第20話:観劇を終えて
ロベルトは団長室で羽根ペンを走らせ、執務と戦っていた。
(明日は"メイク・ティーサロン"への潜入がある。明日の分の仕事は今のうちに終わらせてしまおう)
騎士団長ともなれば剣を振って魔物を倒すような業務ばかりではなく、会議の資料をまとめたり、各地の任務状況に目を通したりとデスクワークも多くなる。
熱心に仕事を進めていると、コツコツと扉がノックされた。
「……失礼します、団長。パウロです」
「入れ」
若い男性の声が聞こえた後、パウロが入室した。
ロベルトの前で一礼し、書類の束を机上に置く。
「国境付近におけるガルダリス帝国の動向について、報告が上がってきました」
「うむ、確認しよう」
ロベルトは羽根ペンの手を止め、書類をめくる。
彼は常人より読書速度や読解力にも優れ、すらすらと読み進めてしまった。
騎士団の報告を受けて抱いた印象は、非常にシンプルだった。
「やけに静かだな」
パウロもまた、ロベルトの言葉に頷く。
ここ最近、国境付近における武力衝突が徐々に減りつつあった。
最後の大規模な衝突は一ヶ月前で、それ以降はとうてい武力衝突とは言えないような小規模ないざこざに留まっている。
ロベルトは今までの報告書を頭の中で反芻し、統計的なデータを組み立てる。
「帝国との武力衝突が減り始めたのは……ちょうど四ヶ月ほど前か。減少の一途を辿っているとはいえ、増加はしていない。これは緊張が緩和している……ように見える」
「良い傾向じゃないんですかね? 噂では、大臣たちも安堵してるらしいですよ。王国の毅然とした態度が帝国を追い払ったに違いないと言ってるそうで」
パウロは単純に帝国の侵略が遠のいた、と感じたが、ロベルトは素直に賛同することはできなかった。
帝国関係の国際情勢を鑑みるに油断は禁物だ。
「あの帝国が我が王国に対する侵略を諦めるとは考えにくい。彼らは、一度始めた侵略は泥沼になってでも完遂する。途中で中断すれば、他国に軽視されると思っているからだ。帝国は何よりも威厳や他国からの視線を重視する」
「そんなもんですかねぇ」
「帝国は信用のならない連中だ。和平条約を結んだ国でさえ、騙し討ちのように侵攻するのだからな。引き続き、国境における監視は緩めないよう、国境部隊に伝えてくれ」
「承知しました。……ところで、団長。話は変わりますが、団長は"劇団灯影座"というイケメン集団の一座をご存じですか?」
「いや、初めて聞いた。それがどうした。仕事に関係のない話なら出て行きなさい」
「今日、セシルさんが公演を見に行ったそうですよ。我先にと楽屋に走ってイケメン俳優の出待ちをしてたとか」
その言葉で、ロベルトの動き出した羽根ペンはピタリと止まる。
「……なんだ、それは。セシルは容姿端麗な若い男と話して気分良くなっていた、ということか?」
「セシルさんもお年頃の女性ですからね。騎士なんてムサい男より、俳優みたいなスマートで小綺麗な男が好きなのかもしれませんねぇ。中でも、一番人気のハインツとかいう俳優に熱を上げてるみたいですよ」
意味深な笑みを浮かべるパウロに対し、ロベルトはなぜか心中が穏やかじゃなくなった。
いつもは凪いだ湖のように落ち着いているのに、今に限っては暴風雨が吹き荒れていた。
「……なぜ、お前はそんな話を知っている。その……ハインツとかいう輩に熱を上げている令嬢は本当にセシルだったのか」
「いや、街を巡回しているとき妹に会いましてね? 公演後、熱心に出待ちをする令嬢がいたそうです。それがセシルさんですよ。隣にいたのは医術師のリリカさんだったそうですから、ほぼ確実でしょう。宮殿でも浮いている彼女のお友達はセシルさんくらいしかいませんし、出待ち令嬢の髪色とか髪型の特徴も一致しています」
「……そうか。有益な情報をありがとう」
会話は一旦途切れ、両者の間には沈黙が訪れる。
ロベルトは何事もなかったかのように書類仕事に戻るが、なぜか羽根ペンがやたらと羊皮紙に引っかかる。
苛立ちを覚えていると、パウロが含み笑いを讃えながら言った。
「先を越されちゃいましたね」
「……何がだ」
「いえいえ、何でもございません。ただ、あまり悠長にしているとそれはそれで良くないかもしれませんねぇ、というお話でございます。いくら"血の申し子"と言えども、完全に世の男たちを排除できるわけではないみたいですねぇ」
締まりのないパウロの顔を見ると、なぜだかわからないが、ロベルトの機嫌はすこぶる悪くなった。
「ふむ、パウロ。どうやら、お前は余裕のある生活を送っているらしい。すまない、日々の訓練が足りなかったな。先日の特別に"厳しい"訓練は物足りなかったようだ。再開しようじゃないか」
