2.昭和という時代
今年は昭和55年。
西暦では1980年。第二次世界大戦が終わってから今年で35年目だ。
ぼくらにとって季節の訪れは、ごくありふれた時間の通過にすぎない。
でも、夏という季節、ことに夏休みは、なにもかもが特別なのだ。
昭和の三種の神器と呼ばれている冷蔵庫・洗濯機・クーラーのうち、冷蔵庫と洗濯機はほとんどの家庭に普及したが、クーラーのある家はまだまだ少ない。つけるのはよほど暑い昼間か、夜寝るときの数時間だけ。夜中に切れるタイマーを忘れずかけておかないと、冷えすぎて風邪をひいてしまう。
昼間の気温が摂氏30度を超えることはめったにない。なぜなら夜になれば空気は冷えて、朝は涼しくさわやかになる。
暑い昼間は、ときどき光化学スモッグ注意報が出る。空が霧みたいなのに覆われて視界が悪くなり、気分が悪くなる人がいるらしい。
ぼくらはなったことがないけど。
夕食後、ぼくらは外へもういちど出る。
外はまだ薄明るい。
お父ちゃんやおじいちゃんが、前庭へ横に長い竹製の椅子を出す。床几という長椅子だそうだ。近所のおじさんもやってくる。
お父ちゃんたちはゲームの将棋をしたり、枝豆をつまみにビールを飲んだりする。
子どもだってまだまだ活動時間だ。
家からめいめい花火を持ち寄ってくる。
お母さんたちが水を入れたバケツを用意してくれる。
人気は線香花火だ。
パチパチ燃えて、ちらつく火花が終わったところからが本番になる。
小さな火球はチロリッ、パチッ!
明るい火花を飛ばしながら、少しずつ、少しずつ縮まっていく。燃え尽きたその火球が「ポトリ」と落ちるまでのわずかな時間がどれだけ伸びるか、飽きもせずに競いあう。
これはぼくらにとって何年も変わるはずのない大切な夏の風景だ。
いよいよ地蔵盆が始まる1日目。
また近所の寺から和尚さんがやって来て、お経を上げた。
昨日はお地蔵様を一時的に移動させる許可を得るための、挨拶のお経だったそうだ。
祭壇にはお菓子を詰め合わせた袋が山のように供えられている。大きなスイカが2個と、ジュースのラムネの瓶が入ったプラスチック製のケースは5つもあった。
お経が終わると、和尚さんはうちの客間へ涼みにいく。お茶とお菓子が用意してあるから。
お地蔵様にお供えされたお菓子の袋がお下がりとして子どもに配られたら、地蔵盆の始まりだ。
お菓子の袋は、地蔵盆祭りのためにいろんなお菓子を詰め合わせたものだ。
スポーツ選手が走る絵で有名なキャラメルやポッキー、ポテトチップスやおまけ付きのチョコレートなど、ふだんならお小遣いで1個ずつしか買えないお菓子が大きなビニール袋にたくさん入っている。
これが3日分のおやつになる。
もらった直後はうれしすぎて、必ず少しずつ食べようと思うが、3日目まで残っていたためしがない。
だから、ぼくらはお菓子も分けっこする。
そうすればお菓子の残っている時間が少しだけ伸びて、4日目の半分頃にも残っているかも知れないからだ。
「あれ? ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう……。変やな、今年はこんなに余ったで?」
「多めに買うたさかいな。でも、まだ取りに来てへん子もいるんとちゃうやろか。それでも残ったら、3日目に皆でわけたらええわ」
お母ちゃんたちの会話に僕らは耳を澄ませた。余ったお菓子は3日目にもらえるらしい。
ふと見れば、あの子たちもお菓子の袋をおばあちゃんからもらっている。うちの町内の子じゃないけどおばあちゃんもいるし、ぼくの親戚だとわかっているからだろう。
あの子らがもらっても、お菓子の袋は減っていなかった。だいじょうぶ、あそこに置いてある分は絶対に余るはずだ。
