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閑話 バルドザード開戦 前編

今回は二日に分けて、二話ずつ投稿させていただきます。

 その日、バルドザードにリシュコールからの宣戦布告が届いた。

 それを聞きつけたシロは、ヘルガを探して城内を駆け回る。

 彼女がヘルガを見つけたのは、食堂だった。


 ヘルガは幼い少女と一緒に食事をとっており、大きく口を開けてハンバーグを食べている少女を満足そうに眺めながら、自分はナイフで切り分けた肉を少しずつ上品に口へ運んでいた。


「もっとよく噛んで食べなくてはいけませんよ、イヴ」

「はーい」


 イヴと呼ばれた少女は素直に返事をし、食事を再開する。


「ヘルガさん!」

「どうしました? シロ」


 呼びかけると、ヘルガは口元を拭いてからシロに向いた。


「リシュコールから宣戦布告がきたと聞きました! 大丈夫なんでしょうか!? 大丈夫なんでしょうかっ!?」

「落ち着いて」


 ヘルガはすぐに返答せず、シロが落ち着くのを待つ。

 そして、諭すように答え始めた。


「想定どおりですよ。あなたが皇配殿下の訃報をいち早く届けてくれたおかげで、十分に準備する時間が確保できました」

「じゃあ、だ、大丈夫ですか?」

「これからの頑張り次第ですかね」


 しっかりと不安を拭い去ってくれなかったヘルガの返答に、シロは顔色を悪くした。


「これからゼリア陛下がここを目指して一直線に攻め入って来られるでしょう。泥沼の戦乱は歓迎すべき所ですが、さすがに本拠地を獲られては戦争どころではありません」

「じゃ、じゃあ、怒り狂ったゼリア様を止めなくちゃいけないって事ですか?」

「そうですねぇ」

「誰がゼリア様を止めるんですか」


 シロの質問にヘルガは考える素振りを見せる。

 間があって、彼女が答える。


「あなたですかね?」

「ええーっ!」




 リシュコールはバルドザードへ宣戦布告し、三日後には軍が国境を割った。

 軍の規模は五千程度のものである。


 リシュコールの目標はバルドザードの王都であり、今回の軍事行動によって国を落とす心算であった。


 軍事力こそリシュコールに軍配があがるが、両国は同等に近い国力を持っている。

 それを踏まえると明らかに無謀な案である。


 まず兵士が少ない。

 これは兵糧が関係している。

 軍を飢えさせずに行軍するための最低限のラインが五千という数字だった。


 しかし侵攻を推し進めたゼリアは本気でそれを成すつもりであり、彼女自身にもその無謀を実行できると付き従う兵士に思わせるだけの実力があった。


 この世界における戦は一個人の武勇が支配するものである。

 秀でた勇者が一人いるだけで、比喩でなく万夫不当を成す事があるのだ。

 しかしながらその他の兵士が必要ではないか言われるとそうではない。


 一人の人間である以上食料は必要になってくる。

 食料を安定して供給する事ができなければ戦う事ができなくなってしまう。

 そのためにも補給ラインは維持し続ける必要があり、拠点の占領、防衛にも人員は必要なのだ。


 侵攻が進む度に人員は割かなければならないため、ただでさえ少ない五千の兵はこれからも減り続けていく事になるだろう。


 当初、ゼリアは単騎で攻め入る事を提案したが、姉であるジークリンデはそれを諌めた。

 驚くべきは、ゼリアの提案を受け入れる臣下が多かった事である。

 それだけ、ゼリアの力に対する信奉は強かった。


 ジークリンデはそれに対し、懸念としてバルドザードの保有する邪神の呪具についての情報を明かし、ゼリアが討たれる可能性を提示した。


 呪具が聖具と同等の力を持つ存在であるという事実は、臣下達に少なくない混乱を生んだ。


 それにより臣下達からもジークリンデに同調する者が増え、ゼリアの説得に成功したのである。

 結局、補給線の構築は行うが、補給を行わずに大量の糧食を持った輜重隊で糧食を賄いつつ強攻するという形で話はついた。

 それ以上の妥協案をゼリアが受け入れなかったのである。


 ゼリアは一番に駆けつけ、シアリーズの仇を叩きのめしてやりたいという気持ちが強かった。


 侵攻部隊の戦列には皇姉ジークリンデを始め、ゼリアの実子であるゼルダ、グレイス、カルヴィナ、スーリアの姉妹も参加している。


