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第3話:奇妙な呪文詠唱

 セシルは記録部が持つ会議室の一つにロベルトを案内した。

 十人ほどが入れる中くらいの大きさで、長机と椅子だけが置かれたシンプルな内装だ。


「……こちらにどうぞ、シュナイダー様。本日使う予定はありませんので、時間を気にせずお話できると思います」

「そうか、ありがとう」


 記録部の主室から歩きながら迅速に考えた結果、この部屋を選んだ。


 ――広すぎても狭すぎても失礼になりそうだからほどほどの部屋にご案内したのだけど、大丈夫だったかしら……。

 

 そんなことを思いながらロベルトの対面に座ると、先ほどより絵画の顔が近くなり、セシルの心臓はとくんと鼓動する。

 恋愛的な感情というよりは、高価な彫刻や貴重な壺などを前にしたとき緊張する感覚と似ていた。


 ――なんだか、芸術品を鑑賞している気分。同じ人間なのに、私と顔の質が全然違うのはなぜ? 人間って不思議……。


 まじまじと眺めていたら、ロベルトと視線がぶつかった。

 太陽の如く力強くも紅玉のような美しさを讃えた瞳が、セシルに飛び込んでくる。


「どうした? 私の顔がおかしいのか?」

「いえ、何もおかしくなどありません。それこそ、計算し尽くされた絵画のように整っていらっしゃいます」

「絵画のように……」


 セシルの言葉に首を傾げつつ、ロベルトは言う。


「先ほどの君は見事だった。複雑な話なのに説明はわかりやすかったし、何より物怖じしない性格が素晴らしい。芯の通った女性は頼もしいから、私は好きだ」

「もったいないお言葉をありがとうございます」

「いや、あの問答だけで君の優秀さが伝わってきたくらいだ」


 実際、十年前にセシルが記録部に入職してから、この国の詠唱分野は著しく発展した。

 本人には自覚がなかったが、彼女の調査力・フィールドワーク力は歴代一だったのだ。

 今までの記録官では、到底成し遂げられなかった業績が何十件もある。


 先刻、ユルゲンの罵倒に出てきたサヴァ族は、排他的な民族で有名だった。

 何人もの記録官が詠唱を採ろうと居住地域に向かったが悉く拒否され、詠唱の採録は無理だと考えられた。

 ところが、セシルはサヴァ族の伝統的な民族衣装を自分で製作して着用したり、伝統化粧を顔に施したり、彼らの歌や踊りを練習するなど、"心の隔たり"が無くなるよう努力した。

 結果、サヴァ族は「セシルになら」と、一族に伝わる貴重な呪文詠唱を教えてくれたのだ。 

 元より、セシルは自分の実績を対外的に主張する性格ではなく、記録部全体の業績という扱いにしていたので、宮殿における彼女の存在感はそれほど強くなかったが……。


「まぁ、私はこの仕事が好きなので、毎日勉強や仕事に邁進している方だとは思います。そのおかげですっかり行き遅れてしまいましたが、ははっ」

「う、うむ、反応に困るな」


 セシルの自虐を聞いたロベルトは、軽く咳払いをしてから切り出した。


「……さて、本題に入ろう。まずは資料を見てほしい。先日、東のエル村にて発生した魔法事故の記録だ。王国魔法騎士団には見習い部門があるのだが、そこの新人魔法騎士が起こしてしまった事故だ」


 宮殿から馬車で東に五日ほど進むと、エル村と呼ばれる人口百人ほどの長閑で小さな村がある。

 そこで発生した事故について机の上に何枚かの資料が置かれ、セシルは真剣に読み始めた。

「新人の女魔法騎士が教育係の魔法騎士とともに、宮殿からの文書を届ける任務で事故は発生した。事故の内容は、馬車の暴走による民家への衝突。物的被害は民家の中破が一軒、王国魔法騎士団の馬車の大破。人的被害は魔法騎士二名が重軽傷。ともに、命に別状はない……よかった、死んではいないのですね」

