三十一話 聖と呪の前哨戦
「ぐらあああああっ!」
リューの啖呵を理解したかのように熊は吠え、爪を振るう。
身の丈の倍はあるハルバードを軽々と扱い、リューはそれを打ち払った。
打ち払われた手は容易く切り裂かれ、二の腕までに深々とした裂傷を作る。
痛みから悲鳴を上げる熊に、リューは上段からハルバードを振り下ろす。
唐竹に頭頂から打ち据えられた一撃は、背を通り尻までを抜けた。
熊の体が正中線沿って綺麗に割れ、血しぶきを上げながら真っ二つになって崩れた。
その様に目を奪われていると「危ないッス」とケイの声がかかる。
周囲を見ると、山犬が近くまで迫ってきていた。
「うおおおおおおっ!」
ケイが叫びを上げて、山犬に拳骨を落とす。
山犬の頭が地面に叩きつけられ、簡単に潰れた。
そして勢い余って地面を殴りつけると、まるでビスケットを砕くかのように軽く地割れが起こった。
放射状に起こったそれは、前方の山犬を巻き込む。
「うわぁ! 大変な事になったッス!」
その惨状に、当人が驚きの声を上げた。
その間にも、そこから逃れた山犬は執拗に私を狙う。
が、走り寄る山犬の腹をジーナは横合いから蹴り飛ばした。
迫ってきていた山犬の群れが、次々に蹴り飛ばされていく。
その動きを私は目で追う事ができなかった。
蹴りを放つ瞬間こそ見えるが、移動する姿は完全に見えなかった。
もはや、消えているようにすら思えた。
それは聖具の能力に他ならなかった。
流石、というべきか……。
聖具というものは、これほどに人の力を引き出すんだ。
あれほど苦戦していたのに、もはや獣の群れが相手にならないほど三人は強くなっていた。
その様を見て、私は安心した。
このままなら、生きて帰れるかもしれない。
すると、獣達の動きが変わった。
あれほど執拗だった攻撃がウソのように止み、あっさりと逃げていく。
「終わった……?」
「ああ。俺達の勝ちだ!」
私の疑問に、リューが返す。
「いや、そうじゃないかもしれない」
私が答えると、リューは怪訝な表情を向ける。
森の奥に視線を向ける。
その方向から、一人の女性が歩いてきていた。
女性はとても小柄だった。
リュー達よりも背は少し高いが、それでも成人女性にしては低いだろう。
その小さな体をチューブトップとホットパンツで包み、さらにその上から獣の毛皮を羽織っている。
背を覆うボリュームのある黒いウェーブヘア。
こちらを見据える金色の虹彩。
印象的なその双眸の下、口元は犬科動物のマズルを思わせるマスクに隠されていた。
そして、右手には一本の杖を持っている。
異様ないでたちだった。
一目見て、リューも警戒する。
そして私は、そんな彼女を知っていた。
バルドザードの幹部、リジィだ。
「正直、気は乗らなかったが……。私個人にもお前達を殺す理由ができた。手ずから殺してやる」
リジィは胡乱な視線を向けながら、そう口にする。
「お前は?」
リューは問いかける。
「同僚もどういうわけか働かんわけだしな」
リジィはリューの問いかけを無視して続けた。
おもむろに口元のマスクを外す。
まずい。
「リュー! 逃げよう!」
「はぁ? 何で?」
「あいつが私達を襲わせた奴だから!」
「なら丁度いい! ここでやっつけちまおう!」
ええー!
「すごく強い人だからやめろって言ってるの!」
「今の俺達なら、誰にも負けねぇ!」
話を聞け、馬鹿!
強い武器を持ってかなり気が大きくなっているようだ。
確かに、聖具は強力な武具だ。
でも、今回は相手が悪い。
「行くぜ! みんな」
「おうッス!」
リューの言葉にケイが答え、ジーナは小さく微笑む。
三人は、リジィに向けて突撃した。
リジィはそんな三人に怯む事無く、口元へ横にした杖をあてがった。
不思議な音色が杖から発せられる。
それと同時に、リューのハルバードが地面を穿った。
いや、持てなくなったのだろう。
「ああ? なんか、体から力が抜ける!」
ケイも聖具の重さに引っ張られるようにうつ伏せで転び、ジーナもつんのめるようにして転んで仰向けに倒れた。
「な、何がどうなってるッス?」
「武具が急に重くなった」
いや、そうではない。
武具が重くなったのではなく、支えるだけの力がなくなったのだ。
それがリジィの呪具、ロキの効果。
あの杖状の横笛こそが、呪具である。
獣を操る力は呪具の力ではなく、リジィ当人の特殊能力だ。
彼女の呪具の能力は、奏でた音色を聞いた相手の力を削ぐという物。
つまりデバフだ。
その上、状態異常まで引き起こす厄介なもの。
リュー達も確かに聖具を持っている。
けれど同等の武具を持ち、なおかつ扱いにも習熟しているリジィの方が戦力としては上だ。
身動きの取れなくなったリュー達は、力を失っただけでなく明らかに衰弱し始めていた。
当の私も、明らかに体が重く体調が悪い。
まるで重度の風邪をひいた時のような感じだ。
頭がふらつき、立っていられずに膝を折る。
そんな中、リジィは演奏しながら私達の方へ近づいてきていた。
やっぱり、どうにもできないんだろうか?
