1.仇
リーフオールは自分の存在を知覚する。すると同時に硬い石の感触を背中で感じた。
目を開くと、天井に施されている幾何学模様が見えた。
身を起こす。
部屋は薄暗い洞窟のようで、吸う息が冷たく肺を刺し、吐く息は白く離散した。
「ここは……どこだ?」
肌寒い。衣服を身に着けていない。道理で寒いわけだ。とリーフオールは頭の中でつぶやいた。
身を支える手に視線を向けると、どうやら祭壇のような場所に横たわっていたと気付く。
辺りを見渡すと、柱や壁は彫刻で飾られている。その一つ一つに古い伝説や神話が刻まれているようだった。
微かな光が洞窟の隙間から入り込み、岩の低い所にたまった水たまりがきらめく。
水たまりから照り返された陽光が、彫刻の立体感を強調させた。
周囲の空気は静寂に包まれ、神聖な雰囲気が漂っている。
祭壇の前に、衣服が畳まれて置かれていた。鎧と剣も綺麗に並べられている。
「俺の服、なのか……?」
目を覚ます以前のことが何も思い出せない。
自分の名前はわかる。それと、魔王を倒す使命を帯びた勇者であるということはしっかり覚えている。
まずは着替えてから辺りを探索してみよう。人がいるかもしれない。
リーフオールは衣服に手を伸ばした。
すると、薄暗い空間にゆらゆらと女性が浮かんでるような気がした。幽霊だろうか?まさか。
背筋に嫌な感覚が走る。
こういう場所にいると見えてはいけないものが見える気がする。リーフオールは片腕を袖に通した。
リーフオールは目の錯覚が気になって、じっと空間を凝視した。
いる。目が合った。
「うわっ!びっくりした!」リーフオールは飛び上がった。
改めてみると、女性は明らかに存在していた。鋭さと優しさを併せ持った不思議な瞳で、じっとリーフオールを見ている。
頭飾りのついた――猛禽類を象徴した装飾がなされている――細身の女性だ。けれども華奢な感じはなかった。むしろ立ち姿に隙がなく、全体的に身体が引き締まっている。肩と胸には身を守るための鎧がついていて、それらにも細やかな装飾が施されていた。
みっともない声を出してしまった、と少し恥ずかしい気持ちがリーフオールに沸き起こった。
「ぼ、亡霊かと思ったぞ。びっくりさせるなよ」リーフオールが安心したように笑った。
「亡霊です。一度死にました」女性が即答すると、リーフオールの口から「ひっ」と情けない声が出た。
けれども、女性の亡霊が悪意を持ってるようには見えない。
沈黙が続き、二人は見つめ合っていた。
「……名前は?」とリーフオールが切り出すと、「ヘメト」と亡霊が言った。
「あんたが、この服を?」と問うリーフオールに「はい」と答えるヘメト。
「そうか、ありがとう」
リーフオールは反射的に投げ捨てた服をもう一度手に取った。
その様子を亡霊が見ているのが気まずい。
リーフオールには目が覚める前の記憶が何もなかった。ただ、一つだけ確かな使命感があった。
「俺は魔王を倒しに行かなければならない。ヘメト。ここがどこかわかるか?」
「レムリア城の廻生の神殿です」
魔王城じゃないか!と、リーフオールは心で叫んだ。
「ここに魔王がいるのか?」
「あなたのいう魔王は、この神殿を出た通路をまっすぐ行った先、王の間にいます」
目の前じゃないか!と、リーフオールは再び衝撃を受けた。
また静かな時間が訪れる。リーフオールはようやく片腕に袖を通し終えた。布がこすれる音だけが部屋の中に小さく響いている。
「ヘメトはなぜ死んだ?」ふと、気になったことを聞くと
「あなたに殺されました」と、抑揚のない声でヘメトが答えた。
「なんだって!?」リーフオールにはその記憶がない。
俺がヘメトを殺したのか?と、リーフオールの頭の中に疑問が渦巻いた。
「私は王の配下です」
全身の血液が加速するように、リーフオールの心臓が高鳴った。
まずい。記憶が消されているのか?
魔王の配下と目覚めたタイミングで鉢合わせてしまった。
どうする?やれるか?
やるしかないだろ!
リーフオールは決意した。
「貴様、亡霊になってなお世界にあだなすつもりか!」叫びながらリーフオールは手を伸ばして剣の柄を握った。その瞬間、ヘメトが剣を蹴り飛ばす。握った手から弾かれた剣が、神殿の中を転がった。
静寂の空間を引き裂くように、金属と岩のぶつかる音が響く。
リーフオールは拳を構えた。ヘメトも構えた。
亡霊でも物体に干渉できるらしい。と、リーフオールは敵を分析した。
ヘメトが動き出す前にリーフオールが前に踏み込んだ。神速の拳がヘメトの顔面を打った。ヘメトは避け切れず、よろめいた。
いけるぞ!
と、思った瞬間、ヘメトが視界から消えた。それと同時に、リーフオールの足が浮いて、ぐわんとひっくり返った。何が起きたか理解できなかった。
このとき、ヘメトはよろめく動きの流れを利用するように――回転しながら身を沈ませて――洗練された無駄のない動きで、足払いを繰り出していたのだ。リーフオールはふくらはぎを強く打ち払われ、後ろに倒れた。
リーフオールは床で後頭部を強く打ち、一瞬目の前が暗転した。腹にどしんと重みを感じる。痛みに閉じた目を開くと、ヘメトが馬乗りになっていた。そのまま拳を振りかぶると――
重たい一発。
防ぎようのない一撃をリーフオールが鼻に食らう。激痛と同時に、視界で火花が散った。
鼻血と声が漏れる――と同時に、もう一発。
「痛い」と考えている間に、肘が腹に落ちてきた。肺から全ての空気が飛び出すほどの衝撃。
リーフオールは激痛の反射で、くの字に身体を折りたたむように起こされた。
起きあがった顔を裏拳で打たれ、頭が再び地面に叩きつけられた。鐘を打ったような衝撃が、頭蓋から全身に響く。
そこでリーフオールの意識は途切れた。