プロローグ
この物語は、かつて神々が豊富な命を溢れさせたエルデの世界での話である。
数多の神々は、人が人を殺すための傀儡になり下がった。
悪魔アスタロトを封印し、人類の繁栄をもたらした神の力はただ一柱の神の力によって為されたと主張されている。
その名をティールと呼ぶべきか、或いはオルドーンと呼ぶべきかで人類は再び争った。
人類得意の言語で分かり合うよりかは、お互いのことを血を血で洗い流し、憎しみあうことでしか、お互いを分かり合う事はできないようであった。
ティール教団がオルドーン教団を圧倒し、決着がついたかに思えたが、ティール教団はバーネン派とトラド派に分裂。
人は血に飽く性質を持ち合わせておらず、再び殺し合いが始まった。
それぞれの時代で、政府は神々の名を借りた大義名分を掲げ、殺戮に「正義」のレッテルを貼った。
ティール教の分派との争いに巻き込まれたオルドーン教もまた分裂し、シルト派とリノベ派に分かれた。
神々が結束と分裂を繰り返す中、「通貨」という概念だけがあらゆる宗派や政府に受け入れられて、常に勢力を拡大していった。
技術の発展により資源は効率的に利用されたが、人々はその際限のない欲望を更に膨らませ、資源をどんどん消費していった。
もはやただのデータでしかない「通貨」に人々は祈りを捧げ、命を捧げる。
半ば神と化したそれは今もなお膨らみ続ける。
しかし、通貨の膨張に反比例して、エルデの資源は急速に枯渇している。
古代から伝わる霊的な理力を信じる人々は、気が狂っていると思われるか、現実から目を逸らしているだけだった。
神の力が流れるところ、つまり、お金と経済の脈を打つならば理力の類も人々に歓迎された。
つまるところ、「通貨」という神は、現実そのものであり、その流れは世界を定義していると言っても過言ではない。
技術の発展により、人々は血液中のナノボットを持ち、脳波でデバイスを操作し、豊かな仮想現実<ネルビオ>にいつでもアクセス可能になり、身体の損傷はロボティクスで容易に修復されるようになった。
政府が機能せず企業が蹂躙する世の中で倫理は機能せず、技術は化け物を生みだした。
人だった化け物もいれば、機械だった化け物もいれば、獣だった化け物も現れた。
それはもはや理力が信じられた神話の世界の魑魅魍魎の類であり、理獣と総称される。
身体が不完全でも、仮想世界<ネルビオ>で人々は心のまま活躍することができた。
しかし、誰もが一見平等な能力至上主義の世界で、人々はまた格差の餌食となった。
ネルビオの中で、更にネストが産まれた。これは「仮想世界の中の仮想世界」だ。
ゲームのように、限定的な価値観で新たに構築された仮想世界で、人々はエルデやネルビオで満たされない精神的な価値を求めてその心を慰めた。
人々はエルデに絶望し、ネルビオで新たな自分を探し、そこで絶望し、ネストに逃げ込んだ。
しかし、搾取する側の人間はいつもはるかな高みからそれを観察し、新たな世界のバランスを組み立てて、己は神の身に近付こうと足掻き続ける。
神に近づきながらもその身を焼かれ、滅び堕ちゆくその姿が、たまに貧困層の慰みとなるのだ。
中間層は減少し続け、裕福な者と貧しい者の差は拡大した。
富んだ者は神に等しい力を手にし、新たなる人類に近づく。
その一方で、貧しい者には幻想を与え、気晴らしを提供し、その生命を消費するための言い訳を与え続ける世界となった。
これは、答えのない世界で、誤ちだらけの世界であり、それでも生きねばならない者たちの魂の叫びを描く物語である。