第3話 一線を越える日
政策課に異動になって、3ヶ月がたった。
最初は斎藤の容赦ない攻撃に怯んだけど、さすがにもう慣れてきた。
と言うか、斎藤は間違ったことはひとつも言ってない。
いつも指摘するのは、将来大きな問題になり得る小さな火種。
それをナアナアで進めて後々大問題になるより、先手を打って先に潰す。
それが結局大きな効率の差になる。
言ってることが真っ当だから誰も反論できないし、斎藤の指摘のお陰でヒヤッとすることが回避できることもあった。
結局それは職場の信頼の積み重ねになる。
そして誰も斎藤に敵わないと言う意識になる。
だからあの祷雨計画もパッと見は荒唐無稽だけど、省内から大きな反発が出ていないのかもしれない。
と言っても、仕事だから理不尽な場面もある。
この間は、ある安全保障関連の国際プロジェクトに日本が関与する話が進んでいて、斎藤は地道に交渉していた。
だがある政治家が、“票になる地元企業を絡めろ”と露骨な圧力をかけてきたのだ。
無理にねじ込めば現場が混乱するし、交渉の信用自体が揺らぐ。
しかし拒否すると翌年の予算が通らない可能性もある。
結局堀江課長の判断のもと、その企業を入れることになったのだが、席に戻った斎藤の顔は明らかにイラついていた。
表情には出ていないけど、こめかみに青筋が浮かんでいるのが分かる。
こいつ、こんな風に怒るんだな。
思わず近づいて通りすがりに
「私もあの理不尽な要求は、あり得ないと思います」
と声をかけると、斎藤は表情を変えずにこちらを見た。
そしてすぐに前を向き、小さく
「これも仕事ですから」
とだけ呟いた。
その口調は少しだけ、素が出てる気がした。
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シオガの祷雨計画は、動き出してからわりとスムーズに進んだと思う。
異世界とはいえ、シオガは国交がある国のひとつだと言う認識でいれば、特に大きな違和感もなかった。
祷雨計画をサポートすることにはなったけど、主に斎藤がメインに動いていたので俺自身はそんなに大きな時間は割かなかった。
巫女派遣契約を三回取り付け一回目の派遣で斎藤はシオガに旅立ったけど、それは失敗に終わった。
霞ヶ関に戻った斎藤は多少は落ち込んでるかと思ったけど、変わりはないように見えた。
もともと今回は試験的だったと言う認識のせいもあるかもしれない。
政策課に異動して一年ほど経った頃、定期的に行われる同期飲み会があった。
このとき異動後初めて、飲み会で斎藤と同席することになった。
今まで飲み会では顔を会わせることもあったけど、喋ったことはほとんどなかったのだ。
飲み会の席での斎藤は、一切酒を飲まずずっと烏龍茶、回りの人間に話しかけられるとそれに応じうなずき、たまに笑う。
あいつも笑うんだ。
一線を引いてる感じはあるけど、人を避けてるわけではない。
そもそもこういう会にも参加していることが、少し不思議だった。
一次会が終わり希望者は二次会へと言う流れになり、斎藤はいつも通りさっさと帰っていった。
俺もどうしようか迷ったけど、何となく斎藤の後を追いかけるように一次会で帰ることにした。
駅に向かう途中で俺が後ろをついてきてることに気づいた斎藤は、少し驚いたような顔をした。
「珍しいですね。二次会には行かないんですか?」
「ああ、今日は何となく」
例え職場を離れても、斎藤は一切敬語を崩さない。
そこが斎藤らしくもあり、もどかしいところでもある。
するとそこへ、突然大雨が降ってきた。
とりあえず二人で、近くの店の軒先に避難する。
「うわ、雨の予報出てたっけ?」
「多分通り雨ですね。気候が不安定な時期ですから」
髪についた水滴をぬぐうため、襟足のあたりの髪の毛を上げた斎藤のうなじに、吸い寄せられる。
いや、なに考えてんだ俺。
すると斎藤がふっとこっちを見た。
なんか見透かされそうで目をそらしていると、斎藤がおもむろに言った。
「…この後、ホテルに行きません?」
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「は………?」
思ってもみなかった斎藤の言葉に固まる。
「…何、言ってるんだ?」
「ホテルに誘ってるんですけど」
口調も表情もいつもの斎藤だ。
ただその言葉がとんでもないだけで。
「…いや、俺彼女いるし」
そうだ、俺には瑠美がいる。3ヶ月会ってないけど。
俺が断ると、斎藤はすっと前を向きしばらくの沈黙のあと、
「分かりました。じゃ、また週明け」
と言って、雨の中を出て行こうとした。
「ちょっ…」
思わず二の腕を掴む。
その細さに改めて息を飲む。
斎藤は立ち止まり掴まれている自分の腕を見た後、こっちを見てきた。
こんなに間近で斎藤の顔を見たのは初めてだった。
思ったより睫毛が長い。
その目を少し細めて斎藤は聞いてきた。
「…で、どうするんですか?」
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その場をたまたま通りかかったタクシーを捕まえ、一駅隣のビジネスホテルにチェックインした。
斎藤はその辺のラブホでいいと言ったけど、俺が何となく嫌だった。
なんかラブホだともろにそれ目的と言うか、いや、そのためにホテルに行くんだけど、なんと言うか軽い気持ちじゃないと言いたかったのかもしれない。
誰に向けてかは分からないけど。
部屋に入ると斎藤はバスルームからフェイスタオルを手に取り、俺に先にシャワーを浴びるように言ってきた。
そのままさっさと部屋の方に行ってしまったので、仕方なく言われるがままシャワーを浴びる。
俺は本当に斎藤とホテルにいるのか?
いまいち現実味がなかった。
俺がバスルームを出ると入れ違いに斎藤が入っていった。
中から水音が聞こえる。
この、女性がシャワーを浴びてる間のそわそわ落ち着かない気持ちは、なかなか慣れない。
これは全男子共通だと思う。
水音が止みバスルームのドアが開いたのでそちらを見ると、なんと斎藤はバスタオルを一枚巻いただけで現れた。
「ちょっ…、なんでそんな格好」
「どうせ脱ぐんだから、着る意味ないでしょう?」
口調はどこまでも斎藤だ。
まるで業務報告を受けてる気分になる。
「…電気はどうする?真っ暗?」
「ヘッドライトだけつけといてください。終わったらすぐ動けるから」
なんだよそれ。
それが初めて寝る男と女の会話か?
俺、ちゃんと最後までできんのかな…?と少し不安に思っていると、斎藤は俺の目の前でバスタオルをバサッと床に落とした。
固まってる俺をよそに斎藤はメガネを外し、ベッドの上に乗ってきた。
「…電気、早く消して?」