 侵攻は長い隊列を成す形で行われた。

 隊列の最前にいるのはゼリアである。


 バルドザードの大地は深い雪に覆われていた。

 しかし行軍は常よりも速く、ゼリア個人の逸る気持ちを表しているかのようであった。


 軍の(かなめ)となる輜重隊は隊列の中列後部に位置し、ジークリンデの騎馬隊が守りを担っている。


 それだけでなく、ジークリンデの騎馬隊はその機動力を生かして斥候と全軍への情報伝達を担い、軍団における実質的な中枢と見てもよかった。


 ゼルダとグレイスは初陣のため、ジークリンデの隊に配置されていた。

 同じく初陣となるカルヴィナとスーリアがゼリアと共に最前へ配されたのは、本人達の強い希望があったからである。


「グレイス」

「なんですか?」


 行軍中、ジークリンデはグレイスに声をかけた。


「お前は(いさか)いが嫌いだろう? 国で待っていてもよかったんだぞ」


 今回、グレイスが戦列に加わったのは彼女が志願したためである。


「グレイスは……守りたいんです。家族を……」

「守りたい?」

「戦に出るお母様も、国に残っているお姉様の心も……。今回の戦いに勝てれば、お姉様の心を守れると思うんです」


 戦の間際、ゼリアは実子ロッティと仲違いをしていた。

 それから和解もなく、今に至っている。

 原因となったのは皇配シアリーズの死であり、その原因はバルドザードである可能性が高かった。


 確証こそないが、現に今までもバルドザードはリシュコールに対して攻撃と思しき行動を繰り返していた。

 敵対の意思は明確であり、最も疑わしい相手である。


 その原因が取り除かれれば、また母と姉は仲良くできるのではないかとグレイスは考えていた。

 そのための参戦である。


 何より……。


「……それにグレイスは怒っているんだと思います。お父様を殺した相手に……」


 答えた瞬間、グレイスの頭からパリパリと電流が発せられた。

 ジークリンデは、グレイスの殺意を強く感じて身を震わせる。


 グレイスは姉妹の中でもとりわけ大人しい子供ではあるが、やはりその内にはゼリア譲りの苛烈さが秘められていた。

 それをまざまざと感じ取ったのである。


 リシュコール軍はバルドザード領内の半ばまで来ていた。

 進軍行路にあるバルドザードの拠点を落とし、補給線を確保しながらの行軍である。

 拠点の攻略は殆どゼリアが一人でこなした。


 堅牢な城壁を拳一つで砕く彼女の前に、拠点の防備など無いに等しかった。

 兵士の損失も皆無であり、行軍はこれ以上ないほどに順調だった。


 それまで目立った動きのなかったバルドザードが動き出したのはその時である。

 始めに異変があったのは、輜重隊を担う騎馬隊であった。


 行軍途中、ジークリンデは愛馬の歩みにかすかな澱みを感じ取った。

 安心させるように首筋を撫でてやるとすぐにその澱みも消えて正常に戻ったのだが……。


 同時に、騎馬隊全体がにわかに騒がしくなり始めた。

 騒ぎの原因は、急に馬が騒ぎ出したためである。

 馬達は騎手が落ち着けようとするのも構わず、むしろ振り落として暴れた。


 騎馬隊の馬は訓練された軍馬であり、多少の事で暴れる事などない。

 まして、敵襲などの怯えを生む前兆もなかった。


「どうした! 馬を落ち着けろ!」

「……ダメです! 言う事を聞きません! うわぁ!」


 そう叫びつつ、騎兵が一人落馬した。

 自由の身となった馬が、いずこかへ走り去っていく。


 ジークリンデは苦い顔をして状況の把握に努める。

 周囲を見れば、難なく馬を落ち着けた者もいれば、成す(すべ)なく馬に振り落とされる者もいた。


 ジークリンデの愛馬のように、暴れてすらいない馬もいる。

 ゼルダとグレイスの馬も殊更に暴れる事はなく、二人に従っていた。


「これは、ロッティの予想が当たったか」


 ジークリンデは、出立前にあったロッティとのやりとりを思い出した。


 彼女は戦闘能力の乏しさ、そして母であるゼリアとの対立もあって戦地へ赴く事はなかった。

 作戦会議にも参加させてもらえず、その内容を聞きたいと請われてジークリンデはロッティとの会談に応じた。


「この戦いは撤退のタイミングを計る必要があるかもしれません」