ぼくらは何が何でも3日間のいちばん最後までここにいなければならない。と、うなずきあった。
倉庫はしっかりした屋根とコンクリートの壁のおかげで昼間も涼しい。
急に雨が降っても地面がぬれないから慌ててござを上げる必要もなく、夜まで気分良く過ごせる。
テントの下にはみんなが持ち込んだ遊び道具がいっぱいだ。
いまいちばん流行しているオセロゲームに人生ゲームは昨日からぼくが持ってきた。お父ちゃんが新しもの好きなので、我が家にはすでにクーラーも設置されていた。
ほかの子が持ってきたサッカーゲーム、樽にナイフを差していけば海賊人形の首が飛ぶゲーム、細い棒を積み重ねていくジェンガ、トランプ、カルタ、百人一首、落書き用の裏が白いチラシもたくさん。
ぼくは家から自分のクレヨンを持ってきて、カブトムシの絵を描いた。クレヨンは地蔵盆の間だけは、このテントの下へ置きっぱなしにする。
他の子たちも落書きをするだろうから。
それでも無くなったりしない。
ぼくは地蔵盆の間中ここにいるし、近所の子はみんな友だちだ。いつも一緒に遊んでいるから、どれが誰の道具なのか、お互いちゃんと知っている。
親戚の子たちもテントの外で落書きしていた。おばあちゃんが手渡せば、あの子たちもチラシやクレヨンに触って使えるみたいだ。おばあちゃんが見ててくれるならだいじょうぶだろう。
漫画や雑誌もある。さすがにそれはとても大事なものだから、持ち主が来ている間、ゲームをしていない子で回し読みが許されるが、持ち主が帰るときには忘れずに持ち帰られた。
テントには大人もいれかわりやってくる。隠居して家にいる祖父母の世代だけでなく、仕事の手が空いた親世代の大人や独身のおにいちゃんやおねえちゃんたちも遊びに来た。
お菓子をもらったぼくらは子どもだけで何時間もババ抜きやしちならべや神経衰弱をしたり、オセロでトーナメント戦をした。
夢中で遊んでいるとお菓子やジュースが欲しくなる。
便利なことに、うちの町内の駄菓子屋は地蔵盆のテントから20歩先にあった。
ふだんなら、昨日は卵の形をしたアイスクリームを買ったから今日はブドウ味のチューペットを買う。
でも、今日は我慢だ。
テント脇の小型ビニールプールには大きなスイカがまるまる2個、氷屋から買った大きな氷の塊といっしょに浸かっている。
ビニールプールには子どもの人数より多いラムネの瓶も冷やしてあった。これは大人の分もあり、午後に配られる予定だ。
今日も朝からすごく良い天気だ。
日陰の倉庫にいて扇風機にあたっていても暑くてたまらない。
喉が渇いたぼくとタムやんときっちゃんは、家に戻って麦茶を飲んでからまたテントへ戻ってきた。
他の子は2個目のスイカ割りがおわると家に帰った。
午後3時がすぎるとあの子たちもいなくなり、夕方にはきっちゃんとタムやんも帰り、テントにいるのは僕だけになった。
ぼくはおばあちゃんがいてくれるから、夕ご飯ぎりぎりまでテントであそんでいた。
今年は珍しくよく喋るおばあちゃんは、ときどきラジオをつけては古い番組の話を聞かせてくれた。
国民少年なんて番組は聞いたことがない。男の子がみんな兵隊さんになって戦争にいきたいて言うてたなんて、変な話や。
「ぼくはイヤや。戦争なんかいきたくないで」
ぼくは戦争を知らない子どもだ。でも、戦争映画なら見たことがあるし、戦争を題材にしたすごくかわいそうなアニメも見た。
あんなんは絶対にイヤや。
おばあちゃんはぼくの言うことに、うんうん、うなずいていた。
「そやな、あんたらは戦争を知らない子どもやさかい、それでええんやで。あの子たちはな、戦争を体験してしまったお子たちなんや。そのうちみんな忘れるやろうけど、お前は少しだけ覚えといてやってな」