第19話:疑問
一瞬、セシルは聞き間違いかと思ったが、隣のリリカを見ると彼女も訝しげな表情だった。
「セシル君、今あの俳優は呪文詠唱Aを唱えていたよね」
「え、ええ、唱えていたわ。まさか、こんな場所で聞くことになるなんて……」
――やっぱり、聞き間違いじゃなかった。この劇団と、いったい何の関係があるの?
呪文詠唱Aの存在を宮殿の外で知ったのは、今回が初めてだ。
宮殿の中にしか存在しないと思っていたが、どうやら違うらしい。
セシルが微かな不穏を感じる間も夜会のシーンは続き、俳優がお茶を淹れるたび、何かしらの魔法を使うたび、呪文詠唱Aが詠唱される。
俳優たちは何度も詠唱しているからだろうか、ずいぶんと流暢な発音に感じられた。
劇の内容などそっちのけに、セシルの視線は俳優の顔色や肌に注がれる。
「彼らは……紫呪病にならないのかしら?」
「ああ、ボクも気になってるところさ」
「リリカ、紫呪病で入院した人たちが、最後に呪文詠唱Aを唱えたのはどれくらい前だったわかる?」
「平均で2時間14分。最も症状が早く出た人は、詠唱してから58分後だったよ」
隣のリリカと小声で話し合う。
現時点での仮説は、呪文詠唱A=紫呪病の原因、だ。
注意深く俳優たちの様子を窺うが、紫色の斑点模様が浮き上がったり、頬が赤くなったりなどは確認できない。
演技をする身体の動きからも、至って健康であることが容易にわかる。
――俳優さんたちはみんな元気に見えるけど……そうだ!
気になることが思いついたセシルは、急いで手元のチラシを見る。
俳優たちの一覧表も載っており、全員が今日の劇に出ていることが確認された。
――会場の入口で公演スケジュールを見たけど、前の公演は昨日だった。劇の内容が変わることはないだろうから、昨日も劇中で呪文詠唱Aは詠唱された。でも、俳優さんたちは健康……。
セシルが宮殿での状態と異なるのはなぜだろうと考えていると、いつしか劇は終盤に差し掛かり、一番の山場を迎えた。
悪い龍に攫われたヒロインを、王子が救い出す場面だ。
舞台上には魔法で生み出された龍の幻影がいて、王子役の俳優が剣を掲げる。
――この後は魔法で剣を強化して、龍を切り裂くのが一般的な演目だけど……。
セシルの懸念の通り、俳優は呪文詠唱Aを唱えた。
「〔●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q 我が正義の象徴に 平伏し給え 悪を切り裂き屠る 聖なる力を〕 〔●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q〕」
俳優は呪文詠唱Aだけを繰り返し連呼し、令嬢たちもそれに応えるように呪文詠唱Aを叫ぶ。
「「〔●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q〕 〔●%ネ※m・fw。☆b/!ア◆?q〕」」
瞬く間に、会場内は呪文詠唱Aに包まれる異様な雰囲気となった。
この日一番の熱狂ぶりに、リリカは不安そうな表情でセシルの腕を掴む。
「セ、セシル君、様子がおかしいよ。いったいどうなっているんだ。こんなに呪文詠唱Aを唱えるなんて恐ろしい。紫呪病になってしまう」
「"観客参加型"って、こういう意味だったのね……! 早く、止めさせないと!」
セシルは呪文詠唱Aを唱えないよう周囲に言うが、熱気溢れる令嬢は聞く耳などもたず、呪文詠唱Aの連呼にかき消された。
幸か不幸か、その場で体調不良を訴える者はおらず、劇自体は大盛況で終わった。
周りの令嬢は感激や興奮で涙を流しているが、セシルの表情は硬い。
――劇の構成を鑑みるに、観客が呪文詠唱Aを唱えるように仕向けることは初めから決まっていた。チラシの情報が正しければ、この劇団が王都に来てからもう一ヶ月くらい経つ。その間ずっと、観客に呪文詠唱Aを唱えさせていた。……何のために?
