第1話 東大、外務省、そして空虚
特に努力した、という記憶はない。
父親の仕事の関係で生まれたのはアメリカ、そこで10歳まで過ごした。
帰国後、日本語の遅れを両親は心配したけどそこも問題なく、逆に勉強が得意だったから、両親の考えのもと中高一貫の進学校に通った。
そこで高3の夏に、担任から東京大学教養学部文化一類受験を勧められた。
特に将来の希望もなかった俺は、言われるがままに受験し合格、そのまま法学部に進んだ。
東大の法学部は官僚志望の学生が多い。
最近は民間志望も増えてるとはいえ、周りは官僚を目指すのが当たり前の空気になっていた。
その流れで何となく外務省を受けた。
面接の時に、海外の経験から日本のために頑張りたいとかなんとか言ったけど、全部適当。
それでも面接官には好印象だったようだ。
そうして俺は外務省の官僚になった。
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そんな感じで何となく官僚になったわけだけど、入省して3日で後悔した。
膨大な仕事量、覚えることの多さ、官僚になれば新人もベテランも関係なく、容赦なく国民の目にさらされる。
一言一句気を遣い、根回しや駆け引き、腹の探り合い、何より効率を重視するわりに古くさいやり方。
俺はここで何をやってるんだろう?
公務員に労働基準法は適用されない。
一応過酷な労働をセーブする法律はあるけれど、必要性があれば例外もあると言うザル。
残業時間が120時間を越える月も珍しくない。
そうやって仕事に追われるから、当然プライベートも影響を受ける。
大学時代から付き合ってた彼女とは、あっという間に破局した。
もともと付き合っても長続きしない方ではあったけど、この仕事についてからは壊滅的にうまく行かない。
友達に誘われ合コンに行っても、官僚と言えば女子ウケはいいけど、付き合えばすぐに彼女は不満を漏らす。
こっちは忙しい中、誕生日や記念日はレストランにつれていくしプレゼントも用意する。
会いたいと言われればできるだけ時間は作るようにする。
それでも不満を言われる意味が分からない。
「そういうことじゃないんだよ」
そう言って、歴代の彼女は去っていった。
なんだよ、それ。
女ってめんどくさい。
何だかんだ仕事に追われ、官僚になって13年が経っていた。
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「国際安全保障政策課に異動?」
喫煙所で同期入省の飯田と一緒になった。
「うん。まあそろそろ異動の時期かなとは思ってたけど」
電子タバコのスイッチを入れながら話す。
「ああ、あそこね…堀江課長のところか」
「飯田、あそこにいたっけ?」
「いや、俺はないけど、堀江さんは一緒に働いたことあるよ。結構クセの強い人だけど、まあ仕事はやりやすいかな。それに…」
「それに?」
一瞬、飯田の目が泳ぐ。
「あそこ、斎藤いるじゃん。斎藤紀子」
「斎藤?…ああ、あの斎藤か」
名前を言われて思い出す。
斎藤も同期入省の一人だ。
民間はよく分からないけど、官僚は同期の繋がりが強い。
俺たちの同期入省のキャリア官僚は18人、そのうち女性は7人、ただ7人のうち2人は結婚や出産で辞め、1人は育休、1人は時短。
同期でフルで働き続けている女性は3人しかいない。
そのうちの一人が斎藤だ。
ただほとんど喋ったことはない。
たまに飲み会で顔を会わせるけど、斎藤は全く飲まず、いつも一次会でさっさと帰る。
確か噂で、もとは外交官希望で、ロンドン大大学院に留学もして外交官試験も受かったけど、結果本省勤務を選んでる変わり種だと聞いた。
実は東大卒だと言うのも最近知ったくらいだ。
法学部では見かけなかったから、別の学部だと出身大学が分からないことも多い。
「…斎藤って実際どんなやつなの?俺ほとんど喋ったことないんだけど」
飯田もタバコの煙を燻らせながら答えた。
「俺もほとんど喋ったことはないけど、まあ目立つからな、あいつ。こなす仕事量エグいし。あとは…あの祷雨計画だな」
「祷雨?ってあのシオガの?」
飯田はタバコの煙を吐き出す。
「そう、あんなの本当に形になるのか疑問だけど、堀江さんの猛プッシュもあって本格的に動くらしい。眉唾だけどな」
そこでちょうどお互いのタバコが尽きたので、俺たちは喫煙所を出た。
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外務省に入って真っ先に驚いたのが、異世界と普通に繋がっていたことだ。
そんなこと本当にあるのかと思ったけど、あまりにもみんな普通に話すので、驚く俺がおかしいのかと思った。
もう13年も経てば、俺もその”普通”になったわけだけど。
そのシオガとのメインの窓口を担ってるのが国際安全保障政策課だった。
その後、俺は正式にそこに異動となった。
2~3年単位で異動を繰り返すのが官僚の世界なのでもう慣れてはいるけど、新しい部署と言うのは多少は緊張する。
そしてそこには例の斎藤もいる。
結局斎藤がどんな人間なのかよく分からないまま、俺の仕事は始まった。