「ああ、二人とも生きている。怪我の程度は新人の方が重く、彼女はまだ訓練禁止の身だ」

「承知しました。続けます……。当時は、悪天候のため予定より任務が遅れていた。復路を迅速に進むにあたり、新人女魔法騎士は"馬の走力を上げる魔法"を詠唱。だが、誤ってエル村の隣に位置するルイン村の地方詠唱を選択したため、事故が誘発された。……なるほど。二つの村の詠唱は似ていますから、間違えてしまったのでしょうね」

「君の言う通りの背景だ。本人も知識が足りなかったと反省している」


 エル村における"馬の走力を上げる魔法"は〔風の精霊 大地の精霊 力を貸し与えたもう さすれば 疾走する四つの蹄は 軽やかなり〕。

 一方、ルイン村は〔風の精霊 大地の精霊 力を貸し与えたもう さすれば 駆ける獣の旅人は 軽やかなり〕。

 馬の表現に関するわずかな違いが、魔法事故という大きな結果となって現れた。

 それくらい、本来なら魔法とは扱いが難しい存在なのだ。

 事故の原因は単純なケアレスミスだと思うセシルに、ロベルトは幾分か硬い表情で切り出す。


「さて、ここからが本題だ。新人が地方詠唱を唱えたとき、冒頭に"とある詠唱"を付けたらしい。それが"これ"だ。騎士団で魔法に詳しい人間にも聞いたが、みなわからないと言っていた」

「…………ん?」


 ロベルトは一番下の紙を取り出す。

 そこに書かれていたのは、呪文詠唱に精通するセシルでさえ見たこともない詠唱だった。



〔●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q〕


 

 第一印象は、"意味のわからない単語の羅列"だった。

 即座に脳裏で、今まで見聞きした全ての詠唱と照らし合わせるが、発音の仕方もよくわからない。

 冷淡で無機質で、言葉なのにどこか不快な異物感をセシルは覚えた。


「なん……ですかね、この呪文詠唱は……」

「やはり、君も知らないか」

「はい、このような詠唱形式は聞いたことも見たこともまったくありません」

「ふむ……。ちなみに、このように発音するようだ」


 ロベルトは奇妙な呪文詠唱の下に発音を記す。

 だが、それを見てもセシルは意味がわからなかった。

 会話は途切れ、室内に不気味な静寂が横たわる。

 時計の針が時を刻む機械的な音が聞こえる中、セシルはロベルトに尋ねた。


「新人さんはなんと?」

「"友達から教えてもらった流行りの言葉"……と話している。意味はよく知らないそうだ」

「流行りの言葉、ですか。呪文詠唱に付随させて使う事例も初めて聞きました」


 セシルはどこか、得体の知れない薄気味悪さを感じる。


 ――"流行りの言葉"というのも気になる……。私は流行に疎いけど、知らないところで流行っているのかしら?


 考えを巡らしていると、ロベルトが言った。

 

「そこで、だ。この謎の呪文詠唱について、君に調査を頼みたい。君も知っての通り、我々魔法騎士は魔法を使い敵と戦う。危険な呪文詠唱があるならば、事前に把握しておかねばならない。これは国を守る者の責務として当然のことなんだ」


