4.金の枝
<逓婁歴(ティール歴)六〇三二年。悪夢から目覚めたウィルスンは、娘と喧嘩をし、会社に赴く。メソスガリア共和国の支配権を握るフォルク社は、ヤギュウ社の影響力の追い上げを危惧する。序列が変わり、世界が変わる時、人はまたたくさんの血を流すことになる。そしてその時は日々迫っていた。目が覚めても、彼にとってこの世界は悪夢だった>
「うるさい」
ウィルスンは自室にいた。
部屋の入口にフリーダが立っていた。寝間着を着たまま、食パンをかじり、イライラした様子で、もぐもぐと顎を動かしていた。
ウィルスンは悪夢を見ていた。六年前の抗争で妻を亡くした記憶だ。
最近、ヤギュウ社の序列がフォルク社を抜きかねない勢いで成長している。
その対策が手詰まりで、ウィルスンは働きづめだった。
疲れすぎてるのかもな。と、ウィルスンは思った。
「すまない」
寝ぼけた声でウィルスンが答えた。
フリーダは食パンを飲み込んだ。
「パパも朝ごはんいる?」
「もういかなきゃいけないんだ」
あっそ、と言ってフリーダは背を向けて姿を消した。
フリーダは十五歳。年頃の反抗期の娘に若干の心をえぐられながら、ウィルスンは身支度を済ませた。
そして、娘に何も言わず家を出て、会社に向かった。
◇
世界的にその名を轟かせるフォルク社が所有する高層ビルが、その序列の優位性を語るように街にそびえている。
六十二階に位置する執務室は、高く伸びる天井の下、窓から光が降り注いでいた。
陽光が室内を明るく照らし、窓の外には広大な都市景観のパノラマが広がっていた。
部屋の中央には、重厚なマホガニー製のデスクがどっしりと構えている。その上に積まれた書類の山が、企業の繁忙を物語っていた。
重厚感溢れる革張りのチェアに腰かけたウィルスンは頭を抱え込んでいた。
ウィルスンはイライラとした手つきで机上の資料を指でたたき続ける。
その資料はメソスガリア共和国政府が定める「友好支援事業者」のリストだ。
フォルク社が最上位に名を連ねている。
フォルク社は、政府の影響力がほぼ及ばないこの国で、実質上の支配者として君臨している。
しかし、ウィルスンの眉間にしわを深く刻む悩みの種があった――それはリストの直下にある名前、「ヤギュウコーポレーション」だ。
「ヤギュウコーポレーション」は序列で二位に位置している。
仮想世界〈ネルビオ〉の斬新な技術を駆使してサービスを展開し、その成長速度ではフォルク社をも圧倒している。
ウィルスンの網膜には、最先端のナノボットディスプレイ技術によってヤギュウコーポレーションの事業案内が浮かび上がっていた。
彼にとってこの技術は使用するごとに苦々しい感情を呼び起こすものだ――なぜなら、これもまたヤギュウ社の独創的な産物であるからだ。
ヤギュウ社は、まだ広く普及していない仮想世界〈ネルビオ〉の技術を積極的に採り入れていた。
その機動性を活かして性産業や大衆の低俗な娯楽にも手を広げ、未開の市場を次々と開拓していた。
現代では、多くの人々が血液を流れるナノボットを用いる。
その技術により、物理的なデバイスに頼ることなく直接ウェブを閲覧できる時代になっていた。
ナノボットによる表示が浮かぶ空間を、ウィルスンは熟練した手つきでなぞってゆく。
「世界を、おとぎ話のようにワクワクした場所へ」
コマーシャルで流れるヤギュウ社のスローガンに、ウィルスンは更に顔のシワを深めた。
もしヤギュウ社が序列で一位となれば、メソスガリア共和国における実質的な支配権が移り変わることになる。
革命と同じだ。世界のルールチェンジが起こりうる。世界中でまた軍事衝突が増える。
それは古代民族が”森の王”を決める際、金の枝を折る伝承を彷彿させた。
枝を折った後、現王を倒せば誰もが新たな王になる資格があるという伝承だ。
「金の枝を折るつもりか。ヤギュウ・マキシマス」
ウィルスンが一人考え込んでいると、不意に執務室の扉が叩かれた。
――来たか。