第15話 星野凛花は恋をする
凛花は、スマホの画面をじっと見つめていた。
そこには斗真の隣で、満面の笑みを浮かべるユナの姿。腕に絡みついたその構図は、どう見ても恋人——いや、それ以上に見えた。
(……ふふっ、楽しそうね)
笑った。でもそれは、どこかひび割れたガラスのような笑みだった。無理に動かした口角が音を立てて軋む。そんな錯覚を感じるほど。
(ユナさんって、風紀委員……よね。少しは立場をわきまえるかと思ったけど)
嫉妬ではない。そう思い込もうとした。でも胸の奥はざわついて、指先がピクリと震える。
「“浮気者”ね……斗真様」
凛花自身、ぞっとするようなドロドロとした感情を抱いていた。今、凛花は不安定な状態にある。
(……いいえ、これは、ただの挑発。そうよ。だって彼は私を選んでくれたのよ? 最初に、一番に。そうでしょう?)
自分に言い聞かせるように言葉を重ねた。けれど、心に渦巻くのは「確信」ではなく「不安」だった。
と、携帯が震える。
>どういうつもりなのかしらこれは。
最初に食いついたのは一葉だ。弁明を求めるが……反応はない。そもそもアプリでのトークなのだ。本人がそこにいるとは限らない。
>既読が付いてるのは見えてるんだから!
凛花が画面を出している。つまりその既読は私だろう。弁解する? いいえ――
(勝手ににらみ合ってくれるなら本望ね)
そう思い傍観者に徹していたが……。
>寝ていいか。出来れば通知は切りたくない。めんどくさい。
送り主は真雪、のはず。名前が雪ちゃんになっている。
あとアイコン。「源泉100%」ってなに?
>じゃみんな明日ね~。
最後の送り主はYuNa。ユナだろう。結局見ていたのか。
その後、再加熱するかと思われたがそんなことはなく、それっきり連絡はなくなった。
凛花も机を離れ、ベッドに向かう。横になって目を閉じる。
(どうであれ斗真様を譲る気はないもの。明日も私が――)
色々思いつつ、意識は夢の中へ溶けていった。
* * *
ある日、私《凛花》は困り果てていた。
中学の三年、生徒会の副会長をしていた私は、いつものように放課後の片付けをしていた。教室の電気は半分落ちていて、外はもう夕暮れ。
ふと、階段の踊り場から、怒鳴り声が聞こえた。
「だから違うって言ってんだろ!? やめろって!」
誰かが揉めてる。怖い声じゃない。でも必死だった。
私は興味本位で階段をのぼる。そこで見たのは、男子に囲まれている──斗真だった。
「アイツに媚び売ったら、ああやって上に行けるんだな〜?」
「ちげぇよ……!」
ぐっと睨むその目は、誰かを庇う人間の目だった。後から分かったけど、私のことを言われていたらしい。
私の噂話にキレて、揉めて、殴られかけて、……それでも謝らなかった。
私が声をかけようとしたとき、斗真はふらっとこちらに気づいた。そして、ちょっとだけ笑った。
「……気にすんな。バレたらこっちが面倒くさいからさ。……誰にも言うなよ?」
そう言って、またふつうに帰っていった。
(またこの時の夢ね)
あの日、私のせいで起こる不運というものを目の当たりにした。私のせいで傷つく者がいると知った。
思えばあの時からのひとめぼれだったのかもしれない。私が見返りを与えるとは限らない、それでも私を守ろうとする存在。
(今度は私が彼を守る番)
彼氏がいるなんて嘘をついたりもしたけれど、全ては斗真に構って欲しくて。
私は、本当は――。ゆっくりと深い眠りに落ちていった。
* * *
次の日、藤宮宅。
「雨、かぁ」
はねる髪の毛を押さえつつ窓の外を見る。そんなにひどくはないがそこそこ雨が降っていた。
「お兄ちゃん、ごみ出してきて~」
「おう。そのまま学校行くから、先に行くな~」
そんなやり取りをして家を出る。家の前には――。
「おはよう、斗真くん」
「凛花!? もしかしてずっと待ってたのか? 早くウチの中に入ればよかったのに」
「いいえ、ちょうど今来た所よ」
なんていうが、本当だろうか。凛とした顔で言うので分からない。
「いきましょうか」
「お、おう」
そういって二人並んで歩き始めた。
並んで歩くと互いの傘がよくぶつかる。
「ねえ斗真くん。二人分の傘って邪魔じゃないかしら」
「まぁ……。でも仕方なくないか?」
「そうかしら」
そういった凛花は自分の傘を畳んだ。次の瞬間には斗真の懐へ飛び込んだ。
「り、凛花……」
「こうすればいいだけじゃない、ね?」
ほぼ密着状態の二人。そして囁く。
「如月ユナにもこうしてくっつかれたのでしょう?」
「! な、なんでそれを!?」
「見ていた、といったらどうかしら」
凛花の声は、囁くようでいて、どこか底冷えのする響きだった。
「じ、冗談だよな……?」
「さあ、どうかしら。けれど——」
斗真の制服の胸元をきゅっと掴む。
「他の女の子に、簡単に身体を許すなんて。ちょっと軽すぎじゃないかしら、斗真くん?」
「許してたわけじゃない! あれは、流れというか……っ!」
「ふふ、弁解は後でじっくり聞いてあげる」
凛花は片手で斗真の傘をしっかりと握り、もう片方の手で斗真の腕に絡む。その距離はほとんどゼロ。頬が触れる距離。
「ねぇ斗真くん」
「……な、なんだよ」
私の事好き? と言いかけた口を止める。そんなことを聞いてしまったら、彼は「はい」と答えるだろう。
今は駄目だ。これではやっていることがユナと同じになってしまう。あくまで彼から言ってもらわなければ意味がない。
「私はあなたの隣にいられてとても幸せよ」
「お、おう」
「あなたが”言って”くれたからかしら。こうして過ごす日々がとても楽しいの」
「……」
複雑な心境になる斗真。彼は(依然として)催眠にかかっているものだと思っている。それは、仮初めの感情なんじゃないかと思ってしまう。
学校が近づく。凛花は自分の傘をさして斗真から離れる。
「知ってるかしら。肩を濡らした方が惚れているってやつ」
「?」
「今のあなた、肩がびしょ濡れよ」
そう言って微笑んだ凛花は、傘の中からこちらを見上げていた。
その笑顔は、どこか誇らしげで、少しだけ……嬉しそうだった。
その瞬間、不意に——。
パラ、パラ。と音が軽くなる。
「あっ……」
見上げた空は、灰色から少しずつ、透けるような薄青に変わっていた。
雨は止みかけている。
「やっと晴れてきたわね。ねぇ、斗真くん」
「……ん?」
「今日は、きっと良い一日になるわ」
それは、催眠のせいなのか、彼女の本心なのか——。
まだ答えは出ない。けれど、今日の空のように、ほんの少しだけ晴れてくれれば。
そんな気がしていた。
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