第4話 祷雨のあとに残ったもの
ハウエンの祷雨は早川さんに大きな心身のダメージを与えたらしく、何日も部屋から出てこなかった。
食事の時間になっても食堂に現れず、高坂さんは心配そうにいつも早川さんが座っていた椅子を見た。
「早川さん…、大丈夫ですかね」
「…ユイさんが付き添ってらっしゃるようなので、今度聞いてみますね」
それでもまだ早川さんの席を見続ける高坂さんに、私は続けた。
「前からお願いしているように、早川さんがおられなくても龍合地訪問は続けてくださいね。送迎の契約も整っているので」
「はい…、分かりました」
高坂さんには、できるだけ龍と触れあってもらわないといけない。
本人は気づいてないようだけど、彼がシオガに派遣された目的はそれだから。
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数日後、ユイさんとすれ違ったので、声をかけた。
「すみません。早…アユミさんの具合はいかがですか?」
ユイさんは突然私に話しかけられ、驚いていた。
どうもユイさんは、私のことが苦手らしい。
シオガでは女性は男性とみだりに話してはいけないとされてるようだけど、私にまで警戒心を抱くのはやっぱり男性用のアズミルを着てるからだろうか。
「…はい、アユミさんはかなり憔悴されてますけど…一時期よりは食事を取られるようにはなってきました」
「そうですか、良かったです」
それでは、と去ろうとしたら「あの」とユイさんに呼び止められた。
なんだろうと思い振り向くと、ユイさんは少し緊張しながら話してきた。
「…前からお聞きしたかったんですけど、日本で女性が働くってどんな感じなんですか?」
「?」
質問の意図が分からず、黙っているとユイさんは続けた。
「その、アユミさんも斎藤さんも、女性が一人で自立しておられるのが本当にすごいなと思って。特に斎藤さんはすごく責任あるお仕事をされてますし。…私もこのままでいいのかなってハウエンの祷雨から思ってるんです」
ハウエンの祷雨の時、女性たちは龍を目の前にしても全く怯まず、力強く声をあげていた。
巫女の言葉は龍に命令を下すだけじゃなく、その場にいる女性の心も動かすのかもしれない。
「…人それぞれに生き方がありますから。ユイさんも、ご自身の気持ちに素直になられていいと思いますよ。日本もまだまだ不平等ですが、変わるには誰かが動かないといけませんし」
そう伝えると、ユイさんはほっとしたように微笑み「ありがとうございます」と言って頭を下げ、小走りに去っていった。
そう言えば、シオガでは男女差別が根付いているけれど、私はここで下に見られたことはないことに気付いた。
日本からの派遣だからというのがあるのかもしれないけれど、少なくとも省内よりはあっさりしてるかもしれない。
そういう面ではフラットなシオガは不思議な国だと思った。
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ハウエンの祷雨から1週間たって、ようやく早川さんは姿を見せた。
かなりやつれて顔色も悪かったけれど、どうにか気持ちを建て直してくれて、ほっとした。
少しでも気分転換になればと龍合地訪問を提案してみたが、それがうまく行ったらしく、早川さんはみるみる元気を取り戻した。
しかし、それに目を付けたのがシオガだった。
「二回目の祷雨をお願いしたいのです」
シオガは祷雨の世界発信の影響が想定以上だったらしく、かなり浮き足立っていた。
まだハウエンの祷雨から2週間しかたっていないのに早すぎる。
早川さんも「無理です」を繰り返した。
もう契約上では日本の義務は果たしている。
「これ以上、彼女に負担をかけるのは看過できません」
そうやって一方的に話を打ち切った。
「このあと私の部屋に来ませんか?」
なぜあの時、ああ言ったのか自分でも分からない。
自分の個室に他人を招くなんて、何年ぶりだろう。
あの矢野ですら、私の部屋には入れていないのに。
「ノン…アロ…?」
私の告白に対する早川さんの反応は素直だった。
なんの偏見もなく、ただ純粋に知らないだけだったようで、その反応が逆に新鮮だった。
「…斎藤さんが、男性用のアズミルを着ているのは、その、こだわりなんですか?」
戸惑いながらも聞いてくる姿に、少しおかしくなる。
分からないなりに精一杯受け入れようとしてくれる姿勢が、私には心地よかった。
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「お断りします」
再度、二回目の祷雨の依頼を受けた早川さんは、きっぱりと断った。
「例え強すぎる力を持ったとしても、目的や結果はどうであれ人を傷つける権利は誰にもないと思います。
そんな力をそもそも人が持つべきではないです。
私自身がその力を手にしたとき、どんなに恐ろしくて苦しくて、孤独だったかを知っているから」
こう言い切る早川さんは、最初に感じた脆さは完全に消え失せていた。
堂々としていて、周りを圧倒するオーラすら感じさせる。
これが選ばれし巫女の胆力かもしれない。
その後、気象学者も否定的な科学的根拠を提示し、二回目の祷雨は中止となった。




