奥州騒乱(1)
承安5年(1175年)4月 越後国・鳥坂城
こんにちは平重盛です。
春です。奥州の雪が溶けはじめました。戦の季節です。なんとか冬までには決着をつけたいと思っています。
「大丈夫や。この1年の関所封鎖と交易停止は、よう効いとるで。こっちの懐もだいぶ痛いけどな。」
こと交易に関してはうしゃぎさんに任せて大丈夫だろう。奥州の内情もうしゃぎさんと城資永がつぶさに調べあげている。
当初は秀衡が「奥州17万騎」などと豪語していたので不安もあったが、うしゃぎさんは一蹴した。
「そんなにおるわけないわ。奥州に住んどる人数なんて60万がええとこや。どう頑張って動員したところでせいぜい1万7千ちゅうとこやろ。」
まさかの1桁違いでした。
これに対してこちらの陣容は、僕の北陸方面が8千、基盛率いる東海道の兵が6千、知盛の坂東武士団6千だ。
補給の面を考えると、これ以上の動員は不可能だし、農兵は田植えもあるので途中で帰すことになる。
3軍は事前に出陣の日取りを調整して進軍を開始する。
まず、僕の北陸方面軍が先に出羽の鼠ヶ関を突破し、一帯を鎮撫しつつ田川郡、秋田郡を制圧し、軍を進める。
僕の出陣から10日後に基盛、知盛が、それぞれ白河の関、勿来関を突破し、陸奥に侵攻した。
僕の侵攻に慌てた藤原秀衡は、出羽に藤原国衡率いる3千を向かわせ、藤原泰衡を基盛・知盛への備えとして南下させ、自身は平泉で指揮を執ることにしたとの報せが細作から入った。
ここで藤原泰衡が愚を犯した。自身は多賀城で指揮を執ると言い出し、防衛ラインと定めた伊達郡・阿津賀志山には、率いる兵6千のうち、2千だけを向かわせた。
対陣した基盛は、その兵の少なさをいぶかしんだが、好機であると判断し、攻撃を開始した。
まず、阿津賀志山の前面に作られた二重の堀の手前に陣を置き、そこから遠江から持ち込んだ投石機で投石を開始する。
奥州勢がたまらず後退するのを見計らって堀を埋め立ていく。
対峙すること数日、知盛の坂東勢が奥州勢の陣の東側から現れ、猛獣のごとく襲いかかった。
これが奥州勢の急所を抉った。
奥州勢が戦意を喪失したとみるや、基盛も歩兵を突撃させ、散々に打ち破った。
合流した基盛と知盛は、陣容を整えると北上し、多賀城に迫った。
一方、多賀城に陣を構えた藤原泰衡は、阿津賀志山での敗戦の報を聞くや、単騎で多賀城を脱出し、平泉へと逃げ帰った。
指揮官の逃亡を知った多賀城の兵が動揺しているところに基盛と知盛が到着し、坂東勢が先陣を切って突っ込んだ。
あっけなく多賀城は陥落し、これによって、平泉の南側の防備は失われた。
そのころ僕は出羽で藤原国衡の手勢と対峙していた。
国衡はこちらに小競り合いを仕掛けてくる一方、平泉の藤原秀衡から和議を求める書状が届くなど、国衡と秀衡の間で意思の疎通が取れているのかと思うような状態であった。
秀衡には、国衡が戦を仕掛けてきており、到底和議を望んでいるようには思えないという内容の返書をし、いよいよ国衡との決戦にのぞんだ。
国衡勢は正面切って攻撃に出るが、こちらの長槍隊に押されて足が止まり、徐々に守勢にまわりはじめる。そこへ開戦後に動き出した城資永の手勢が横合いから突っ込んだ。
兵数の差もあって国衡勢はやがて瓦解、逃走を始めた。
僕らはこれを追撃し、国衡を討ち取った。
ここで一旦、農兵を帰し、陣容を整えて出羽から陸奥に侵攻。平泉のやや北側に出ることになる。




