第4話 罪悪と柔肌
「矢野さん、予算委員会の答弁草案、もう完成されたんですか?」
政策課の事務官、白井さんに驚かれる。
「あれ、他の課長補佐の方たちが、なかなか纏まらないって悩んでおられたのに」
「ああ、あれ論点ずれてたんですよ。明日の予算委に間に合ってよかったです」
白井さんはパッと表情を明るくした。
「ありがとうございます。これで進められます」
軽く頭を下げ白井さんは席に戻っていった。
いつも通りの職場、いつも通りの仕事、そして、…いつも通りの斎藤。
まあ、予想はしてたけど。
こうやって日常に戻ると、先週末のことが嘘だったんじゃないか?と思える。
俺、本当に斎藤と寝たのか?
と、同時に思い出す。
あいつの温かさ、柔らかさ、ーーー声。
握っていたボールペンを紙に押し付けすぎて、先の玉がめり込む。
まずい、これは相当まずい。
官僚になって14年、感情を表に出さないのは慣れてるはずだけど、今の俺はとんでもない試練を与えられてる気がする。
あの日、事前に言っていた通り、斎藤は終わるとさっさと起き上がって服を着た。
せっかくだから泊まってけばいいのに、と言ったら
「人がいると眠れないんで」
とあっさり帰ってしまった。
一人残される男の気持ち考えろよ、と思ったけど、斎藤にとってはそこはどうでもいいんだろう。
連絡先を交換する暇もなかった。
同期のグループLINEにお互い入ってるからそこから個別に連絡はできるけど、何となく気が引ける。
と思ってたらポケットに入れてたスマホが軽く震えた。
見てみると斎藤からのLINEが来ていた。
プレビューだけで読める短文、そこには
「顔に出てます。仕事してください」
とあった。
慌てて斎藤の方を見たが、斎藤は何食わぬ顔で普通にパソコンに向かっていた。
だから相当まずいんだって、これは…。
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そのまま何もなく1ヶ月が過ぎた。
お互い仕事で関われば普通に話すし、廊下ですれ違っても会釈のみ。
もちろんLINEでのやり取りは皆無。
こっちからいつ会える?と聞く勇気はなかった。
そして俺の中で別の考えが浮かんでくる。
あいつ、他の男もああやって誘ってるのかな。
誘い方は慣れてるように見えた。
もしかしたら省内の中でも関係を持った男がいるかもしれない。
…でも、と思う。
官僚の世界は人間関係が深く濃いので、そう言う噂があればあっという間に回る。
みんな澄ました顔をしてるけど、中身は人のゴシップやプライベートに興味津々、まあ人間の集まりだからそれなりにいろいろある。
あそこが不倫してるらしいとか、付き合って別れたらしいとか、どこからそんな情報が漏れるのか分からないが、そう言う噂はみんな大好きだ。
もし斎藤が何人かと寝てたなら、そう言う噂がたっててもおかしくない。
けどそういう気配は全くない。
それどころか、給湯室や休憩コーナーで斎藤の話が聞こえても
「法務課の課長補佐が連絡先聞いて断られてた」
「この間、ちょっと笑ってくれてドキッとした」
「あの人彼氏いるのかな?」
と言った感じだ。
連絡先を聞いた人がいると言う話は少しモヤるが、少しだけ優越感も感じる。
でもまあ、あれっきりになりそうな流れだけど…
と思ってたら、ある日斎藤からLINEが来た。
「今週末会える?」
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そこから俺たちは不定期に会うようになった。
どっちから誘うかは半々くらいだ。
お互い仕事の状況が分かるのでタイミングも見図れる。
おまけに、たまに断られたとしても「生理なんで」と直球で理由を言われる。
まあ、周期を知ればそれも踏まえて誘えるわけだけど。
会うのは、自然と俺の部屋が多くなった。
俺は霞ヶ関に近い、港区の駅近に部屋を借りていた。
あまり広くはないけど、男一人が寝に帰るだけだから十分ではある。
最初は斎藤は誰かに見られないかと渋ったけど、裏道に面してるし近所に外務省関係者は住んでなさそうだと伝えたら、仕事帰りに寄るようになった。
そしていつも終わったらさっさと帰っていく。
俺の家だからホテルの時みたいなむなしさはないけど、泊まっていけと何度も言ってもそこは頑なだった。
しかしたまに胸がチクッとする瞬間がある。
瑠美とやり取りするときだ。
瑠美との連絡頻度や会える回数は相変わらずだけど、俺は確実に瑠美を裏切ってる。
でも別れようという踏ん切りもつかない。
自分でも最低だと分かってる。
斎藤も俺に彼女がいることは分かってるはずだけど、そこは何も言わない。
それにずるずる甘える自分がいた。
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そんな関係が三ヶ月ほど続いたあと、斎藤は二回目のシオガ赴任へ旅立った。
これで半年は会えないことになる。
スマホも繋がらないから個人的な連絡は取れない。
業務上は俺が窓口になるわけで、仕事上の連絡はほぼ毎日だったけど、形式ばった実用メールのやり取りだからそれ以上のものは何もない。
斎藤のいない職場は寂しくもあり、でもちょっとほっとしてもいた。
自分の中の罪悪感が少し薄らぐからだ。
俺ってこんなに最低な人間だったっけ?
一応歴代彼女含め、女性には誠実に接してきたつもりだ。
瑠美とも一時は真剣に結婚も考えた。
でも斎藤が現れて、俺は自分の弱さを突きつけられてる気がする。
斎藤のいない半年間を、俺は複雑な思いで過ごした。




