第8話 鍋と少女と、すれ違い
「……やっほー……」
藤宮宅にいるイレギュラー、綾小路ことね。何故彼女が家にいるのか。
「——お前」
「お兄ちゃん! さっさと着替えてきてってば!」
「あ、ああ……」
両親不在の今、家を牛耳っているのは妹の澄乃だ。家の事で彼女には逆らえない。さっさと部屋に戻り着替えるとする。
(鍋がどうとか言ってたな。その手伝いか)
制服を脱いでTシャツとジャージズボンの超ラフスタイルに着替える。——それだけことねの事は重視していなかった。
「着替えたぞ。何を手伝えば――」
「ブッ――!」
……。なんだ? 何かすごく汚い音がしたな。噴き出したかのような……。
「ちょ、トーマ、何そのシャツ……ふふっ」
「何って、書いてあるだろ。鮭(SHAKE)だよ」
「いや、ふっ、それだけじゃなくて、ふふっ」
「……お前、分かるのか!?」
このTシャツのデザインは鮭(SHAKE)が、踊っている(SHAKE)イラストだ。このダブルミーニングに気づいた斗真は迷わず買っていた。実にセンスが光っている。
「シャケをシェイクって、ふ、ふ……」
「いいよなぁ、これ」
と笑いあっていた。斗真はなつかしさを思っていた。小学校低学年くらいまでは一緒に遊んでいた気がする。だが、成長か周囲の環境か、だんだんと遊ばなくなり、最近までは「たまに会ったら挨拶する程度」にまでなっていた。
ああ、懐かしい空気だ――。
「——兄」
「はいやります」
脅しや殺気を見せるような妹ではない。妹は先に引き金を引いてから死体に一方的に話しかける……そんなヤツだ。
多少は広い家だがキッチンに二人はやや狭い。兄弟で上手い事立ち回りながら準備を進める。といっても鍋なので具材を切って入れていくだけ。入りきらない分はボウルに入れて避けておく。と、ものの数分で、完成した。
「出来たよ~。藤宮家特製寄せ鍋!」
ダイニングのテーブルに置く。ガスコンロも点けて完璧だ。
「わあ! おいしそう」
「ことねも食っていくんだろう?」
「ああ……うん。食べる」
「?」
一瞬迷いのようなものが見えたが、気のせいという事で今は聞かなかった。どうせ食べながらでも聞ける。
全員が着席。したらすることは――。
「「「いただきます!」」」
各々が鍋をつついていく。肉を取るか、野菜を取るか。性格が出るところだ。
「ちなみにウチの鍋には鮭が入っている」
「ふっ……」
「これがなかなかに美味い。——踊り出すくらいに」
「ふふっ……」
なんてやり取りをしながら箸が進んでいく。
「お兄ちゃん、白菜もうちょっと食べたら? ビタミン足りてないでしょ」
「分かった、食べる」
「お兄ちゃん、ネギが煮えてるよ」
「分かった」
「お兄ちゃん――」
「妹よ、少しは俺にも好きに食べさせてはくれないか」
そんな兄弟を見てことねはほほ笑む。これは自然な笑顔だった。
野菜が山盛りになった取り皿をつつきながら、斗真は話を切り出す。
「……で、ことねはなんでウチにいるんだ?」
「ああ、それはね……」
以下、回想。
(どうしよう……)
ことねは焦っていた。今朝、あの星野が斗真に接近し、なんかいい感じの雰囲気で肩を並べていたからだ。
隣にいるべきは私だ。私が一番彼を知っている。そう信じている。
(私からも行動を起こさなきゃ!)
焦りから出た行動はとにかく接触だった。深い作戦はない。ただ、これまで若干の疎遠だった関係を再び戻す。それだけだ、それだけ。
そうして藤宮宅を訪れたわけだが――。
「あ、あれ?」
チャイムを鳴らしても反応がない。おかしい。部活動でもしていない限りこんな時間にはならないはず。——部活動?
