行くべきか行かざるべきか
保元3年(1158年)9月
こんにちは、新婚生活中の平重盛です。
実は今、非常に悩んでいます。
先月、遠江守になりました。
遠江国は清盛パパの知行国で、清盛パパは大宰大弐なので、僕を推薦したというわけです。
知行国というのは、国司である守とか介とかの推薦権を持っている国のことです。
知行国は他の大貴族も持っています。一条家の土佐国や、西園寺家の伊予国など。だから戦国時代の土佐や伊予に公家がいたのかと、またしても、この時代に来て知る新事実発見です。
しかし、遠江かあ。
清盛パパは日宋貿易に力を入れているから、九州担当である大宰大弐は重要ポストだ。東に目を向けている暇はない。だから息子に任せると。
僕としても前々から受領になりたかった。莫大な収入が得られるし、内政チートをして国を富ませもしたい。源頼朝の襲来に備えて、鎌倉から京までの道筋の防衛力も高めたい。子飼いの兵も増やしたい。
「だけどなあ。」
新婚ですよ、新婚!
冒頭でも言いましたが新婚なのです。
何が悲しくて、結婚早々に単身赴任しないといけないのでしょう。
それに、きっともうすぐ平治の乱です。京を離れるのは、まずい気がします。
もう現地の役人に任せておいてよくないですか。
「え? あたしも行くよ。」
坊門殿、まさかの同行宣言。
「いいの? 遠江だよ。伊勢の鈴鹿の関より東だよ。」
大丈夫かな。遠江は鄙びている。いや、行ったことはないけども。
うちの清潔感あふれる生活に浸ってしまうと、うち以外での生活ができない体にさせてしまう自信がある。
「大丈夫。重様が行くなら、付いて行くよ。」
本気ですか。そんな潤んだ目で見られたら単身赴任できなくなっちゃいます。
「と言うことで、遠江に赴任してきます。」
深々と頭を下げて、清盛パパに報告した。
「おお? いや、意外だな。まあ良いが。気をつけてな。」
清盛パパは僕が直接行くとは思っていなかったようで、若干驚きながらも送り出してくれた。
後白河上皇に報告したときは、かなり引き留められた。そして引き留められないと分かると、清盛パパの知行国を遠江とした信西を呪詛するような言葉を吐いておられた。ちょっと怖かったけど、滋子さんが言い聞かせてくれて、無事に出発できた。
ところで、京を出て2日過ぎたくらいのところの道ばたで1人の僧に声をかけられた。
「遠江守様、拙僧を一行に加えていただけるかな。」
僧の知り合いは少ないけど、この人には会ったことないなあ・・・、でもどこかで会ったような・・・あっ!
「よ、頼・・・いやいや、あなた様は!」
「拙僧は頼長と申す者。よろしくお願いいたす。」
頼長様だ! えー、頭を丸められて、すぐに気がつけなかった。
頼長様は、すました顔だが、口元が少しぴくぴくとしている。いたずらが成功して笑いを堪えているに違いない。
でも僕もうれしい。
「頼長様、ご無事で何よりです。一行に加わって下さるとか。どうぞよろしくお願いします。」
道でひざまずいている頼長様の手を取ると、頼長様が周りに聞こえないように小声で謝意を伝えてこられた。
「息子達の配流先を訪ねて来た。皆元気そうであった。そなたが拙僧の無事を伝えてくれたそうだな。皆、そなたに感謝しておった。無論、拙僧もだ。伝えるには危険もあっただろうに。感謝する。」
よかった。僕のしたことで感謝してもらえたのは嬉しい。
これで遠江でも頑張れそうだ。