宮殿の中でしか存在していなかったと思われる、呪文詠唱A。
それが宮殿の外で存在を認められた現状は、良いか悪いかと言えば悪い……と思う。
令嬢たちが万雷の拍手で劇を讃える中、セシルは決心した。
「決めたわ、リリカ。呪文詠唱Aについて、俳優さんに直接聞いてみようと思う。他にも色々と気になったことがあるし」
「えっ! それは危険だよ、セシル君! こんな室内で!」
「大丈夫よ。騎士の警備があるし人も多いから、もしに襲われでもしたら大声を出して人を呼ぶわ」
「でも、心配だな。ボクも一緒に行こう。二人揃えば何とやらだ」
終演後、会場が拍手に包まれる中、セシルとリリカは一足早く席を立つ。
カーテンコールまで楽しむのが礼儀だという令嬢たちの視線を物ともせず、二人は楽屋に向かった。
一足先に廊下で出待ち体勢を取り、俳優が出てくるのを待つ。
万雷の拍手が鳴り止むと同時、幾人もの令嬢が走ってきた。
先客がいるとわかると、露骨に舌打ちをする。
針でチクチクと刺されるような視線に気まずさを覚えながら、待つこと五分ほど。
俳優たちが現れ、廊下は黄色い歓声に包まれる。
先頭を歩く金髪碧眼の男が最も見目麗しく、一番人気であった。
――この人はたしか……主役のハインツさん。王子役の人だわ。
出待ちの暗黙の了解で、俳優と話せるのは並び順の通りであり、客一人あたり俳優一人まで。
この場合、セシルが最初に会話できる。
劇団側も出待ちのルールには了承しており、セシルが話し出すのを待つ。
セシルは誰に話すか逡巡した後、主役を担うハインツに決めた。
「ハインツさん、こんにちは。あなたのファンです。素晴らしいご公演に感動しました」
「ありがとう、お嬢さん。そう言ってもらえると、練習の苦労が報われた気持ちになるよ」
ハインツは甘い微笑みをセシルに向ける。
セシルの心はぴくりとも動かなかったが、後に控えた令嬢は燃えるような嫉妬の目を向けた。
「ところで、ハインツさん。私は今回初めて"劇団灯影座"の公演を見たんですが、劇団の公演ルートはどんな感じだったんでしょうか? 特に、一番始めに公演した街が知りたいです」
「最初に公演したのはノルヴェリカの街さ。僕たちは王国の東から西に向かって移動しているよ。来週には次の街に行ってしまうから、会いたくなったら君も西の方に来てね」
突然ウインクをされ、セシルは思わず表情が引き攣るが、後ろの令嬢たちは熱に浮かされたような顔つきだった。
「昨日の劇も今日と同じメンバーで公演されたんですか?」
「ああ、そうだよ。おかげさまで連日大入り満員さ。君ともっと早く会えたのに、神様はいじわるだね」
「え、ええ、そうですね」
ハインツは歯の浮くような台詞をすらすらと吐き、セシルは背中がむず痒くなり、周りの令嬢はさらに嫉妬心が強くなる。
待ちきれない何人かが、苛立ちの籠もった声を出す。
「ね~ぇ、まだなの? ちょっと長すぎない?」
「一人あたり三十秒ってルールでしょ? ルールはちゃんと守りなさいよ」
誰かが苦情を言い、令嬢たちの空気は一段と悪くなる。
彼女らも俳優と話したいのだし、あまり長居するとよくないだろう。
そう思ったセシルは最後の質問をする。
「すみません、最後に一つだけ質問させてください。劇が終わった後、俳優さんたちは体調が悪くなったりしませんか? 例えば、嗅覚や味覚がおかしくなったり、熱が出たり、胃腸が痛くなったり……」
「……ん? 体調が悪く? もちろん、多少の疲れはあるけど、みんないつも健康そのものだよ」
「そうでしたか、それならよかったです」
「僕たちの体調を気遣ってくれるなんて、君は優しいね。また明日も会えると嬉しいのだけど」
ハインツが再度甘い微笑みを浮かべると、後ろの令嬢たちはいよいよ我慢できなくなり、セシルを責める声が上がった。
「いい加減にどきなさいよ。いつまでハインツ様を独り占めしてるの。黙ってればいい気になって」
