第9話 水玉とクイーンズイングリッシュ
米英合同の安全保障の合同ドラフトが終わり、廊下を歩きながら斎藤と話す。
「なあ、あの“If I may”ってやつ、回りくどくない?」
斎藤はさらっと答える。
「外交は回りくどいくらいがちょうどいいんです。矢野さんみたいに‘bottom line’とか言ったら角が立ちます」
「でも通じただろ?向こうも納得してたし」
「納得はしてましたけど、ああいう場では印象が残りすぎるのもリスクですよ」
「だから堅実派なんだよな、お前」
俺は軽く肩をすくめた。
「…でも最後の締めの言葉はさすがだなって思った。ああいうときはやっぱり英国英語が映えるな」
斎藤はふっと目を細める。
「その後の矢野さんのカジュアルな言い回しで、会議は前向きに終わりましたよね。あれこそさすがです」
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俺と斎藤は仕事のスタンスもだけど、英語に対しても考え方が違う。
俺はアメリカで生まれ育ったから英語は自然に染み付いてるけど、斎藤はロンドン大大学院に留学し努力して英語を身に付けた。
米国英語と英国英語は前者が直截的、後者が湾曲な表現が多いと言うのもあるけど、俺はどちらかと言うと通じればOKタイプ、斎藤は細かい表現まで正確にしたいタイプだ。
正直そんなに気を張らなくてもと思うけど、この間、初めて斎藤のマンションに行って納得がいった。
斎藤は既に文京区に2LDKのマンションを購入していたけど、その一室が本棚で埋め尽くされていた。
そこにあるのは、ほぼ仕事に関する本や資料。
その中でも特に英英辞典や英語専門書、文法書、論文などが大量に並んでいた。
目についた一冊を抜いて見てみると初版は去年。
要は今もずっと英語の勉強を続けてるわけだ。
それを見てる俺の横に斎藤がぴったりくっついてきた。
「…勉強、続けてるんだな」
「うん、英語って奥が深いし。やっぱり英語は矢野には敵わないと思う」
「俺はアメリカ英語だから。斎藤は発音もいいし、クイーンズイングリッシュは肝心なところで締まるじゃん」
「でも、まだまだだなって思う」
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…その時のことを思い出しながら、周りに誰もいないのを確認して斎藤に小声で聞いた。
「今日行けるの多分21時回ると思う。それでもいい?」
「わかった。簡単に食べられるもの用意しとく?」
「助かる」
「ビールも冷やしとくね」
そう言って俺たちはそれぞれのフロアに戻った。
その日の夜21時を少し回ったところで、斎藤のマンションにつく。
出迎えてくれた斎藤は既に部屋着に着替えていた。
部屋着は半袖短パンで、青の水玉柄が妙にかわいい。
…なんだ、そのギャップは。
「いらっしゃい。先にご飯食べる?」
「うん、腹減った」
「冷蔵庫に適当に入れてあるから勝手に食べて。私やることあるから寝室にいるね」
やることってなんだろう?
不思議に思いながら冷蔵庫を開けると冷えたビール、となりにはチーズ盛り合わせ、トマトのサラダ、そしてガーリックチャーハンが入っていた。
チャーハンは勝手にレンジでチンして、それらをありがたくいただく。
斎藤の手料理が食べられる未来なんて考えてなかったな。
ところであいつ寝室で何してるんだろう?
食べ終わった食器を食洗機にいれスイッチをいれると、俺は様子を見に寝室に行った。
まさか寝てるんじゃ…と思ったけど、斎藤はセミダブルのベッドの上に書類を広げ真剣に何かを書いていた。
完全に仕事モードで書類に向かってるのに、ベッドの上であのかわいい水玉の部屋着を着て、あぐらをかいてる斎藤が妙にシュールだ。
本人が至って真面目なのが、かえっておかしい。
「…それ、今必要なの?」
「うん、今日やっとかないと明日に響くから。多分30分くらいで終わる」
あ、そう。
「あ、矢野。ここどう思う?意見欲しい」
「…はいはい、どこ?」
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俺がシャワーを浴びてる間にけりをつけたらしく、戻ったときにはもう斎藤はベッドの中にいた。
「もう寝る?」
「うん、眠くなってきた」
部屋の明かりを消して、空いてる方のベッドに横になると、斎藤がすぐにくっついてきた。
「…矢野」
「うん?」
「前から思ってたけど…」
寝落ち寸前のようで言葉があやふやになってる。
「匂い、落ち着く。…お休み、ゆう…き」
そのまますうっと寝入っていった。
「…お前なあ…」
呟きながら斎藤の頭を抱き寄せた。
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そんなある日、喫煙所で同期の飯田と一緒になった。
「よう」
タバコを咥えたまま挨拶してくる。
俺も電子タバコのスイッチを入れる。
他には誰もいなかった。
「企画課どう?」
「課長の山本さんとは、前も一緒だったことあるからやりやすいよ。飯田は推進課に異動だったっけ?」
「うん、みんないい人なんだけど、新島がいるんだよな。あいつ結構ミス多いから、そのフォローは大変」
あの新島か…
あの同期飲み以来会ってないな。
と思ってると、おもむろに飯田が口を開いた。
「矢野、あのさ……俺この間、お前と斎藤が歩いてるの見たよ」
「…!」
吸った煙で噎せそうになる。
「あの近所、俺の嫁の実家があるんだよ。
去年の同期飲みで、お前斎藤いじられてキレてたじゃん。あの時、あれ?って思ったんだよね」
飯田は吸い殻を灰皿に押し付けた。
「まあ、俺は誰にも言うつもりないからさ。…うまくやれよ」
そう言って飯田は喫煙所から出ていった。
…あの同期飲みの時から気づかれてた?
その事実に、俺はしばらく固まって動けなかった。