はっとした。まさかあの二人で同じ部活動に入部し更に二人の時間を増やしたのか、と。
(……悔しい)
あの女に一手先を越されている。その事実に腹が立つ。どうせあの女にも催眠を使っているのだろう。それは私だって同じなのに。
「……帰ろう」
なんだか自分が馬鹿らしくなった。いっそこの”レース”から降りてもいいかもしれない。
藤宮宅の玄関口から一歩下がった、その時——。
「あれ~。もしかしてことねお姉ちゃん?」
「あなたは、澄乃ちゃん?」
斗真の妹である澄乃と出会ってしまった。どうする。家の前で不審な動きをしていたのがバレたら……。
「あ、もしかして兄に用事ですか?」
「……そう! そうなの! でもあいつまだ帰ってきてないみたいで」
「え、万年帰宅部だった兄がまだ帰ってない? 妙ですね」
どうしよう。このままだと澄乃ちゃん経由で私が不審な動きをしていたことがバレる。催眠と関係のないところでの問題は避けたい。
「そういえばことねお姉ちゃんの所も両親共働きでしたっけ?」
「……! そう、そうなのよ。帰っても誰もいないって感じで」
これは嘘だ。既に両親は海外赴任を終え家にいる。だがこれは、もしかすると――。
「じゃあウチに寄っていってくださいよ。一緒に晩御飯食べましょ」
「いいの!? じゃあ上がらせてもらおっかな!」
という流れで藤宮宅に上がったのだった。
回想終了。
「ふーん……ってことは一人暮らしみたいなもんか。大変だな」
「まあその分自由って感じがするけどね」
少し強がって答えることね。それに斗真は勘づいていた。
(そんなことなら早くにウチを頼れば良かったものを……。催眠をかけ直すか? しかし……)
目の前には妹がいる。あまり不審な行動は取りたくない。もしバレたら妹にも催眠をかけなければならなくなる。
「ことね。不便があったら”なんでも言ってくれていい”んだぞ」
「……うん、そうだね」
……ん? ちょっと反応がおかしくなかったか?
「ウチは両親不在歴長いからね~。大体の事はなんとかできるよ」
「ありがとう。澄乃ちゃん」
ことねは自然な笑顔で答えていた。催眠など無かったかのように。
——そこへ、澄乃が爆弾を投下する。
「ことねお姉ちゃん、泊まっていったら?」
「!?」
澄乃の100%善意でそんな事を言い出した。
「なっ、え、どうするんだ!? 寝場所とかいろいろ」
「兄はソファで寝ればいいよ」
「ええ……」
突然のイベント発生に戸惑う斗真とことね。
(いやいや! いきなり一つ屋根の下はハードルが高すぎるだろ)
と困惑の斗真。一方のことねは――。
(あの女に突き放された分を取り返すチャンス。ここで決めれば斗真だって――)
虎視眈々とチャンスをうかがっていた。
しかし――、ことねの元に一通のメッセージ。
「——」
「ん? どうしたことね」
「……。ごめんね澄乃ちゃん! 今日、お父さんが帰ってくるから家のことしなくちゃ!」
と言っていそいそと帰る準備をすることね。
「ご飯、ありがとね。じゃあまたねトーマ!」
「おい、”ちょっと待て”って!」
静止を振り切ってそのまま玄関へ向かい、帰っていった。嵐のような展開だった。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「嫌われてるね」
「そう、なのか?」
結局ことねの真意は分からないまま終わってしまった。
一方、ことねは――。
(ああもう! 何をやってんのよ、私は!)
玄関先で自分に怒っていた。もし、このお泊りが成功したら斗真は私のものになったはず――。
「命拾いしたわね」
声が響く。同じく玄関前にいたのは――星野凛花。
「あなた――」
「忘れたわけではないでしょう。この”ハーレム計画”に突出した個人は不要……」
「どの口が……!」
「まあいいわ。——明日、また動きがあるでしょうから」
そう言って凛花は立ち去った。
残されたことね。一人で思いを巡らせる。
(”ハーレム計画”。それでも、それでも私は――)
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