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魔女の拾い物〜拾った男をこき使ったら仕返しされた〜

作者: 藤まめ
掲載日:2026/04/18


魔女というのは、合理的な生き物だ。

セラフィーナ・ヴォルクがそれを証明したのは、秋の終わりの雨の夜だった。


森の外れの泥道に男が倒れていた。傷だらけで、意識もなくて、このまま放置すれば朝には死んでいる。

セラフィーナは三秒考えた。死体の片付けは手間だ。拾う方が合理的である。それだけの話だ。


翌朝、男が目を覚ました。

 

顔が、良い。非常に良い。こんな顔が泥道に落ちているのは道端に金貨が落ちているようなもので、拾った自分の判断は正しかったと思った。思ったが、それはそれとして。


「名前は」

「ルシアン、です」

「私はセラ。三日したら出て行って」

「…はい」

 

素直で弱々しい返事だ。おとなしそうな男だ、とセラフィーナは思った。

これが最初の、そして最大の誤算だった。



男は、三日で出て行かなかった。


「もう少しだけ」

「治ってる。私が診た」


「そうですね。あなたは腕がいい」とルシアンは軽く頷いた。


「じゃあ出て行って」

「もう少しだけ」


さっきと全く同じ台詞に、セラフィーナは思わず眉を寄せる。


「話、聞いてた?」

「はい」

「じゃあ——」

「もう少しだけ」


三回目だった。

セラフィーナがルシアンを見ると、ルシアンは穏やかに見返してくる。出て行く気が一ミリもない顔で。


そっちがその気なら、こちらにも考えがある。


「…働くなら置いてあげる」

「何をすれば」

「全部」


根を上げさせて、自分から出て行かせる魂胆だ。こちらとて、甘やかす気は一ミリもなかった。



こき使った。これは認める。


薪割り、水汲み、薬草採取、荷物運搬、掃除、皿洗い、行商の荷物持ち。セラフィーナが面倒だと思っていたことを片っ端から押しつけた。賃金はなし。食事と寝床だけ。我ながら大概だとは思う。でも、ルシアンは何も言わなかった。


黙って割り、黙って運び、黙って帰ってきた。まるで大きな犬みたいだ、とセラフィーナは思っていた。躾の行き届いた、役に立つ犬だ。


だが——少しだけ、おかしいとも思っていた。


料理が、うまかった。旅人が覚える味じゃない。薬草の飲み込みも早すぎた。一度教えれば翌日には完璧にこなした。村の視察に来た帝国の役人と鉢合わせたとき、ルシアンがさりげなくセラフィーナの前に立った。それがあまりにも自然で、あまりにも慣れていて。


問い詰めたことがある。夜、ランプの前で。


「あなた、本当は何者なの」

「善良な一市民です」

「嘘ばっかり」

「セラさんも、ただの薬草売りじゃないでしょう。お互い様では」


確かにその通りだ。自分も魔女だとは言っていない。お互い様だ。そう思うことにした。

今思えば、そう思わせられていたのかもしれない。



三ヶ月目の朝、帝国の使者が三人、馬で森へやってきた。


セラフィーナは庭で優雅にお茶を飲み、ルシアンは薪を割っていた。

使者の先頭が馬を降り、その顔を確認した瞬間——膝をついた。


「ルシアン様。御無事で何より」


庭が静まり返る。

様という言葉が、セラフィーナの頭の中でゆっくりと沈んでいった。


「遅い」とルシアンが低く言った。三ヶ月聞いてきた声と同じなのに、まるで別人みたいな冷たさだった。


「申し訳ございません殿下。痕跡を辿るのに時間がかかりまして」

「殿下、御帰還の準備を——」

「待て」


一言で三人が固まる。それからルシアンがゆっくりセラフィーナを振り返った。その目からは、感情を読み取ることが難しい。


拾い物が、まさか皇太子だったなんて。


驚くと言えば驚くが、納得と言えば納得だ。

この美貌、この知識、この器用さ。只者であるはずがない。


そして、泥道に転がっていたのが金貨どころか皇太子となれば、助けた謝礼も相当なものが——そこまで考えて、この三ヶ月が一気に蘇った。


顔が青ざめた。少し、いや、かなり、こき使いすぎた。


セラフィーナの考えを知ってか知らずか、ルシアンの口元がわずかに緩む。


「…あなた、皇太子、なの」

「はい」

「あの怪我は」

「あなたを探していました。帝国で十年続く魔女対策の議論、知っていますか」

「知ってる」

「終わらせたかった。そのために魔女を皇太子妃に迎えることを考えていた。あなたを選んで、接触を試みていた最中に反対派に襲われました。あなたの家の近くで倒れていたのは——僥倖でした」