 作戦概要に黙って耳を傾けていた彼女は、作戦概要を聞き終えるとそう発した。


「負けると言うのか?」


 正直に言えば、ジークリンデは妹が何者かに負けるという事態を思い描けないでいた。

 むちゃくちゃな内容の、作戦と言うのもおこがましい作戦。

 それでもゼリアは、この戦いでバルドザード平定を成してしまうだろう。


 そう、漠然と思っていた。

 しかしロッティはそれを否定する。


「勝とうと思えば勝てるかもしれません。しかしそれを成した時には、大きな被害が残る事となるでしょう」


 純粋な人的被害。

 そして、物資の損耗。

 勝ったとしても国力は大きく落ちるだろう。


「今後を考えれば軍の被害は抑えるべきです」


 今後とは、他国との関係を意味しているのだろう。


 リシュコールは食料の多くを他国からの輸入で賄っている。


 シアリーズの手腕によって資金は潤沢であり、取引のある国々とは良好な関係を築いているが……。


 弱みを見せた時に手の平を返される可能性も十分にありえる。

 ある程度の余力を残した上で勝利しないとそのような事が起こった時に対処できない。


 納得できる考えではある。


「今の陛下では、引き時の判断を下せないでしょう」


 陛下、とロッティはゼリアを称した。

 今までは「ママ」と呼んでいたのに……。


 二人の間にあったいざこざは聞き及んでいる。

 その場で、ゼリアはそう呼ぶ事を禁じたらしい。

 ロッティがこうまで簡単にそれを受け入れている事に小さくない衝撃を受ける。


 親に対して許しを請うつもりはないようだった。


 シアリーズがいなくなってからのロッティは、ジークリンデから見て別人のように映った。

 見た目が変わったわけではない。

 作る表情、声色……見た目以上に些細な所作……雰囲気が今までのそれではなかった。


 甘さが消えたというのだろうか?

 元々大人びた子供ではあったが、完全に子供としての部分が消え去ったように思えた。


「有事の際に、陛下を説得して退かせる事ができるのは伯母様だけです」


 私の事は伯母と呼んでくれるのだな、と少しの安心を覚える。


「正直に言えば、今のゼリアを止められると思えん」

「ですが、戦況は変わりますよ」


 ロッティは言い切った。


「どう変わるというんだ?」

「正確にはわかりません。ですが、バルドザードは今までこうなる事を想定して攻撃を仕掛けてきていました。攻められた時の準備もしているでしょう。もちろん、反攻の手立ても用意している……」

「確かにそうだろうが……。なら、どう抗すると思う?」

「戦力的に見て、リシュコールとまともに戦えるだけの力をバルドザードは持っていません。それでもリシュコールを退けるとするなら、狙うべき点は二つ。糧食か陛下当人」

「ゼリアを? 糧食はわかるが、ゼリアを狙うとは思えない」


 自分ならばゼリアを狙うという選択は外す。

 ありえるのは糧食の方だろう。

 実際、その考えにはジークリンデも至っていた。


「警戒すべきは輜重隊だ。だからこそ、私の騎馬隊が防備を担う事になっている。私が守る以上、むざむざと抜かせるつもりはないぞ」


 ジークリンデが反論すると、ロッティは考えをまとめるために少し間を置いて答え始めた。


「まず、陛下についてですが。相手方には邪神の呪具があります」

「邪神の呪具?」


 聞き慣れない言葉に、ジークリンデは言葉を復唱する。


「私……僕が一度、バルドザードの刺客に狙われた事を憶えていますか?」


 ロッティは言いかけた一人称をあえて訂正した。

 意図はわからないが、あれ以来彼女は父親の口調を真似るようになった。

 ただ、彼女なりに父親の死と向き合おうとしている事はわかる。


 そんなロッティの態度に痛々しさを覚えつつ、ジークリンデは「憶えている」と口にした。


「その時の相手が邪神の呪具の使い手でした」


 ロッティは事の経緯と邪神の呪具について説明する。


「では、呪具の使い手であればゼリアを倒す可能性があるという事か?」

「はい。呪具の使い手が複数人いる事は確認されています。並みの武器であれば陛下を傷つける事などできませんが、呪具ならばそれも適うでしょう。数で攻められれば、陛下が討たれる可能性も十分に考えられます」


