第8話:予期せぬ再会と呪文詠唱
「そう……。よかったのか悪かったのかわからないわね」
「ボクに言わせれば、"よかった"方に該当されるだろうね。わかるかい、セシル君。流行病とは、今流行っている病のことを言うのさ」
「もちろん知っているけど……」
「それはつまり、流行しているから少しずつ治療法らしきものが確立されつつある……という意味だよ。ボクの調合したこの薬が、ある程度の効果を示してくれている。ノイエンアー嬢にもさっそく飲ませたから、症状は落ち着いていくはずさ。苦くて飲みたくないって言ってたから無理やり飲ませたけどね」
「そうなの……よかった……」
琥珀色の液体が入った小瓶を揺らすリリカに、セシルは安堵のため息を吐く。
同時に、"とある疑問"が浮かんだ。
「他の薬とか、回復魔法は効果がないの? 半年くらい前に、どんな病気にも効く万能薬を開発したって言っていたじゃない」
セシルが尋ねると、リリカは気難しい表情で首を横に振った。
「国内における回復魔法はいずれも効力を示さない。標準詠唱はもちろん、この地域における地方詠唱も試したけどまるで効果がない。回復薬の類いも同様だね。これまでの臨床結果から、王国で開発された全ての薬ではこの病気――ボクは紫呪病と名付けたのだけど――を、寛解させるに至らないんだ」
想像以上に厄介な病ということを聞かされ、セシルは背筋に悪寒が走るようだった。
「そんなに危ない病気だったなんて……。じゃ、じゃあ、その薬はなに?」
「皮肉なことに、王国と仲が悪いガルダリス帝国で栽培された薬草を四種類煎じた薬さ。回復効果をもたらす配合を調べるのに随分と苦労したよ。かの国との交易は徐々に断絶されつつあるが、この四種類の薬草だけは輸入できるよう外務部に申請している」
「帝国の薬草…… ニーナの容態はどう?」
「ノイエンアー嬢はしばらく安静が必要だね。彼女の症状――熱の高さや、一分間の呼吸数、身体の斑点模様の範囲、嘔気が出現する間隔などから考えて、四日と六時間も経てば退院できると思う。この病気が初めて確認されてから、だいたい一ヶ月経つ。詳細は不明ながらも、少しずつ症状の経緯が推測できるようになってきたよ」
「すごい。さすが、リリカ。大学でずっと一番だっただけはあるわ」
「もったいない言葉をありがとう。セシル君が呪文詠唱の記録を採るのが好きなように、ボクはコレクションの様々な身体データを採るのが好きなだけさ」
「やっていることは立派だけど、患者さんのことをコレクションと呼ぶのはいい加減やめなさいね」
リリカは今まで同じ症状で訪れた患者から膨大なデータを集めており、少しずつ病態と対処法――あくまで対症療法ではあるが。
ニーナの疾患がまったく未知の新しい病気だったら、それこそ対処のしようがなかったところだ。
ひとまずニーナに命の危険はないことに安心したものの、セシルはやはり気になった。
「原因は何なの?」
「それがわからないんだ。一般的な感冒と同じか、魔物の毒なのか、はたまた未確認の呪いによるものか……。現時点では、どれもはっきりとは否定できない。ただ一つだけ予想していることがあるよ。ボクの勘にはなるが……これは感染症ではないと思う」
「感染症じゃない? 流行病なのに?」
「ああ、それがこの病気の不思議なところさ。一応、コレクション……ごほんっ。患者はみな同じ部屋に入院させているけどね。未だ、クラスターや集団発生の報告もなく患者はいつも単独で訪れるんだ。主に治療に当たるボクが同じ症状になったこともない。まぁ、これはボクの衛生管理が徹底しているとも言えるね」
そこまで話したところで、扉が鋭くノックされる。
リリカが応じると、医術師が顔を出した。
「リリカ先生、少しよろしいでしょうか。お客様でございます」
「ボクに客? 珍しいね。セシル君、ちょっとここで待っててくれたまえ」
来客の元に向かう彼女を見送ると、セシルは自然と今聞いた話を反芻した。
――人に感染しない流行病なんてあるのかしら。私も健康には気をつけないと。でも、何か引っかかるような……。
あれこれと考えるが自分は医術の専門家ではないので、思索を巡らすだけに留まった。
気がつくと、目の前に意味深な笑みを浮かべたリリカがいる。
「お待たせ、セシル君。ずいぶんと考え込んでいるようじゃないか」
