第3話 想定どおりの衝撃
祷雨までのスケジュールが決まり、会議が散会になって廊下に出ると、ある若い小柄な男性が早川さんをじっと見ていることに気づいた。
早川さんもその視線に気づき、気まずそうに顔を背けて、高坂さんと一緒に足早に去っていった。
…なるほど、この人か。
確かこの男性はセイランさんと言うリョウガさんの部下だ。
話したことはないが、いつも真面目に働いてる印象がある。
私の視線に気づいたセイランさんはちょっと驚いたように目を見開き、そしてそれをスッと逸らした。
「…あなたが早川さんに、祷雨は龍の命が犠牲になると吹き込んだんですか?」
まさか私に話しかけられると思ってなかったらしい彼は一瞬固まったけど、覚悟を決めたようにこっちを見てきた。
「…吹き込んだとは人聞きが悪いですね。私は彼女に事実をお伝えしただけです。
現実を知らないまま祷雨の巫女として祀り上げられて、気の毒じゃないですか」
「祀り上げたわけではありません。特殊な能力を持っておられる方に、ご協力をお願いしているだけです」
するとセイランさんはフッと笑った。
「”ご協力”ですか。政治に携わる方が言いがちな言葉だ」
彼は鋭い目線でこちらを見つめながら続ける。
「祷雨は確かにいろんな面で世間に衝撃を与えるでしょう。でもそんな目先の結果を求めていると、将来とんでもないことになりかねませんよ」
「目の前の問題に一つずつ向き合っていくことも大切です。将来は現在の積み重ねですから」
沈黙が訪れる。
するとそこへリョウガさんの声が響いた。
「セイラン!何をしている。早く来い」
セイランさんはリョウガさんに
「はい、ただいま参ります」
と答え、軽く会釈をして走って去っていった。
その後ろ姿を見つめる。
…ああいう人でも、シオガでは雑用係として使ってるのか。
もったいないな。
「…官僚に欲しいかも」
思わずそう呟いていた。
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その後、無事に行われた黒龍祷雨の儀式は、圧巻だった。
私も龍合地で日光浴をしている龍しか見たことがなかったけれど、祷雨の龍として現れたメイリンは凄まじい存在感を放っていた。
早川さんの祈りの言葉につられ、女性たちが徐々に集まっていく。
彼女たちがあげた声が大気を震わせ、地面が唸る。
空気は静電気が走っているように皮膚がピリピリし始めた。
男性たちはなす術もなく立ち尽くし、へたり込んでいる人もいる。
隣にいるリョウガさんも高坂さんも、食い入るように見つめて微動だにしない。
そんな男女ではっきり分かれる反応の中で、どちらにもならない私は、一人冷静に見つめていた。
この時ほど、自分の性自認に感謝したことはないかもしれない。
この状況を客観視できるのは、自分だけだから。
この光景は今、カーランティで全世界に生中継されている。
どんな反応が起きているんだろう。
SNSがあったら一気に盛り上がってるだろうに。
この光景を戦略資産として使わない手はない。
これを日本で行えば、確実に他国への威圧になる。
その後、無事に祷雨は成功し、大粒の雨が激しく打ち付けた。
大役を終え、座り込んでいる早川さんに近づく。
「早川さん、お疲れさまです」
こちらを見た早川さんは、かなりのショックを受けているようだった。
きれいな顔は涙でグチャグチャになり、顔色も青ざめている。
かわいそうに。
でも、かわいそうと思うと同時に、私は計算していた。
この人がいれば日本で祷雨を再現できる——確実に。
それを思うと、顔に笑みが浮かぶのが止められなかった。
想定どおり、祷雨の光景をテレビで見た世界中の人たちはかなり衝撃を受けたらしい。
シオガで頻発していた領空侵犯などの嫌がらせはパタリとやみ、外国にあるシオガの大使館には問い合わせが殺到していると聞いた。
リョウガさんたちは、この成果にとても気をよくしていた。
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件名:【速報】祷雨儀、成功報告
矢野さん。
お疲れ様です。シオガの斎藤です。
昨日16時過ぎ、祷雨儀が成功しました。
映像記録は整理次第、SDカードに保存します。
お手数ですが、そちらの回収業者の手配をお願いしたく思います。
巫女も動揺なく冷静に対応しており、シオガ関係者にも結果にとても満足いただいているようです。
なお、本件は省内共有は慎重にお願いします(堀江課長には私から報告予定です)。
以前から話を進めていた神羅儀神社への調整も、対応していただけると幸いです。
今夜、簡易の経過報告をまとめて送ります。取り急ぎ、第一報まで。
斎藤
件名:Re:【速報】祷雨儀、成功報告
斎藤さん。
お疲れ様です。矢野です。
祷雨儀のご報告ありがとうございました。
成功してこちらも安堵しております。
配送業者ですが、明後日にはそちらに伺えるよう手配いたします。
ご対応よろしくお願いいたします。
なお、ご報告が遅れましたが、この度私は国際安全保障企画課への異動が決まりました。
これからの業務対応は、白井さんに引き継ぐことになります。
報告が遅れ申し訳ありません。
引き続きよろしくお願いいたします。
矢野
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矢野が異動?
一瞬、思考が止まった。
けれど、矢野は今の課でもうすぐ三年、異動の時期としては妥当かもしれない。
私と堀江課長は祷雨計画担当として三年を越えて在任しているけれど、これは官僚としてはかなり異例だ。
──“仕方ない”。そう頭で理解している。
でも、なぜか胸の奥に風が通り抜けるような感覚があった。
指先が一瞬だけキーボードの上で止まりつつも、いつものお礼の定型メールを送り、私はパソコンを閉じた。