「あんただけの俳優さんじゃないんだから。どかないなら実力行使に出るからね」
「ごめんなさい、今どくから……うわっ!」
謝罪し終わる前にセシルは令嬢たちに押し退けられ、出待ちの列から弾き飛ばされる。
潮時かと思い立ち去ろうとした瞬間、ハインツに引き留められた。
「ああ、君! 公演ルートについてだけど。ごめん、さっきは間違えてしまった。最初に行った街はカリストラだった。ノルヴェリカの街ではないから!」
――……え? カリストラの街? でも、これ以上聞くと怪しまれちゃうかも……質問するのはここまでにしておこう。
セシルは令嬢の厳しい視線を背に、リリカを連れてそそくさと楽屋から立ち去る。
嬉しそうに騒ぐ令嬢に囲まれながら、ハインツが暗い目で見ているのは知る由もなかった。
□□□
劇場を出たセシルとリリカは、王都の広場に向かう。
手頃なベンチに座ると、リリカがどっと疲れた様子でため息を吐いた。
「いやはや、セシル君。君は度胸があるね。ボクは令嬢に殺されるんじゃないかと冷や冷やだったよ」
「あの子たちには悪いことをしちゃったわね。でも、私もどうしても聞いておきたかったから」
実のところ、令嬢たちの攻撃的な視線に晒されている間は、セシルよりリリカの方が緊張していたのだ。
セシルは出店でアイスティーを二人分買い、リリカにも渡す。
二人して冷たいほろ苦さを味わった後、それにしても……とセシルは切り出した。
「まさか、劇の中で呪文詠唱Aを聞くことになるなんてね」
「ああ、ボクも驚いた。あの空間の異常性はさすがのボクも恐ろしかったよ。しばらく、観劇は控えようかな」
リリカはため息を吐きながらアイスティーを飲む。
一方のセシルは、"とある可能性"について思案を止められなかった。
「"メイク・ティーサロン"の参加者はみんな、呪文詠唱Aについて"流行の言葉"だと言っていたわ。もしかして、"劇団灯影座"が流行らせようとしている……とは考えられない? 彼らは最近人気が急上昇している劇団で、サロンに入会するには"流行に敏感であること"という条件もあったわよね」
セシルが話すと、リリカはアイスティーを飲むのを止めた。
「それは……非常に興味深い仮説だよ。筋もちゃんと通っている。やっぱり、セシル君は名探偵じゃないか」
「まだ確定じゃないけどね。ちょっと確かめたいことがあるから、雑貨屋さんに行ってくるわ。あなたはここで待ってて」
セシルは雑貨屋で王国の地図を買い、広場に戻った。
北東の地域のページを開き、指で追いながらハインツの言葉を思い出す。
「さっき、ハインツさんに巡回ルートを聞いたら、最初に公演した街はカリストラと言い直したわ。カリストラの街はここ」
セシルの指先は北東の、国境から30kmほどの街を指す。
「そして、ノルヴェリカの街はここ。ガルダリス帝国に一番近い街なのよ」
続けて指したのは、国境からわずか5kmの街だった。
「ハインツさんがノルヴェリカの名前を出したのは、私が体調不良について聞く前だった。たぶん、彼は呪文詠唱Aは紫呪病の原因だとわかっていたんじゃないかしら? そして、最初に公演したのがノルヴェリカの街だと知られたらまずい理由があった。だから、カリストラの街で公演したって言い直したのよ」
「お、おい、セシル君。それはつまり……」
「呪文詠唱Aの影には帝国がいるかもしれない……あくまで可能性の話だけど」
そこまで話したところで、二人の間に沈黙が横たわった。
広場で子どもが遊ぶ声や、商人が客を呼び込む声などが空虚に響く。
明るい雰囲気の周囲に対し、自分たちを覆う空気はどことなく重い。
――これはきっと気のせいじゃない。
王国の平和を脅かすような危険が迫っている可能性がある。
周囲の人々が楽しく過ごす中、セシルは険しい表情で決心した。
「今日の出来事は、ロベルト様にも話してみようと思うわ」