「いえ、ちょっと流行病のことを心配していただけよ。じゃあ、私は最後にニーナの様子を見てから記録部に戻るわ。仕事も立て込んでいるし」
「帰る前に、"彼"に挨拶をしてはどうだい?」
「"彼"?」
「まぁ、会ってみてのお楽しみさ」
やけに嬉しそうなリリカに連れられ病室に行くと、見るも麗しい偉丈夫な男性が立っていた。
満月を思わせる白銀の髪から覗き見えるは、血で染まったような赤い瞳。
"彼"の周囲だけ世界の光が差し込んでいるのでは?と思うほど、美しいオーラに満ちていた。
そして、自分は今朝、この男性に会っている。
「……ロベルト様?」
「……セシル?」
"彼"とは、ロベルトだった。
まさか再会するとは思わず、セシルは驚いた。
目を見開く彼女を見て、当のロベルトは凄みのある笑みを浮かべる。
「なんだ、今朝ぶりだな。どうした? 君はずっと記録部の中に住んでいるものだと思ったが」
「同僚が流行病にかかり体調を崩しまして、その見舞いです。ロベルト様こそ、なぜ医務部にいらっしゃったのですか?」
「ほぅ、奇遇だな。私も見舞いにきた。魔法騎士団でも流行病――紫呪病と言ったか――が流行り出していてな。今日も部下が一名倒れたと報告を受け、見舞いにきた次第だ。そこのモンシプール嬢が暫し待て、という話だからここで待っていた」
「えっ、そうなんですか。心配ですね」
「部隊の編成にも支障が出るから対応に苦慮している。しかし、記録部でも病人が出たか。これ以上の被害が出る前に、宮殿の最も優秀な医術師に早く原因を突き止めてほしいものだが……」
そう言って、ロベルトはリリカを見やる。
視線の鋭さにセシルはすっかり怖じ気づいてしまったが、リリカはいけしゃあしゃあと答える。
「申し訳ありません、シュナイダー卿。小生も努力はしておりますが、なかなか厄介な病でございまして。必ずや終息させますので、どうかご安心くださいますよう」
ロベルトの睨みをまったく気にしないのだからすごいと、セシルは素直に思う。
そのまま、リリカはやけににこやかな笑みで言葉を続ける。
「さて、念のため、お見舞いの前に感染防御の魔法を行使しましょう。気休めにしかならないかもしれませんが、無いよりはマシですのでね。ただ、相手は未知の病気ですから、あまり患者には近寄らないように……〔これは穢れを祓う 禊ぎの結界 病 疾病 この世の不調 我らは決して罹患せず 清廉 健全 健やかなる魂の身〕」
リリカが呪文を詠唱すると、その場にいる三人の身体を白っぽい膜が覆う。
そのまま彼女に促され、セシルはロベルトとともに病室に足を踏み入れた。
患者は全部で四人。
右手前のベッドにニーナが横たわり、左手前のベッドに魔法騎士が寝る。
他の二人はまた別の患者で、力なく眠っていた。
窓は開けられ換気は行われているというのに、どことなく陰気な空気が漂う。
セシルとロベルトはそれぞれの病人の元に向かった。
「ニーナ、大丈夫?」
「まだ……気持、ち悪い……です。うっ……セシル先輩の顔を見たら吐き気が……っ!」
そっと覗き込んだ瞬間口に手を当てられ、セシルは少々いたたまれない心境になった。
一方のロベルトもまた、慎重に部下の容態を窺う。
「おい、ベッカー嬢、大事ないか?」
静かに呼びかけるが、瞼がわずかばかり動くだけで応答はない。
その様子を見て、リリカが容態を補足する。
「シュナイダー卿。彼女は症状が重く、意志の疎通はまだ困難な状況であります。退院は六日ほどかかるかと」
「ふむ……そうか。引き続き、治療を頼む」
長居は無用であり、見舞いは早々に終わった。
セシルは顔を見せないように配慮しながら、記録部に戻ってみなに伝えることをニーナに告げる。
そのまま、病室を出ようとしたとき。
ニーナがぼそぼそと、とある呪文を詠唱し始めた。
「セシル、あの呪文はなんだ?」
「……化粧の魔法です」
問いに、セシルは思わず額に手を当てて答えた。
こんな状況にも拘わらず、ニーナは見目を麗しくする魔法を唱えだした。
おそらく、ザグルからロベルトに狙いを変えたと思われる。
「〔……光よ 輝きよ 煌めきよ 我が貌に纏われ給え さすれば 我が貌は宝玉なり ●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q……〕」
ニーナが呟いた呪文詠唱を聞いた瞬間、セシルとロベルトは顔を見合わせた。




