怨霊
こんにちは平重盛です。
4歳になりました。
家族団欒を楽しみつつ、最近は手習いや剣術、弓の修行にも励んでいます。
家人には海賊みたいな格好の人も一定数いて、練習相手には事欠きません。
そう言えばじいちゃん(平忠盛)も家では海賊みたいな格好をしている。
出かけるときは貴族然とした男ぶりだったから家では怠惰にしているだけだろう。
年はすすんで永治元年(1141年)。今生では産まれてからずっと保延だったので初めての改元だ。
改元ってちょっとわくわくする。
しかし、今年は宮中が騒がしかった。
いや、見たわけではないのだけれども、家の皆が噂していたし、清盛パパやじいちゃんからも愚痴を聞かされた。
今上の帝は崇徳天皇だ。そう、あの怨霊と化したお方だ。
ただ、朝廷の最大権力者は帝ではなく、父の鳥羽上皇。
崇徳天皇は、2年前、その父に生後1か月の異母弟を養子として押し込まれ、親王宣下、続いて立太子。遂には今年の12月に譲位をさせられてしまわれた。
わずか3歳の帝にだ。
崇徳天皇も随分と恨みをため込んだことだろう。
ファンタジー要素が濃い世界だけに、本当に怨霊化しそうで怖い。
ただ、鳥羽上皇にも言い分があるのだろう。
じいちゃんの話によると、鳥羽上皇は堀川天皇が29歳で崩御されたため、5歳で天皇に即位している。そのころの実権は白河法皇が握っていたのだけれども、白河法皇が亡くなるまでの20年間、鳥羽上皇は何もさせてもらえなかったようだ。
更には白河法皇と関係があったと宮中で噂のある女性を后にねじ込まれ、産まれてきた崇徳天皇も実は白河法皇との子なのではと噂され、下手すれば鳥羽上皇のほうが怨霊化するんじゃないかという勢いだ。
しかし、これなら崇徳天皇へのその後の仕打ちも理解はできる。相当、鬱屈とした思いを抱えているし、崇徳天皇への激しい嫌悪感もあったのだろう。
白河法皇の死後、鳥羽上皇は溜まりにたまったものを一気に吐き出す。
白河法皇の側近を放逐し、新たに別の女性を入内させ、その女性との間に近衛天皇が産まれたら崇徳帝に譲位を迫った。
鳥羽上皇は崇徳天皇に譲位を迫ったときにも辛辣な手を打った。
崇徳天皇は異母弟の近衛天皇への譲位に先立ち、近衛天皇を養子にしている。
これなら譲位しても「天皇の父」という立場から崇徳天皇は院政を行うことができる。
この立ち位置が譲位にあたり崇徳天皇の短慮を招き、鳥羽上皇につけいる隙を与えた。
いざ譲位となったとき、その譲位は「皇太子」ではなく「皇太弟」への譲位という形式であった。
将来的に院政を行うことができると考えていた崇徳天皇は、完全に鳥羽上皇に謀られた。
あるいは、自身に向けられる鳥羽上皇の昏い闇に気づけなかった洞察力の欠如か。
いずれにせよ、これで鳥羽上皇は怨霊と化さないだけの恨みを吐き出し、崇徳天皇にはそれが蓄積されていったということだろう。
明けて永治2年(1142年)春、帝の即位で康治元年に改元だ。
わくわくはしなかった。