覚悟できてる?
仁平2年(1152年)2月
「ふぅえぇぇぇ~。」
あ、すみません。平重盛です。
今日はじいちゃんと摂津国の温泉に来ています。
じいちゃんの湯治の付き添いです。お湯がとても気持ち良いです。
じいちゃんは、別に怪我も病気もないのだけど、なんとなくしっくりこないらしく、とりあえず湯治でも、という話になったのだ。
最初はじいちゃんの四男の教盛殿が付き添いに来る予定だったみたいだけど、僕が立候補すると、じいちゃんは僕に付いてこいと言ってくれた。
そして僕としては、あのことを聞いてみたかったのだ。
「ねえ、じいちゃん、僕って頼長様から距離をおいたほうがいい?」
じいちゃんの顔色を窺いつつ、恐る恐る聞く。
じいちゃんは、穏やかではあるが、真剣味を帯びた目を向けてきた。
「ふむ、自覚はあるようじゃな。」
「そうだと思って考えれば、よく見えたよ。」
一昨年の暮れ、鳥羽法皇の第四皇子・雅仁親王の若宮の着袴の儀が執り行われた。
じいちゃんも清盛パパもこれに出席している。
昨年2月、教盛殿が淡路守に任官された。予定では教盛殿の上に数十人、任官待ちの人がいたはずだ。鳥羽法皇の引き立てがあったというもっぱらの噂だ。
そしてじいちゃんは刑部卿に就任した。もう次は公卿しかない。
この任官にも鳥羽法皇と頼長様の駆け引きがあったと噂せれている。
鳥羽法皇は、頼長様の長男、師長殿の参議任官と三男、隆長殿の侍従任官と引き換えに、じいちゃんの刑部卿任官をねじ込んだふしがある。
鳥羽法皇と頼長様が対立しているわけではない。忠通様の頼長様への隔意、一部貴族の頼長様への忌避感。保元の乱の芽が徐々に育ちつつある状況だ。
そんな中で、平氏は、いや、じいちゃんと清盛パパは明確に鳥羽法皇支持にまわり、頼長様と距離を取りつつある。しかも鳥羽法皇支持は明確であるけれど、頼長様と距離を取りつつあるのは、世間的にはそれを感じさせない巧妙さがある。
「構わんよ。」
僕の意図などお見通しとばかりに目を閉じ、湯を手ですくい上げて肩にかけつつ、じいちゃんが言った。
「左府様と距離をとっていることはまだ知られたくないからの。重盛は良い目くらましじゃ。」
じいちゃんの言い方に僕は少し不満だ。
「でも、頼長様くらい実直で真面目に働いている貴族なんて他にいないよ。」
「その通りじゃ。じゃが、周りがついてこん。左府様を支え、政をなそうという者が宮中にどれほどおる? どれほど優秀でもの、人がついてこんのでは先が見えておる。」
「・・・」
僕は保元の乱を知っている。頼長様の末路も知っている。
あの頼長様が矢傷を負い、父の忠実様に助けを乞うたにもかかわらず見捨てられ、自害されるのだ。
じいちゃんは僕が何か言うのを待つかのように、こちらを見つめている。
少し危険かもしれないけれど、思うとおりのことを言っておこうと思う。
「じいちゃん、僕の一番は間違いなく平氏だよ。頼長様と平氏どちらかを選ぶとすれば、何回選ぶことがあっても、いつも平氏を選ぶよ。でも、頼長様のことも尊敬しているんだ。」
「・・・甘いのう。平氏を率いる者として、多くの選択肢を残しておくことは良いことだ。何かを選ぶのではなく、すべて得ようとする心意気もな。じゃがの、わしと清盛はな、左府様を踏み台にして上に行くことにしたのじゃ。」
じいちゃんの静かな決意が伝わってくる。
湯に浸かっているはずなのに、体の芯が冷たい。
「割り切れんか? しかし、平氏がのし上がるためじゃ。のし上がらねば我らは貴族どもの犬のままじゃ。重盛よ、お主はわしや清盛ほど辛酸を舐めてはおらん。貴族どもに蔑むような目で見られたことも多くはないはずじゃ。しかし、一度つまずけば、再び地を這いずり回ることになる。それだけは認められん。」
溜めていた息を吐き出す。
「倒すべきは摂関家、それに天皇、上皇、法皇ということですか。」
「えっ、おまっ、な、何を!?」
じいちゃんの覚悟にあわせて言ったはずの言葉に、そのじいちゃんがこの日、初めて動揺した。
「えっ、違うの?」
「な、なぜ王家まで出てくるのじゃ!」
どうやら、そこまでの覚悟はないらしい。けど、現代育ちの僕にその感覚はない。僕が意識するのは身分よりも人となりだ。
「平氏が上を目指すなら、王家も寺社も最終的には倒さないと。」
「じ、寺社!? 神仏まで敵にまわすというのか! お、お主は肝が据わっとるのか、甘いのか分からんわ!」
じいちゃんは、ざぶざぶとお湯をかき分け、出て行った。
「覚悟ねえ・・・。」
史実通り平氏を強くしながら、自分の足場を固めるのが最良だけど、僕は頼長様と対決できるだろうか?
お湯に顔まで沈める。
ぬるりと体中にまとわりつくようだ。わずかに口に入った湯は、とても塩辛かった。