 ロベルトが真剣な表情で語ると、その銀髪が美しく煌めいた。

 燃えるような赤い瞳から国を真摯に思う、強い気持ちが伝わる。

 当然の如く、セシルの答えは一つしかない。


「はい、ぜひやらせてください。この謎の呪文詠唱――仮に、呪文詠唱Aとでもしておきましょうか――は私も気になりますし、正体をはっきりさせたいです」

「ありがとう。君なら突き止められるはずだ」


 わずかに頬が緩んだロベルトを見て、セシルは肩の力がわずかに緩んだ。

 記録部を訪れたときより、ほんの少しだけだが距離が縮んだ……ような気がする。


「では、調査を進めてまいります。どんな効力があるかわかりませんので、調査が終わるまでは詠唱しないよう、魔法騎士の皆さんにお伝え願えますか?」

「ああ、もちろんだ。件の新人ももう唱えないとは言っているが、念のため再周知しておく。他に何か私にできることはないか?」


 ロベルトに言われ思案したセシルは、一つだけお願いすることにした。 


「でしたら、一度新人さんに直接お話を聞いてみたいです。事情聴取以上の内容は出てこないと思いますが」

「いや、呪文詠唱記録官の立場で聞いた場合、また新たな発見があるかもしれない。早急に手配をしておこう」

「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」

「ああ、これからも君とは話す機会が多くなりそうだ。さて、また何かあったら騎士団を尋ねてくれ。私はもう出なければならない。ガルダリス帝国との件で会議が続いていてな。この後も軍事会議だ」

「それは……お疲れ様でございます」


 ロベルトのため息交じりの言葉に、セシルは片付けを進めながら応える。

 リデール王国の北東に位置する巨大な軍事帝国――ガルダリス帝国は、好戦的な国として知られていた。

 周辺国への侵略、とうとう、セシルたちが住むリデール王国にも魔の手が伸びた。

 現在、王国の上層部が和平交渉を進めているが、帝国の反応は芳しくないと聞く。

 セシルは思う。


 ――平和は……当たり前ではない。


 維持しようと努力してくれている、ロベルトたちのような人間がいるから保たれているのだ。

 

 ――私も少しでも国の平和に寄与できるよう頑張らないと。


 そう決心しながら別室を出ると、不意に当のロベルトが尋ねた。


「君は……"血の申し子"と評される私が怖くないのか?」


 ニーナを詰めていたときとは違い、どこか相手の様子を窺うような表情と声音だ。


「別に、怖くはありません。ニーナとの問答は全て正論でしたし、怒鳴ったり殴ったりされないのですからむしろお優しい方だと思います。部長はすぐに大声を出したり、叩いたりしてきました」

「……そうか。大変だったな」


 ロベルトの赤い瞳に、わずかながらも同情の色が滲む。

 セシルは確かに緊張はしているが、その理由は相手が自分より遥かに位の高い人物であるからだ。


「それに……私は仕事柄、自分の目で見たことしか信じない性格ですので。シュナイダー様に関する数多の噂……例えば、笑いながら魔物を串刺しにしたり、人間を血の滴るまま貪り食べたり、無礼者を血祭りに上げた場面などは見たことがありません。ですから、私はシュナイダー様を過度に恐れてはおりません」

「君は思いの外、物怖じしない性格でもあるのだなぁ」


 ははは、と笑うロベルトを見ていると、徐々に血の気が引いていくのを感じた。


 ――私、何てことを言ってしまったの……。


 すらすらと淀みなく述べたのは、いずれも宮殿を日々駆け巡る噂の数々だ。

 本人は気にしているかもしれないのに、意気揚々と話してしまった。

 それこそ、無礼者として血祭りにあげられてもおかしくはない……。


「た、大変な失礼を……! 申し訳ございません!」

「いや、気にするな。ラブルダン嬢の新しい一面はむしろ面白い」


 笑うロベルトを見ていると、セシルは先ほどから思っていた 


「私の呼び名でございますが……わざわざラブルダン嬢とお呼びいただかなくて構いません。大した身分でもありませんし、もっと雑な呼び方でお願いします。それこそ行き遅れ嬢とか……」