このままではリュー達が死に、聖具もバルドザードの手に落ちてしまう。
それでは、ゲームと状況が変わり過ぎる。
邪神を倒せないかもしれない。
それだけは絶対に阻止しないと……。
焦りを覚えつつ、自分にできる事を考える。
今更ながらに命を惜しむ気持ちと自分の無力さが体の動きを制限する。
頭だけは動く。
けれど、考えを巡らせば巡らせるほど、この状況が八方塞である事の実感が強くなる。
そんな時だった。
遠く、山の斜面が不意に抉れた。
それに驚き、リジィが演奏を中断する。
「あの場所は……シロ」
抉れた山の斜面を遠望し、リジィは呟く。
「おおりゃあ!」
視線が外れ、演奏が止まった隙を付いてリューがリジィに襲い掛かる。
それに、ケイとジーナも続く。
が、リジィは笛を口にやりつつ、リューの顎を踵で蹴り上げた。
次にケイがミドルキックで迎撃される。
ジーナは蹴りを放つ事が、リジィはそれを足で難なく防ぐ。
ジーナは脚甲によってその速度が増している。
しかしそんな彼女の蹴りに対して、リジィは渡り合い……。
その上で圧倒した。
繰り出される蹴りを全て凌ぎ、反撃の一撃がジーナの腹部に突き刺さった。
全員が蹴り飛ばされると、リジィは倒れるリューを踏みつけた。
ダメか!
そう思った瞬間、リジィが後ろに吹き飛ばされる。
いや、違う。
リジィの右肩には、長い弓矢が刺さっている。
狙撃だ。
私は背後を見やる。
すると、遠く離れた場所でクローディアが弓を構えて立っていた。
彼女が持つ弓は、右手に装着されている弓とは別の長弓だ。
立ち上がろうとするリジィだが……。
ひゅっという音がしたかと思えば、左肩をさらに弓矢が抉る。
「ぐうぅ……」
さらに追撃の音がする。
が、リジィは飛び起きざまに、飛来した矢を蹴り落とした。
笛を口にしようとするが、すぐにやめる。
「音色が届かんか……。相手が悪いな」
呟くのと同時に、リジィは背を向けて走り出す。
逃げた!
「このぉ!」
リューが起き上がって追おうとする。
「追っちゃダメだ! 今のリューじゃ勝てない」
「なんだと?」
「勝てると思うの?」
私が目を見て問いかけると、リューは黙り込んで悔しそうな表情になった。
実際に手を合わしたからこそわかるのだろう。
その後も追撃の矢が放たれ続けたが、リジィはそれらを受け、回避し、蹴り落としながら逃げた。
途中、どこからかユニコーンが現れ、彼女を背に乗せて去っていく。
そうしてみるみる距離が離れていくと、追撃の矢は止んだ。
今度こそ終わった、のだろうか?
戦いの気配が去って、私は内心で呟く。
しばらくして、クローディアが私達と合流した。
「怪我は?」
「私はないけど」
「なら良かった」
「クローディアさんは?」
「私は怪我の治りが早いんだ」
そう言うクローディアは確かに無傷である。
あんなに何度も銃撃されたとは思えない。
これがクローディアの聖具、イザナギの力。
生存能力の強化。
服に大穴が開いているのに、そこから見える素肌は無傷である。
あまり想像したくないが、多分一回穴が開いたけど回復したという事なんだろう。
「しかし、何者だあいつらは?」
リジィの逃げ去った方向を睨み据え、クローディアは誰に言うでもなく呟く。
私はその答えを知っている。
でも、何故ここで彼女達が現れたのか、その答えを持っていなかった。
これがゲームでもあった史実なのか、私の行動によって変化した歴史なのか、その判断はつかなかった。
もしかしたら、私では及ばない未知の展開に向かっているのかもしれない。
そう思うと、私は不安を覚えた。