「…運が良かっただけってこと」

「ええ。ただ、拾ってもらえると思っていました」

「なんで」

「魔女が死体の片付けを嫌うのは知っていたので」


つまり最初から、自分の性格まで読まれていた。

セラフィーナは絶句して空を仰いだ。怒りが波のように来て、引いて、また来た。


「つまり私は三ヶ月間、自分が皇太子を顎で使ってると思ってたけど」

「ええ」

「全部あなたの計画通りだった」

「おおむね」

「薪まで割らせて」

「割りました」

「荷物も持たせて」

「持ちました」

「よくも黙って——」


「言ったら追い出されたでしょう」とルシアンは穏やかに返した。


「だから言わなかった」


それは、正しかった。けれど、正しいからといって許されるわけではない。睨みつけると、ルシアンも静かに見返してくる。三ヶ月間、犬みたいに従っていた男と同じ目なのに、今は違うものが見えた。最初からずっと、こういう目をしていたのかもしれない。


「セラさんには、帝都に来てもらいます」

「断ったら?」

「また出会いから計画し直します。今度はもう少し早く動きます」

「…逃げたら」

「追いかけます。どこへでも」


脅しではなく、ただの事実の確認みたいな言い方だった。それがかえって、背筋に冷たいものを走らせた。


「ひとつ聞くわ。三ヶ月ここにいて。計画以外に、何かあった?」


ルシアンは少し間を置いて、それから閃いたみたいに表情を明るくした。


「あなたが焦がした朝食を、おいしいと言って食べていたことは、計画ではありませんでした」

「…馬鹿にしてるの?」

「計算外でした。あなたのそばが、思ったより居心地よかったことも」


返事はしなかった。そもそも返事をする間もなかった。

気づいたら使者たちが家の中に入っていた。てきぱきと動き回り、止める間もなく薬草棚を確認し、着替えを選び、道具を箱に詰め始めている。


「ちょっと、何してるの」

「お荷物の準備を」

「勝手に触らないで」

「殿下のご指示ですので」


 ルシアンは庭で腕を組んで立っていた。


「…指示したの」

「出発は昼前です」

「聞いてる?勝手に——」

「薬草は全部持っていけるよう箱を用意させています。作業道具も。足りないものがあれば帝都で揃えます」


使者のひとりが傍に来て、丁寧に頭を下げた。


「お気に召さないものがあればおっしゃってください、魔女様」


 魔女様、と呼ばれた。長い間、「薬草売りのセラ」だったのに。


「…最初から、こうなる予定だったの」


「はい」とルシアンは静かに笑った。


「荷造りも、馬も、全部用意させています。合理的でしょう」


自分の言葉を返された気がして、何も言えなかった。


結局、荷物は一刻もかからずまとまった。庭へ出るとルシアンが馬の傍に立っていて、すっと手を差し出した。乗馬の補助だ。三ヶ月前まで薪を割っていた手が、今は当然のように皇太子の手つきをしている。その手を無視して自分で乗った。


ルシアンは笑った。三ヶ月間ずっと気に入らなかった笑い方だ。

何かを知っているような、余裕のある笑い方。


「…何が可笑しいの」

「いいえ。やっと、と思っただけです」



帝都に着いた翌朝、謁見の間でセラフィーナは皇帝と対面した。


天井が高い。石造りの柱が何本も並んで、その奥に玉座がある。魔女が立つ場所じゃない。足が少しだけ竦んだ。そのとき、隣のルシアンの手がごく自然にセラフィーナの手に触れた。握るわけでもなく、当たり前のように寄り添う手だった。悔しいけれど、落ち着いた。


