あだ名は本人に知らされない
仁平4年(1154年)4月
このところ頼長様と周囲との軋轢が強まっているような気がする。
僕が宮仕えをはじめたころは敬遠されているとか、恐れられているとかいう雰囲気だったのが、忌避とか憎しみとかが混じりはじめている。
頼長様は左大臣就任以来、弛緩した政治の刷新を目指し、律令の遵守を掲げ、不正や慣習の排除をすすめてこられた。
実は、頼長様が嫌われる原因の一端は僕にもある。
以前、頼長様に説明した勤怠管理が何と採用されてしまったのだ。
この時代の貴族は時間をあまり気にしない。
正確な時計がないという理由もあるが、物忌みや方違えなど、吉凶を理由として決まった時間になっても出仕しないことはよくある。
「大臣~、今日の運勢が悪そうなので~、休みますね~。」
と言うとふざけて聞こえるが、現代語訳すると
「社長~、今日ちょっと体調が悪いので、有給とります。」
といったところだ。
それを頼長様が勤怠管理で縛った。
皆、内心では非難囂々だ。
悪質な貴族になると、頼長様のあることないことを近衛天皇に吹き込んで、天皇と頼長様の間に溝を作っている。
今では近衛天皇もすっかり頼長様のことを問題児として見ているともっぱらの噂だ。
頼長様は寺社にも厳しい。
取り調べのためなら寺にも検非違使を送り込むし、犯人逮捕のためなら寺で捕り物になって血が流れようともお構いなしだ。僧だって捕縛する。
どうも僕が怨霊も物の怪も神仏を大して気にしないのを見て、感化されたらしい。
それ自体はいいんだけど、時代背景を考えようよ、頼長様。
優秀なのに人の和を考えないんだよなあ。
そこがちょっと可愛いと感じてしまう僕はだいぶ毒されていると思う。
だけど寺社側からすれば、たまったものではない。頼長様との対立姿勢を強めている。
寺社の代表格の比叡山は、今月に入り、全山あげて頼長様の呪詛をしている。とんでもない連中だ。僕も比叡山には恨みしかないし、いつか焼き払ってやりたい。
この世界は和風空想に満ちた世界だ。
神も物の怪もいるんだから、祈祷とか呪詛にも何かしらの力があると思うかもしれない。
現に祇園社には青龍がいた。
もしかしたら比叡山にも・・・と思って、1度見に行ってみた。
結果、何もなかった。祇園社で感じた重圧のようなものは何も感じなかった。わずかに昔、なにか居たのかなという残滓のような気配があった程度だ。
ついでに京にある寺社も調べてみた。数が多いので全部はまだ調べきっていないけど、こっちは半々といったところ。
妙に強い重圧を感じるところもあれば、うちの狼たちより弱そうなのが住み着いていたり、何もなかったり。悪霊っぽいのもいたけど、全部弱かったので狼たちに退治してもらった。
ちなみに狼たちは、予想に反し、まだまだ成長している。清盛パパに憑いている狼より既に大きい。どこまで大きくなるんだろ?
話がだいぶ横に逸れた。
このままでは頼長様が危ないという話だ。
最近では、頼長様の苛烈なやり方から悪左府なんてあだ名がつけられている。
「悪」というのは善悪の悪ではなく、強力なものとか強烈なものというイメージだ。
中世の日本史で登場する「悪党」も確かそういう用法だったと思う。確か源義朝の子どもにも、悪がつくあだ名の人がいたように思うんだけど、現代にいたころの記憶なので少し曖昧だ。
とにかく頼長様が批判されるのは不満だということを、仕事中に頼長様に愚痴っぽく言った。
すると、筆を止めて僕のほうを向いた頼長様はニヤリと笑った。
な、なんだっ? 何が面白かった頼長様!?
「あだ名など気にするな。そのようなこと大したことではない。それに宮中で言い囃されているあだ名ならもっと有名なものがある。」
え? 悪左府より広まっているあだ名があるの? 聞いたことがないな。僕が話題に疎いだけか?
素直に知らないと言うと、頼長様はもったいぶって、なかなか教えてくれない。
完全に僕で遊んでいるな、この人。
「そこまで知りたいなら教えてやろう。平氏の物の怪じゃ。」
「・・・へ?」
「くくっ、かつては物の怪の子だったらしいな。他にも怪男児とか、遊び人の友とか色々あるらしいぞ。すべて同一人物だがな。ぶふっ」
最後には堪えきれずにゲラゲラと笑い出す頼長様。
解せん。明らかに僕のことだよね。
いつの間にそんなことに!
客観的に見ると、宮中での僕は生け贄にされた珍獣らしい。
ペンギン「誤字報告ありがとうペン」