第9話:不穏な可能性
先に動いたのはセシルだった。
「ニーナ! 今の詠唱について教えてちょうだい! どこで知ったの!?」
「セシル君、あまり近づいてはダメだよ! まだ感染しないと決まったわけじゃないんだ!」
リリカが慌てて止めるのも構わず、セシルは身を乗り出すようにして迫る。
今朝、ロベルトから聞いた奇妙な呪文詠唱A。
まさしく、そのものだった。
セシルの必死の頼みに、ニーナは虚ろな瞳を向ける。
「ど、どうしたの……ですか……セシル先輩。いったい……なに……? 教えてもらったのは……あたくしが……通っ……サ……」
呟くように言うと、ニーナはがくりと気を失った。
毛布をかけ直したセシルは、リリカ、そしてロベルトとともに病室を出る。
廊下は他に誰もおらず、がらんどうとした雰囲気がどことなく不気味だった。
予期せぬ再会を見た呪文詠唱A。
――もしかしたら、紫呪病と何かしら関連性があるかもしれない……。ニーナが病気になったのはたまたまかもしれないけど……。
そう考えたセシルはリリカに尋ねる。
「ねぇ、リリカ。呪文詠唱そのものが原因で体調不良になることって、ある?」
「……いや、聞いたことはないね。体調不良にさせる魔法ならまだしも、呪文詠唱自体が原因になるなんてまったくその事例を知らないよ」
「なるほど……。ニーナが元気になったら話を聞いてみましょう」
事例はない、と聞いたセシルは暫し思案した後、ロベルトに真摯な瞳で向き直った。
「ロベルト様、お手数をおかけしますが、エル村での魔法事故の件について、なるべく早く新人魔法騎士さんからお話を聞くことはできますか? もしかしたら、ニーナと何かしらの共通点があるかもしれません」
彼女の推測に、ロベルトもまた真面目な表情で頷く。
「承知した。私もなるべく早い方がいいだろうと思っていた。今日の終業時間までに使いの者を記録部に寄越すから、そこで日程を聞いてくれ」
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
軽く打ち合わせた後、ロベルトは颯爽と立ち去る。
今朝と同じように深く頭を下げて見送ったセシルが顔を上げると、リリカがほくそ笑んでいた。
「ずいぶんと"血の申し子"と打ち解けてきたみたいだね。セシル君を見る視線も柔らかかったし。いやはや、羨ましい限りだ。これじゃあ、宮殿中の令嬢の注目を集めてしまうのも無理はない。ボクは安全地帯から見物させてもらうよ」
リリカの無責任な笑みを見ていると、昼食の一件が思い出された。
「……そういえば、リリカには南方山脈に住む魔物の生態ついての本を貸していたわよね?」
「そうだね、まだ半分ほどしか読めていないけど」
「魔物の今後の進化に対する考察を、来週までに羊皮紙20枚にまとめなさい。達成できなきゃもう本は貸さないから」
「えっ!? そ、それは困るよっ。ボクは宮殿図書館に行けないからセシル君に本を借りてるのに! どうしてそんな苦行を強いるんだい!?」
「どうしてもよ」
食べ物の恨みは根深かった。




