第2話 斎藤と言う女
「矢野さん、これからよろしくお願いします。ご活躍を期待しています」
新しい課に異動になった当日の朝、俺は堀江課長に挨拶をした。
堀江課長と一緒に働くのは初めてだ。
にこにこ微笑んでる顔は、THE官僚って感じがする。
目の奥が笑ってないのが怖い。
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
「矢野さんにも幅広く業務を担当していただきますが、特にお願いしたいのが斎藤さんと共に祷雨計画を進めていただきたいです。
うちの課も人手不足なので無理をお願いするかと思いますが、矢野さんは優秀だとお聞きしてるので」
「いえ、そんなことは。精一杯対応いたします」
あの斎藤と一緒に仕事をするのか。
さてどうなるだろう…
正直、斎藤はとても目立つ。
化粧っ気はなく細い黒ぶちメガネ、軽いクセのある黒髪ショート、服もシンプルなスーツだが、妙に人目を引くのだ。
同期飲みの二次会でたまに話題にも上るが、結構男の人気は高いようだ。
それでも俺と同い年で独身だから、理想が高いのか長く付き合ってる相手がいるのか…
と思いながらも、まあほどよく仕事ができれば良いかと軽く考えていた俺は、ある日洗礼を受けることになった。
「矢野さん、これは“炎上しない答え”であって、“真実に向き合う答え”ではありませんね」
挨拶もそこそこに第一声がこれだった。
「えっと…、現実的に収まりの良い文章にまとめたつもりですが」
国会答弁想定資料のチェックを頼んだところ、秒で突き返された。
「文章の甘さが随所に見られます。答弁では野党の格好の餌ですよ」
「…」
正直こんな対応をされたのは入省して初めてかもしれない。
俺もそれなりに経験を積んでるし、国会答弁資料なんて何回も作ってる。
それをこんなにボロカスに言われるなんて想定外だった。
「…分かりました。明日までに作り直します」
「明日の午前中までにお願いします。他部署との兼ね合いもあるので」
言うだけ言って、斎藤は自席に戻っていった。
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資料の作り直しは結局夜10時過ぎまでかかった。
この時間まで残ってることは珍しくないけど、それでも予定外の残業は体にくる。
秒で返されたと思った資料だけど、甘いと判断された場所には付箋が貼られていた。
言われれば確かに甘さはあったかもしれない。
これくらいなら国会答弁では問題ないはずだけど、絶対に大丈夫かと言われれば断言はできない。
でも毎日膨大な仕事量との戦いで、全てを万全にするのは物理的に無理だ。
ところどころ「うまくやる」のが必要じゃないのかと、俺は少しモヤモヤした。
翌日朝イチで斎藤に資料を渡す。
表情も変えず斎藤は受け取り、中を確認して
「…よくなってます。これで進めます」
とだけ言った。
それだけかよ。
俺の仕事に文句をつけたのはそっちだろ。
なのに直しても評価の言葉はないのか?
午前中でって言われたのを朝イチで持ってきたんだぞ?と思ったけど、もう斎藤は話は終わったと言う感じでこちらを向かないので、仕方なく俺も自席に戻った。
それからも度々、斎藤の容赦ない仕事ぶりが発揮された。
会議中に他の課長補佐が「現場の声も聞きつつ、国民の不安を第一に」みたいな言質を取られないような曖昧な意見を出したとき、
「責任の所在が不明確な言葉で誤魔化すのは、官僚の堕落だと思います」
とバッサリ切り捨てる。
「これ、説明責任に耐えられる内容ですか?」
「それ、国民感情で選んだ判断ですね?」
「“仕方なかった”という言葉を上が使う時点で終わりです」
誰かの発言に隙があると容赦なく刺していく。
会議の空気が一瞬、凍る。
けど斎藤は意に介さない。
よくこれで敵ができないものだと思うが、その一番の理由は斎藤自身がこなす圧倒的な仕事量だろう。
文句を言うやつがいても、結局出した結果で相手を黙らせる。
あいつの頭の中はどうなってるんだろう。
つい斎藤のことを考える時間が増えていった。
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「瑠美、ごめん、今週会えなくなった」
苦労した女性との関係だけど、今は3年ほど続いてる彼女はいた。
大学の友達の紹介で知り合った瑠美は看護師で、こちらの激務も理解してくれる。
あちらもシフト制で忙しい身だからか、不満を言わない。
前の彼女たちのように「○○してくれない」と責めることもなかった。
このまま結婚か?と考えてたら、瑠美はお母さんの体調が悪いと言うことで、実家のある北海道へ帰ってしまった。
それでも付き合いは終わることなく遠距離と言う形で続いてはいるけど、正直お互い激務でなかなか時間はとれない。
今週末は瑠美の誕生日だったから北海道に行く予定だったけど、国会審議で新たな問題が出たため急遽対応しなくてはならなくなったのだ。
「分かった。いいよ。また連絡するね」
瑠美は理解がある。
無理に会いたいとも毎日連絡がほしいとも言わない。
それはありがたい。
けれど、
なぜ付き合ってるのか?
そもそも付き合ってると言えるのか?
気まずさも寂しさもない──ただ何も感じなくなっていることが、ますます虚しさに繋がっていた。




