闇エンド
どうですか皆さん、お楽しみいただけましたか。
最期の時がやってきました。平重盛です。
個人的には史実通りの早すぎる死は受け入れがたいものがあるのですが、やることはやりきったと思うので、無念の死というわけではありません。
それでは最期の物語をはじめます。
治承3年(1179年)8月 京
後年、治承の乱といわれる一連の武装蜂起を鎮圧した重盛は京に帰還したあとも精力的に働きつづけた。ともすれば平氏の棟梁たる平宗盛の地位を十分に脅かすことのできる武力をもっているだけに、有象無象から清盛、宗盛の排除をそそのかす声があったが、これらの声を上げた者を徹底して排除・討伐し、平氏を割るようなことはなかった。
重盛の活躍もあって、頻発する武装蜂起に動揺していた政と各地の治安は急速に改善していった。
その重盛が病臥に伏したのは治承3年の夏のこと。
最初は風邪のような症状だったため気にせず政務を続けた。しかし症状に改善は見られず、どうやらただ事ではないと気付いた時には床から起きられない状態になっていた。
薬師の見立てでは皆目見当もつかないと言われたが、見舞いに来たうしゃぎによると宋でも稀に見る奇病であるが、薬はあるとのこと。しかし大陸から取り寄せるまでに死に至る病であると知らされた平氏一門は悲嘆に暮れた。
9月
重盛の病状は益々悪化の一途をたどった。常人であれば出家し、仏に祈りを捧げるところであるが、重盛は出家することを頑として拒否。祈祷の類いも、一切これを行うことを禁じた。
ただ1人の人間が死ぬだけのことである。そう告げて重盛は息を引き取った。
その葬儀は、本人の意思によりひっそりとしたものとなったが、重盛の墓所には常に花が添えられ、途絶えることがなかった。それは一族によるものだけでなく、身分低き者たちからの献花も多数あったという。
-蓮華王院
揺れる。千本を越える蝋燭の火が風もないのに揺れ動く。
千の火をじっと見つめるのはただ独り。
後白河法皇。蓮華王院の主である。
重盛の死後、後白河法皇は1年、その喪に服した。法皇が1年にわたり臣下の喪に服すのは希有のことである。
それだけに周囲には生前の2人の強固な繋がりを感じずにはいられなかった。
清盛、宗盛もそうした後白河法皇の行いに感じ入ったのか、できうる限りの配慮を行った。
「でも、もういいよね。重盛クン。」
深淵を写したような目は何を見ていたのか。
「目障りだった寺社も八条院も始末してくれて、キミには本当に感謝しているんだ。今様心の友の会の仲間だしね。だからキミがいる間は、キミとキミが大切にしているものには手を出さなかったんだよ。でももういいよね。ボクの好きにしても。」
後白河法皇は音もなく立ち上がると蓮華王院を後にする。もう彼が振り返ることはない。
「遊びをせんとや生まれけむ〜 戯れせんとや生まれけん〜 遊ぶ子供の声聞けば〜 我が身さえこそ動るがるれ」
ただ唄声だけが火を揺らす。
その後の後白河法皇と平氏との政争とそれに伴う騒乱は、この物語とはまた別の話である。
(完)