角鹿(つぬが)のカニ
応保3年(1163年)3月 越前国
こんにちは平重盛です。
うしゃぎさんとの交易協定の締結により、日本海側の海運に平氏が食い込むことができました。
清盛パパは大喜びで、今年の1月には僕を従三位にしてくれました。いつの間にか、しれーっと公卿になってしまった気分です。
清盛パパが公卿になった時は感動したものですが、自分のことだと、あまり気になりませんね。
そして丹後の知行国化。こっちはうしゃぎさんが手をまわしてくれたみたいです。どうやらうしゃぎさんと平氏の交渉窓口を僕に見定めたみたいで、色々と便宜をはかってくれています。
「そのうち、越前も知行国化するで。」
と言っていたのは本気だろう。
ちなみに「うしゃぎ」というのは、彼ら一族を指す名称らしい。「じゃあ、君の名前は?」と問うと、無いとのこと。強いて言うなら、一族の名称である「うしゃぎ」を個人の名称としても使っているそうだ。
それじゃあ、誰が誰だか区別しにくいでしょ? と聞くと問題ないらしい。実に不思議な一族だ。
それと先月から頼長と4人いる子のうち、兼長と範長の2人、それに源範頼が遠江から越前に来てくれている。
遠江は、頼長の長男・師長と三男・隆長、それと下向した基盛に任せている。それなりに経営も軌道にのってきて、在庁官人や豪族たちも協力的だ。
基盛たちだけだと少々不安かな、とも思っていたが、先日届いた基盛からの手紙によると、頼長が越前への出発前夜までひたすら子4人と範頼、そして基盛にも「政とは」、という講義を続けていたらしく、その講義の厳しさから「死を覚悟した。」だの、「いっそ川で溺れ死のうかと思った。」などと書かれていた。
・・・頼長の薫陶を受けたのだ。引き続き頑張ってほしい。
それと清盛パパから、基盛は今後、僕につけることにしたとの連絡があった。
なんでも基盛自身が望んだらしく、平氏のために地方に行って豪族を切り従えたいらしい。
武力平定ってことだよね。いつの間にやら武闘派に育ってしまって。でも兄ちゃんとしては助かります。ありがとう基盛。
「・・・で、越前も遠江のように、開発と農兵の組織化をすすめれば良いのですな。」
うわっ! 感動していたら頼長が背後からヌッと現れた。
僕の背後をとるのが好きな人が多いような気がする。
「はい。遠江とやることは同じです。あと築城もすすめていきたいのです。あと、遠江と同じようにここも荘園が多いようです。」
調べてみると田んぼの6割が荘園になっている。ただ、開発されている土地の面積はそこまで多くはない。新規開発の余地はふんだんにある。
「問題ありませんな。荘園も摂関家のものを中心に切り崩していきましょう。」
頼長が言う荘園の切り崩しは、遠江を統治していた際に編み出したやり方だ。川の氾濫で境の不明になった農地や、旱魃などで耕作する者のいなくなった農地を積極的に平氏で再開発するのと、「平氏のほうが頼りになるよー。平氏に乗り換えませんかー。」と豪族を勧誘し、土地の名義を平氏に変えていくのだ。
これは確実に相手の恨みを買う。だから王家関係者と寺社、それに摂関家以外の貴族荘園には手をだしていない。
唯一摂関家は、保元の乱、平治の乱を通じて勢力を大幅に落としており、手が出しやすくなっているのと、頼長が摂関家に手を出す匙加減を調整してくれているからできる技だ。
これで順調にいけば、源頼朝と木曾義仲の挙兵に対する最低限の備えができる。
「さて、一安心したらお腹がすいたな。せっかく越前に来たんだからカニ食べたいな。カニ!」
うしゃぎさんに頼み込んで出てきたのは川にいるモズクガニ・・・。
違うんだよ。僕が食べたいのは越前ガニなんだよ。
「ああ? 海にいるカニやと? 海のカニいうたら水深200mあたりに生息しとるんやで。そうそう捕れるかいな。」
ダメらしい。くー! 絶対にカニを捕れる方法もチート開発してやるっ。
越前ですべきことが1つ追加されました。