「い、いや、それはさすがにまずいだろう。そうだな、呼び方か……よし。では、セシルと呼ばせてもらおう」

「ありがとうございます、シュナイダー様」


 セシルがよかったと思ったとき、ロベルトが疑問に思う様子で呟いた。


「しかし、私だけ君を名前で呼ぶのもおかしな話だな」

「そ、そうでしょうか」

「そうだ。セシル、君も私をシュナイダー様と呼ばなくていい」

「え……っ、でしたら、なんと……」

「好きに呼びなさい」


 非常に難しい問題を提示された。

 うんうん、と考えあぐね、セシルは恐る恐る言う。


「シュナイダー公爵様……ではいかがでしょうか」

「まったく変わっていないじゃないか」


 即座に否定されてしまい、袋小路に陥る。


 ――どうしよう、これは困った。"血の申し子"様なんて絶対に呼べないし……。


 頭の中であれこれと考えた結果、これしかないという呼び方に行き着いた。


「で、では、恐れながら……ロベルト様……と呼ばせていただきます」

「それで構わん」


 ロベルトは息を吐くように小さく笑うと、颯爽と会議室に向かう。

 セシルは彼が廊下を曲がって見えなくなるまで、深く頭を下げ続けていた。



 □□□



 呪文詠唱Aについて思考を巡らせていると、知らないうちに記録部に着いていた。

 セシルはパンッと顔を叩いて気持ちを整える。


 ――考えるのは一旦止めよ、セシル。まずは、部長に情報共有しないと。


 記録部の主室に入ると、室内にいる全員が一斉にこちらを見た。

 みな、"血の申し子"たるロベルトに連れ去られたセシルの命を心配しており、生存が確認できてホッとひと息つく。

 ニーナの姿は確認できない。


 ――もしかしたら、また若い男性のところにでも行っているのかも……。


 セシルは気まずい視線に晒されながらも、とりあえず部屋の中央奥――ユルゲンの机に来た。


「部長、ちょっとよろしいでしょうか」

「な、なにかね、セシル君」


 セシルが話しかけた途端、ユルゲンは壁際まで後退した。

 ロベルトの恐怖が骨の髄まで染み込んでおり、それはそのまま毅然と対応したセシルへの畏怖になった。


「今し方、ロベ……シュナイダー様から奇妙な呪文詠唱の報告を受けました。こちらです。東のエル地区にて確認されたそうで、呪文詠唱Aと仮称しました」


 例の呪文詠唱Aを記した紙を机に乗せる。

 ユルゲンは恐る恐る身を乗り出してチラッと確認すると、またすぐ壁際に引っ込んだ。


「シュナイダー様も気になっていらっしゃるようで、調査を頼まれました。私も気になりますし、調査を担当してもいいでしょうか」

「君が調べなさいっ。最優先事項だっ。早急に調べて差し上げろっ」

「しかし、いくつか別の仕事があり……」

「そ、それなら、他の記録官に配分すればいいっ。そうだ、それがいいっ。…………皆の者、聞きなさい! セシル君はしばらく、東のエル村で確認された特殊な呪文詠唱について調査を進める! 極めて重要な最優先事項の仕事だ! だから、セシル君の他の仕事を手伝うように!」


 ご丁寧にも、ユルゲンは記録部全体に呼びかける。

 何はともあれ呪文詠唱Aの調査は自分が担当することになり、セシルは自席に戻る。

 椅子に座るとようやく緊張が解け、同時に強めの疲労を自覚した。


 ――なんか……朝からすごい疲れた……。


 突然の解雇騒ぎから始まり、ニーナから侮辱を受け、ロベルトの襲来があり、奇妙な呪文詠唱の存在が明らかにされ……と、一ヶ月分の疲労が凝縮されたような数十分だった。


 ――ちょっとお茶でも飲んでから仕事を始めよう。


 そう思ったとき、セシルの心中を察したかのように横から温かいお茶が差し出された。

 見上げると、若い男女が不安げな顔でこちらを見ている。


「セシル先輩、大変だったスね。大丈夫ッスか? 俺、めっちゃ心配したッスよ」

「朝からお疲れ様でした、セシルさん。私はもう心配で心配で……本当に無事でよかったです。でも、セシルさんはさすがですね。すごくカッコよかったです」


 記録部で特に仲良くしてくれる二人の後輩だった。

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