 ゼリアは軍にとって、戦力的にも精神的にも支柱を担っている。

 討たれれば、軍事作戦などできなくなるだろう。

 それどころか、戦況は一気に不利へ傾く。


 ゼリアを討てる相手に、ジークリンデは勝つ自信がない。

 他の兵士達も同様であろうし、士気は驚くほど下がる。

 国全体に厭戦思考が蔓延し、そのまま降伏となる可能性もあった。


 しかしジークリンデには、その呪具の存在が眉唾に思える。

 報告書には記載がなかったと記憶している。

 これはシアリーズがあえて記載しなかったからであった。


 情報源はロッティの報告のみであり、それだけを根拠に不確かな情報を記載するべきではないと判断したからである。

 独自調査の後に根拠を得てから追加の報告をしようと考えていたが、ついぞその根拠を得る事はなかったのだ。


「輜重隊の件についても、この呪具が関係しています」

「う……む。とりあえず聞いておこう。話せ」

「僕を襲った呪具の使い手は獣を操る力を持っていました」

「獣を?」


 それは騎馬隊にとって相性の悪い能力だ。

 戦力の要となる馬を扱えなくするというものなのだから。


「それが呪具の力か?」

「恐らく違います。呪具を使った際に発現したのは複数の人間に不調をもたらす能力でした。聖具に宿る能力は一つだけです。呪具もそうでしょう。なら、相手が元々持っている能力であるか、もしくは呪具を二つ持っていた可能性があります」

「どちらにしても、騎馬隊を襲うのにおあつらえ向きの能力というわけだ」


 ロッティは頷いた。


「バルドザードがどちらを狙い、戦況がどう転ぶかはわかりません。ですが、現地で正確な状況判断を下し、なおかつ陛下を説得できる人物は伯母様だけです」

「言いたい事はわかった」

「……この戦いで勝ってくれるのが一番いいのですが。でも、それが適わないならば被害が大きくなる前に早く撤退してしまうべきでしょう。次の手立てを考えなければなりませんので」


 手立て、ねぇ……。

 ジークリンデは内心で呟く。


 もしかしたら、ロッティが口にした「今後」はバルドザード戦における戦略的な意味合いの事だったのかもしれない。

 ふとそう思えた。


「お前は、戦争に反対だったのではないのか」

「でも、もう止められないでしょう?」


 ロッティはあっさりと言ってのけた。


 切り替えが早い。

 そう、本当に切り替えが早い。


 ロッティは兼ねてから反戦を訴えていたという。


 だというのにこの娘は自分の意見に拘らず、すぐに切り替えて代案を出してきた。

 これが子供にできる判断だと言えるだろうか?

 まして、父親を亡くして間もない子が、ここまで冷静に振舞えるものだろうか?


 何か得体のしれないものを感じた。


 そして、戦場においてロッティの指摘は的中した。


 全ての騎馬が暴れているわけではないが、十分に混乱がある。


 馬を御せた者と落馬した者……。

 この違いは何か?


 周囲を見回し、ジークリンデはその違いに気付く。


 落馬した者は、馬の扱いがぞんざいだった者達だ。

 ジークリンデは馬を粗末に扱う者を許さなかったが、馬を移動手段としか見ずに最低限の世話だけで済ます者は一定数いた。


 落とされたのはその者達だ。


 対して馬を御せたものは、真面目に馬の世話をしていた。

 馬を慈しみ、普段から絆を育んでいた者達だ。


 恐らく、例の呪具使いは動物を操れるわけではない。

 語りかけ、(そそのか)す事ができるだけだ。


 その考えに至った時だ。

 どこからか笛の音が聞こえる。

 すると、体から力が抜けた。


 来たか……。


 警戒するジークリンデの前に、リジィは姿を現した。

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