小田急線沿線に住んでいたら、の詩
子どもの頃から親しんだ小田急線の風景や振動音を思い返しながら、住まいや選択、そして今落ち着いている場所について綴ったエッセイです。
選択の余地があまりなかった。四月が近く、お引越しラッシュの季節だったから。予算に縛りがあったから?不動産屋さんを回り歩けるような体力がなかったから?親しい不動産屋さんはいなかったから?歩いて駅まで行く脚力によって縛りが生じたから?
いや、絶対ここだ!ここにしか住めない!という執念と信念、そして確信がなかったから。揺るぎない根性がなかったから。不動産屋さんのひとと話す会話力がないから?
赤ん坊の時から物心つくまで揺られて育った小田急線車輌の振動音、モーター駆動音、車窓の風景。
その電車を日常風景として感じる夢はかなわなかったけど、今は電車の通り過ぎるのを観ながら生きている。なんとなく。
まあ、色々あったし今でも小田急線は懐かしいけれど、住処にしても何にしても、結局いろんな意味で行き着く場所に落ち着くものだ。
部屋探しに破れて妥協したようなあの日から少し時間が経ち、線路の近くでこの文章を書いています。理想通りにいかない選択ばかりの人生ですが、踏切の音を聞きながらお茶を飲んでいると「まあ、これも悪くないか」と思えるから不思議です。
完璧な選択なんてできなくても、選んだ場所を自分の居場所にしていく過程こそが暮らしなのかもしれません。かつて揺られていた小田急線の記憶とともに、今のこの場所で積み重なっていく新しい日常を、これからも静かに面白がっていきたいと思います。




