壊れた心に触れたとき
夜のミラレーナは、静かすぎる。
街灯が消えた道を歩く人はほとんどいない。声も、音も、まるで感情ごと消えてしまったかのように。
俺たちは翌朝、フェイトからある異常の報告を受けた。
「町の中心部、旧大聖堂に因果の歪みが観測されました」
「それって、感情が停滞してる原因……?」
「おそらく。しかも──そこに反応があるのは、リリアさんの感情波です」
「……リリアの?」
リリアは昨日のフェイトとのやり取り以来、ずっと様子がおかしかった。
無理に笑って、俺を避けるようにして──まるで、自分を責めてるみたいで。
「大聖堂は今は廃墟です。立ち入りは禁止されていますが……彼女、きっと一人で行ってしまう気がします」
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案の定、俺たちが大聖堂に向かったとき、リリアの姿はそこにあった。
ぽつんと、ひとり。崩れかけたステンドグラスの前に立つその背中が、小さく見えた。
「リリア!」
声をかけると、彼女は少しだけ振り返って──そして、微笑んだ。
「……わたし、ここで思い出したんです。自分が、本当は誰の代わりなのか。誰の正規ルートに割り込んで、運命を狂わせたのか……」
「そんなこと──」
「あるんです。フェイトさんが言ってたんですよ。あなたの存在は仮定の投影に過ぎないって」
フェイトが、そんなことを……?
視線を向けると、彼女はうつむいたまま口をつぐんでいた。
「私……誰かの幸せを奪ってまで、ここにいていいんでしょうか?」
その瞳に浮かぶ涙は、どこまでも静かで、冷たかった。
それを見て──俺は、ようやく自分の中の答えに気づいた。
「……違う。お前は、奪ったんじゃない。俺にとっては、お前との出会いが、始まりだったんだよ」
「でも、わたしは──」
「……お前を選ぶよ」
その言葉が出るまでに、ほんの一瞬の迷いがあった。
でも、次の瞬間には自信に変わっていた。
「運命なんて、書き換えるためにあるんだろ? Rewriteってのは、そういうことなんだよな、フェイト?」
問いかけられたフェイトは、ゆっくりと頷いた。
「はい……それが、あなたの選択なら」
その瞬間、大聖堂の空間が揺れた。
まるで何かが解き放たれるように──空気が温かさを取り戻していく。
「感情の停滞、解除を確認しました」
フェイトの声が告げた。
町に満ちていた無感情の霧が晴れ、人々の表情に少しずつ色が戻る。
リリアは、涙をこぼしながら、それでも笑った。
「ありがとう、悠真さん……わたし、また歩いていいんですね」
「ああ。お前が俺の隣にいることが、間違いなんかじゃないって、俺が証明する」
その言葉に、リリアはそっと手を伸ばしてきた。
俺は、その手を握り返した。
──運命なんて、いくらでも書き換えてやる。
誰かの決めた正解じゃなくて、俺が信じた本物を、この手で掴む。
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その夜。
一人、丘の上に立つフェイトの背中が、どこか儚げだった。
「──感情の選択、優先順位:リリアさん。仮想ルート、第一候補に確定」
淡々とそう呟く彼女の瞳には、どこか満たされぬ光があった。
「やっぱり、私はその先には進めないんですね」
観測者である彼女に、運命は決して向けられない。
それでも──ほんの少し、胸の奥が痛む。
「それでいいんです。……私は、ただ見守るだけだから」
言葉と裏腹に、頬を伝うひとしずくの涙が、地面に静かに落ちていった。