第11話 関所に暫・点を灯せ
【前ループの変更点】
・関所掲示板に「暫・点(保留+保護)」を持ち込み、三読同時の多読録画で固定を試行
・暫溝の返し構造を常設化(石製のクサビで入れ替え可能に)
・屋根上見張りの常設手順(夜明け前交代・二名一組・合図は指一本→二本)
・外書記との“読むだけ交換文”を作成(名の密輸線を記号で遮断)
薄明の道は静かで、石柱の刻みだけが呼吸をしていた。関所の壁には昨日より紙が増え、丸と×と//の列の下に、空白がひとつ開いている。そこへ僕たちは、新しい印を貼る。ひし形に小さな点——暫・点。紙の下縁には短い文。
「仮は、守る」
三人で同時に読む。僕、リオ、ミラ。指を一本上げ、終わりにもう一本。関所番は目を細め、帳面の欄外に同じ印を写した。
「これ、審査来るぞ」
リオが笑わずに言うと、番も笑わずに返す。
「審査は紙に来る。紙で受ける」
戻り道で、屋根の上に影が動いた。見張りの交代。ダゲンが二本指を立て、少年が一本で応える。合図は短いほど強い。短いほど誤読しにくい。屋根の軒に吊った小さな金属片が風で鳴り、点火の種が落ちれば音程が変わる仕掛けも付いた。音は火にならない。火は音に弱い。
石盤の裏では、暫の溝に入れた返しを木から石のクサビに替えた。外からの小細工で抜けないよう、裏からひと叩きで抜けるよう。守りは固く、逃げ道は近く。囲いは罠にもなるから。
午下がり、灰色の外套が門影に立った。外の書記——昨日の若い男だ。胸の記号は新しいインクの匂い。
「交換を」
彼は“読むだけ交換文”を差し出す。短い文の紙束。
『閲覧専用。転写可。改変不可。名は空欄』
僕は会所の壁から同じ構造の紙を剥がし、「暫・点」の印だけを添えて渡す。
「読み合いだけ。名は載せない」
男は頷く。
「名を載せた紙は、名だけが歩く」
「記号を載せた紙は、歩きながら痩せる」
彼は目を細めて笑い、紙束を胸に押し当てると、読まずに一度だけ深呼吸した。読む前に息を揃える。読みの儀式は、燃やす儀式より軽い。
夕刻、会所で短い会合。長は印の入った小札を机に並べ、ナヘルは祈りの文を二行に短縮した。
「疑いは保留。命は保護」
リオは宰席宛ての送辞を清書する。末尾に暫・点。
「本朝、儀式完了。未処刑。暫・点——保留し、保護す」
文字が乾く前に、綺がふらりと会所に入ってきた。杖は持たず、手には薄い冊子。閲覧専用の規格書に、手書きの注が挟まっている。
「宰席からの返書。『暫・点は暫定受理。ただし“点火の種”について注意喚起』」
「種は誰が配っている」
「宰席ではない。“外の外”」
綺は紙を軽く叩いた。「読む網の外側に、名を集めて火にして売る連中がいる」
その時、鐘楼の上で金属片が高く鳴った。屋根の合図。二度、三度。ダゲンの低い声が続く。
「種、落下」
僕らは広場へ走る。朝のルールはもうないが、足音は自然に石盤へ寄ってしまう。癖は儀式の一部だ。
見張りの少年が屋根から指を二本立て、井戸の屋根と粉屋の軒の境を示した。そこに小さな黒い粒が三つ、点々と残っている。拾い上げると、昨日のものより軽い。殻の内側に乾いた粉。擦ると発火する仕組みだ。
「粉屋の粉の匂いに紛れるよう、配合を変えてある」
ミラが眉を寄せ、鼻で嗅いだだけで言った。
「誰が」
僕が問うと、綺が門の外を顎で示す。
「外の外の書記じゃない。外の外の“煽り役”」
ナヘルが静かに息を吐く。
「祈りに新しい一行を加える。『煽りの名には、応じない』」
種は火の近道だ。近道は楽だ。楽は、広がる。
僕は種を石盤の裏へ持ち込み、暫の溝の返しのさらに上流に、もうひとつ浅い“逃がし”を刻んだ。落ちた種が燃えようとすると、熱が逆流して外へ抜ける仕組み。火は空気を欲しがる。空気を抜けば、火は痩せる。
夜、関所の紙が増えていた。誰かが暫・点の横に小さな線を描き足している。ひし形の底辺に、短い横棒。見たことのない印だ。
「これは」
リオが指でなぞる。綺が肩をすくめる。
「外の外の合図。“仮を売る”の印」
「印の海に、印で返す」
僕は会所の紙に同じ形を描き、上に斜線で打ち消しを入れた。
「仮は売らない。貸す」
ミラが木札に一語増やす。
「読む→指→笑う→食べる→貸す」
ダゲンが笑った。
「貸し借りのほうが、喧嘩になりにくい」
深夜、門影で足音。外の書記が戻ってきた。肩で息をしている。
「読んだ。外の掲示にも暫・点が貼られた。いくつかは、底辺に横棒が付けられた」
「売られた仮」
「でも——」
彼は息を整え、微かに笑った。
「三十のうち二十は、その横棒に斜線が引かれていた。『貸す』が伝わった」
読むは、早い。売るよりも。売るのは一度、貸すのは繰り返す。繰り返すほうが、印は濃くなる。
明け方、屋根の金属片は鳴らなかった。点火の種は落ちない。石盤の裏で、返しと逃がしは冷たく、木は乾いている。
長は会所印の紙を掲げ、短く言った。
「本朝、儀式完了。未処刑。暫・点」
ナヘルは祈りを一行だけ読んだ。
「疑いは保留。命は保護」
綺は監視盤を指で弾き、外の明滅が弱いことを確かめる。
リオは宰席への送辞を封じる前に、筆を止めず呟いた。
「未処刑は“手順”から“文化”へ」
鐘楼が四つ打つ。
生活の鐘。
巻き戻りはない。胸の煤は四粒のまま。視界の端の暗さも、まだ。
だけど、仮は増え、印は濃くなった。火は、痩せる方向に慣れつつある。
その時、門の外で旗が翻った。綺の隊の旗ではない。布は黒に近く、縁取りが金。中央に、ひし形の中へ針のような線が突き刺さっている。
「外の外の“煽り役”の旗」
綺が低く言う。「名を売り、火を貸し、最後に設計を買い取る者たち」
旗の下の先頭が声を張った。
「公開の投票を、今朝、ここで再開する!」
ざわめき。
火は燃やすより、騒ぎで太る。
僕は宣誓台に立ち、会所の紙を掲げた。
「読む。『本朝、儀式完了。未処刑。暫・点——保留し、保護す』」
三つの声が重なり、指が上がる。
綺は無言で旗を見返し、杖を持っていない両手をわずかに広げた。
「読む側の合図で、燃やす側の合図を上書きする。やってみる価値はある」
ダゲンが門柱に肩を預け、低く笑う。
「転ぶ準備はできてる」
旗の集団が円陣を組み、ひとりが石の玉をひとつ指で弾いた。
金属片が高く鳴り——
屋根の上の少年が指を二本立てる。
合図は短いほど強い。
短いほど、火に勝てる。
【次回の実験】
・“煽り旗”の公開投票を多読録画で包囲(読む声の輪→旗の内側へ浸透)
・石の玉に対して逃がし溝の二段化(熱の逆流をさらに早める)
・旗側の合図体系を“貸す”で乗っ取り、名の販売線を記号の貸与線に変換——燃やす儀式を、読む儀式で包囲する。