玉座の皇帝が立ち上がる。老いているが、背筋の伸びた人だった。セラフィーナをまっすぐ捉えた瞬間——顔がぱっと輝いた。


そして、玉座を降りてきた。早足で。


「来てくれたか!よかった、本当によかった!」


思っていた反応と違う。皇帝がセラフィーナの両手を握ろうとした、その瞬間、ルシアンがさりげなく前に出てセラフィーナの手を取った。皇帝の手が空を切った。


「…ルシアン」

「どうぞそのままで、父上。セラフィーナは人見知りなので」


皇帝は構わず、ルシアンの方に腕を回した。


「ありがとう、ありがとう。引き受けてくれて本当に…!この子がな、この子がようやく誰かを——」

「父上」


「側近たちもみんな喜んでおる!なぁ」と皇帝が後ろを振り返ると、居並ぶ側近たちが一斉に深々と頭を下げた。


「「ありがとうございます」」


謁見の間に、声が揃った。セラフィーナはぽかんとした。


「あの」

「なんでもお願いがあれば言いなさい。魔女として必要なものは全部揃える。部屋も好きに使っていい。帝都が嫌なら離宮も——」

「父上、少し落ち着いてください」

「落ち着いていられるか!お前が誰かを連れてくる日が来るとは思っておらんかったんだぞ。側近のヴァルターなど昨日から泣いておった」


「泣いていません」と壁際から低い声が飛んできた。

目が赤い男が前を向いたまま続ける。


「埃が入っただけです」


 その男と目が合った。深々と頭を下げてくる。


「本当に、ありがとうございます」


 声が、少し掠れていた。ルシアンは前を向いたまま微動だにしなかったが、耳が根元まで赤かった。


「…あなた、相当やばかったの」

「…セラさん。場所をわきまえてください」


「セラフィーナ殿、あの子はな、普通の女性では手に負えない子でな」と皇帝は穏やかに続けた。


「顔はいい。頭も切れる。だから女性は寄ってくる。でも長続きしたためしがない。わしも側近も、もう諦めておった」

「父上」

「三年前などひどかった。縁談の席で相手の家の財政状況を分析した資料を取り出して、先方に叩きつけられて帰ってきた」

「父上、その話は——」

「二年前は、初対面の令嬢に開口一番、家系図の問題点を指摘したそうだ」

「父上」

「そこへ魔女殿が現れてくれた。考えてみれば当然かもしれん。あの子を御せるのは、魔女くらいのものだ」

「父上」

「事実だろう」


謁見の間に静寂が落ちた。


やけに顔のいい男だと思った。文句も言わず働く、いい拾い物をしたと思っていた時期もある。

その本性に、三ヶ月も気づかなかった。よりによって、魔女が。


「魔女殿だけだ。あの子の本性に気づきながら、それでもそばにいてくれるのは」


冷や汗が止まらなかった。とんだ拾い物をしてしまった。



婚儀は半年後に執り行われた。

式が終わって二人になったとき、ルシアンが懐から小さな紙切れを取り出した。受け取って目を落とすと、びっしりと文字が並んでいた。


薪割り、正の字で百十二回。水汲み、正の字で九十七回。薬草採取——


「…何これ」


「記録です」と穏やかに述べて、その紙を裏返した。


「三ヶ月分の労働記録。裏を」


 合計、金貨三十二枚相当。利息込み、四十一枚。返済方法——生涯をもって充当のこと。


「…いつ作ったの」

「最初の一週間から。毎晩つけていました」

「ランプの前で本を読んでたじゃない」

「表紙だけ本でした」


沈黙があった。


「これは仕返し?」

「いいえ。受取書です」


ルシアンが、セラフィーナの頬をそっと撫でた。


「セラ、あなたは今日から私に四十一枚の借りがある」


 初めて、さんが外れた。それに気づいて余計に言葉を失った。


「…返すとしたら」

「一生かかります。計算済みです」


 笑いそうになるのを堪えた。堪えきれなかった。まんまとやられた、と思った。出会いから結末まで、全部この男の手の中だ。


でも——悔しいことに、嫌いではなかった。

これもきっと、計算通りなのだろう。


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