「えっ! も、申し訳ございません、団長! 決してからかうつもりはなく……!」
「遠慮はいらない。今まで以上に"厳しい"訓練が待っているから楽しみにしていてくれ」
いつかと同じようにパウロが石像の如く固まったとき、扉がノックされた。
入れと言うとまた別の部下が入室し、虚空を見たままのパウロに怪訝な顔を向け、ロベルトに用件を話す。
「セシル・ラブルダンという令嬢が団長への面会を求めています。合同調査を進めている件について至急お話ししたいことがあるそうですが、いかがなさいますか」
「すぐに通しなさい。私も至急話したいことがある。ついでに、そこのパウロを訓練場に連れて行け」
「承知しました。……おい、パウロ、訓練場に行くぞ。なんでそんな死にそうになってるんだ」
部下がパウロとともに部屋を出て、静寂が舞い戻る。
真実を確かめるため、ロベルトはセシルの訪問を待った。
□□□
「……失礼します、セシルです」
「入りなさい」
重厚な樫の扉越しにロベルトの声が聞こえ、セシルはそっと団長室に入る。
ロベルトは一番奥の執務室で仕事をしていた……わけではなく、窓の傍で外を眺めていた。 いつもと何となく雰囲気が違うことに違和感を覚えつつ、セシルは切り出す。
「お忙しいところ申し訳ありません。早急にロベルト様にお伝えしたいことがありまして……」
「気にするな」
「あと、さっき今にも消え入りそうなパウロさんとすれ違ったんですが、何かあったのでしょうか」
「それも気にするな」
ロベルトは視線を合わせようとせず、声音にもトゲがある……気がする。
――どことなく、機嫌が悪そうに見えるのはなぜだろう? ……あっ、もしかしたら、お疲れかもしれない。騎士団の団長なんて忙しいに決まっているし。明日の"メイク・ティーサロン"の潜入に向けて、前倒しで仕事をしているのかも。
セシルは端的に用件を伝え、長居はしないよう決意する。
「実は、先ほど友達である医術師のリリカと一緒に……」
「"劇団灯影座"とやらの観劇に行ったらしいな」
"劇団灯影座"という一座の劇を観に行った、と言おうとしたら、ロベルトが同じ内容を被せてきた。
まさか知られていたとは思わず、セシルは不意を突かれた気分だ。
「……え? は、はい、そうです。なぜご存じなんですか?」
「パウロから聞いた。彼の妹も今日の公演を観に行っていたそうだ。ついでに聞いたのだがが、君は一番人気の俳優の出待ちまでしたらしいな。……いや、君の趣味嗜好に意見するつもりはない。ただ、実際はどうだったのだと気になっただけだ。パウロは君だったと主張しているが、パウロの妹の見間違いの可能性も十分にあるからだ」
ロベルトはやたらと深く聞いてきて、それもまたセシルの気持ちを不思議にさせた。
「それは、ハインツさんの出待ちのことですか? でしたら、たしかに私は出待ちをしました」
「…………そうか」
素直に答えるとロベルトは明確に意気消沈したので、より詳しく伝える。
「正直、俳優の方には大して興味がないのですが、聞きたいことがあっただけなんです」
「そうかっ」
――どことなく声音が明るくなったのはなぜだろう。
ロベルトは声のトーンが一段階も二段階も上がり、それもまたセシルに新たな疑問を生んだ。
何はともあれ、セシルは先ほどの一件を詳細に説明する。
「劇の中で、俳優さんたちが呪文詠唱Aを唱えたんです。これについて、私は呪文詠唱Aを何者かが流行させようとしているのでは? と考えています」
「……詳しく聞かせてくれ」
ロベルトも普段と同じ真摯で真面目な態度に戻り、セシルの話を注意深く聞いた。
一通り説明を受けると、ロベルトは幾分か険しい顔でため息を吐く。
「……なるほど、それは驚いたろうな。さぞかし異様な光景だと容易に想像できる」
「特に、私は最初に公演した街についてハインツさんが言い直したことが気になります。ノルヴェリカの街は帝国に一番近いですから、"劇団灯影座"及び呪文詠唱Aの影に帝国がいそうな予感がするんです」
「セシルの考えることは尤もだ。至急、劇団と呪文詠唱Aについて、ノルヴェリカの街で調査をしよう」
「それ以外にもロベルト様にお願いしたいことがあるのですが、北東地域周辺で呪文詠唱Aが流行っていないか調べていただけませんか?」
「その劇団が流行させた可能性の検討だな? すぐに手配する」
「ありがとうございます」
セシルは真剣な顔で感謝を述べる。
そのまま、明日のサロンの潜入は予定通り行うことを確認し、団長室を後にする。
――"メイク・ティーサロン"に潜入すれば、必ず何か手がかりがあるはず……。
自然と硬く拳を握っていた。




