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しばしのお休み


 仁平3年(1153年)1月


 じいちゃんが死んだ。


 邸宅うちがある六波羅は、葬送地の鳥辺野(とりべの)の入り口ともいえる場所だから、人の死を感じる機会はそれなりにある。


 だけど、僕の近しい人が死ぬのはじいちゃんが初めてかもしれない。


 この時代、死はやはり穢れという考えが強い。戦場ではそんなこと言ってられないのだろうけど、貴族や僧だけでなく、京の民にもそういう思想がある。


 もちろん亡くなった人の家族は、穢れどうこうよりも悲しみのほうが勝るし、そうだと思いたい。少なくとも平氏うちはそうだ。


 じいちゃんは納棺された後、出棺し、荼毘に付す場所まで葬列を組んで家族や家人たちで運んだ。


 火葬は、現代と違い一晩中かかって行われた。どうしても火力が足りないからそうなる。薪も大量に使うから貴族や寺社でなければできない贅沢な送り方だ。

 また、火葬は始まったばかりの時期でもあるので、貴族や寺社の中にも抵抗感がある人は土葬を選んでいる。

 庶民になると一般的なのは風葬だ。さっき言った鳥辺野でよく行われている。


 火葬の後、じいちゃんの遺骨は高野山に納められた。

 どうか、僕たち平氏を見守っていてほしい。


 さて、気持ちを切り替えて、僕も明日からは出仕しよう。


 「いや、そんなわけないだろ。」


 清盛パパに突っ込まれた。


 じいちゃんの死によって、任官していた清盛パパ(中務大輔)、頼盛殿(常陸介)、教盛殿(淡路守)、そして僕は喪に服して解官となった。

 中国の歴史小説とかで読んだ、儒教的な思想で、しっかり喪に服さないと白い目で見られるというやつかと思ったが、ちょっと違うらしい。

 死者の側にいたから穢れがとれるまでの間は、宮中に近づいてはダメということらしい。


 「そんなっ! じいちゃんが死んだだけでも悲しいのに、その上、失業しちゃうの!?」


 「いや、2ヶ月くらいだけだから。喪が明けてしばらくすれば復官されるさ。」


 「そうやって、喪中に陰謀で追い落とされた人を僕は何人も知っている!」


 「恐ろしいことを言うな! 平氏はまだそこまで睨まれてないから大丈夫だ!」


 清盛パパは苦笑いだ。苦笑いでも笑顔が戻ってきたのはうれしい。


 実際に喪に服す期間は、長い人で3年、短くて49日だ。もちろん長い方にも短い方にも例外はあるが、それはもう徳が篤いとか、非常識とか、緊急事態とか、そういう類いだ。


 さて、喪に服している間は、家でゆっくりしておこう。

 清盛パパから喪服に着替えるように家の皆に指示があった。

 平氏うちは京出身以外の家人が多いから喪服も多種多様だ。

 昔ながらの白もあれば養老2年(718年)の養老喪葬令から広まりはじめた黒の人もいる。

 そして一番多いのは鈍色にびいろで、これは灰色に近い色だ。人によって、濃かったり、薄かったりする。死者との関係の深さによって濃さが変わるらしい。ちょっとえげつない習慣だと思うのは僕だけだろうか。


 女の人たちは袴がいつもなら紅色や紫色だけど、今は萱草色かんぞういろだ。

明るい黄色といったところかな。

 萱草は、忘れ草のことで、別離の悲しみを癒すという言われから採用されるようになったんだって。というのは、ばあちゃんから聞いた話だ。



 そして清盛パパの予想通り、3月には4人とも復官した。


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