だからどうのこうのはないわ」
マリアはキリリとした面持ちでなぎなたを回していく。気合いも気力も充実した様子だった。
試合が始まりマリアはエイっとまず1本を得意の裾払いで決めた。速攻だった。鮮やかな技の切味である。
「1本!それまで」
審判の旗がマリアに3本あがった。
「よし決めた。後1本ね。この1本を決めたらマリアは日本1になれるの」
競技場は拍手が沸き起こりざわめく。
選手がソンキョの姿勢から立つと静まり返り緊張の渦に巻き込まれていく。
「これより決勝の2本目。始め!」
マリアはススッと積極的に出た。なぎなたは下段に構えられマリア得意の裾払いを狙うポースになる。対戦相手は当然に得意な裾払い、マリアの技は防御する。もう裾払いは決めてもらいたくはないわとサッと構えた。(下に気を付けていた)次の瞬間に頭が留守になった。
「今だ!エイ〜」
マリアは渾身の力を振り絞り上段になぎなたを振り上げた。体重を乗せ面を打ち込む。鮮やかな切れ技だった。
パァーン!
場内に乾いた音が響き渡る。
「1本!それまで」
審判の旗が3本マリアにあがる。次の瞬間場内をかけていたマリアの目から涙が溢れた。
おめでとうマリア。念願の全日本優勝の瞬間だった。
マリアの全日本優勝はすぐにインターネットでニュースとして配信された。
マリアはマリアで個人的に優勝の喜びを友人知人らにメール送信していく。その喜びのメールの中にニューヨークに住む"伯母"も含まれていた。
「お久しぶりです伯母さま。マリアです。喜んでください。私は全日本で優勝しました」
ニューヨークのレジデンス。インターネットの処理はチャコか旦那の二人が暇を見つけてはやっていた。マリアからのメールを見つけたのは嫁チャコだった。
「エッ!山口県の安倍マリアさんは義理母親の姪っ子さんになるの?知らなかったなあ。全日本優勝したの。凄いなあ」
すぐ姑にチャコは知らせた。
「まああの子が全日本優勝したんですか」
嫁のチャコは姑のために全日本なぎなた選手権大会のサイトをクリックして姑に開示してやる。
試合の経過が詳しく掲載されていた。
またなぎなた関連のブログも2〜3チェックしてみた。
「全日本の試合はマリアの実力が一歩優るという感じだったわね。あらまあ、ほとんどが裾払いで決まっているのね。よほど切味があるみたいですこと」
マリアの伯母の姑は目を細めながら姪っ子の栄光の道を喜んだ。
なぎなたブログはちょっと興味深い内容が書き込みされていた。
「義理母親さま。こちらはブログを開示です。どうやら全日本の会場にいた方が書き込みなさっているみたいですわ」
書き込みは山口県のなぎなた関係のご婦人のようだった。
なぎなたブログから抜粋。
全日本なぎなた選手権に思うこと。我が郷里山口県はなぎなたや剣道を修練のひとつとして身につけることが長い間に美徳となっておりました。なぎなたに関して申せば高校インターハイや国体では常に優勝を飾る実力でした。私も山口県女学校時代にはなぎなたに明け暮れ青春のすべてをなぎに打ち込むものでありました。なぎなたは誇りであり私の唯一の自慢でした。
そんな私も年頃になると縁談が持ち上がりました。良縁だから粗そうのないようにとお見合いの席では塩らしくしていたことを昨日のように思い出しています。
そのお見合いの相手が私に趣味はなんですかと尋ねられました。私はすかさず、
「女学校からなぎなた競技をやっております」
と答えました。お相手の方は剣道の有段位だとわかっておりましたからきっと話は盛り上がりお見合いはうまく行くと感じたからです。しかしお話は断られてしまいました。理由は相手の方は何もおっしゃいませんでした。
ブログの最後に一言、
「全日本優勝者は独身が多い理由はなんでしょうか」
と書かれていた。姑と嫁チャコはふたりして大笑いをした。ついでに孫娘も手にココアのカップを持ちケラケラと笑った。
母娘3代が笑った。