浮かれてもいいですか?
久安7年(1151年)1月
こんにちは、従五位下・蔵人 平重盛 14歳です。
むっふっふ。
分かりますか。この名乗りの差!
官位です。ついに位階をいただきました。官職もです。さあ、いよいよ歴史に名を残していきましょう。
でも忙しいのは嫌です。家盛を追って熊野まで走ったのは良い思い出です-走ってないけど-
蔵人というのは宮中の書物、機密文書などのの取扱いを担当する職だ。いわば帝の秘書官。ただ、僕の場合は鳥羽法皇つきの蔵人だ。
上司の蔵人頭は藤原朝隆様。たぶん50歳くらいだろうか、家格からすればいずれ公卿になる方だ。
だけど、あまり顔を合わせる機会はない。原因は分かっている・・・。
「重盛よ、そこの文書を取ってくれ。」
・・・なぜか僕は頼長様のもとで仕事をしている。そして誰もつっこんでくれない。
一度、朝隆様に相談しようとしたら耳を塞いで聞こえないフリをされた。同僚からは「いいから、何も言わずに行ってくれ! 俺たちの安寧のために!」と言われて送り出された。
人身御供になった気分だ。
だが仕事自体は楽しい。頼長様の下で覚えることは多い。役に立っているのかどうかは怪しいが、今の僕にできることをしっかりとやっていくつもりだ。
ところで頼長様は、仕事中は僕のことを「同士重盛」とは呼ばない。公私の区別をきっちりつけられる人って素晴らしい。
頼長様は仕事をしている時間も長い。
他の公卿たちは重役出勤が多いけど、頼長様は朝早くから出仕している。
終わるのも夜遅くになることも多い。
僕の出勤退勤時間は頼長様しだいだ。頼長様よりも早くきて準備をし、頼長様が帰られると片付けをして帰るといった具合だ。
大変そうに聞こえるかもしれないけど、他の中流貴族は掃除とか宿直とかもあるのだから優遇していただいていると思う。
左大臣付きで、掃除も宿直も免除となれば、普通なら妬まれそうな立ち位置だけど、同僚たちが僕を見る目は哀れみか、地獄に落とされた人を見るような目だ。誤解もいいところだ。まあ真実を教えてあげる気はないけど。
こんな楽しい環境、誰にも譲りたくない。
ちなみに頼長様は今、従一位・左大臣だ。
位人臣を極めたと言っていい。
けど盤石とはいえない。
頼長様は、現関白・藤原忠通様の弟で養子でもある。つまり、関白の地位は忠通様から頼長様に継承されていく予定だった。
ところが、頼長様が忠通様の養子になってから、忠通様に子ができた。
子が産まれれば、その子に自分の後を継がせたいという気にもなってくる。
自分の子に継がせたい忠通様と頼長様に継がせたいお二人の父の忠実様と頼長様の間に溝ができた。
溝はさらに広がる。
昨年、忠実様は氏の長者の地位を忠通様から剥奪し、頼長様に与えたりと、忠通様の権力を次々と奪い、頼長様に渡しており、それは現在も続いている。
僕は頼長様の側にいるから分かるけど、頼長様に権力志向はあまりない。忠通様とも関係修復を望んでいる。だけど忠通様は頼長様の気持ちに気付いていないし、気付いていたとしても関係修復を望んでいない。
保元の乱の素地はもうできあがっているようだ。
確か保元の乱のトリガーって、鳥羽法皇の死だったよな。
年号が保元に変わること。鳥羽法皇の健康状態。この2つに注視していこう。
帰り支度をして宮中をでると、じいちゃんがいた。
「じいちゃん、どうしたん?」
「おう、重盛か。どうしたというかな・・・」
じいちゃんが肩に手をやり、腕を回した。
「何がというわけではないのだがな。このところ妙に疲れが残るようになってな。歳はとりたくないのう。」
「ふーん。」
適当に相づちを打ちながら、じいちゃんの周囲を見るが。病蟲のようなものはいない。頭の上に手の平サイズのクジラが乗っかっているだけだ。コイツは元からじいちゃんに憑いているやつだ。
まあ、悪いことがすべて病蟲とかのせいというわけでもないからな。
「温泉にでも行ってきたら疲れもとれるんじゃない?」
「湯治か? まあ時間があればの。」
じいちゃんの牛車に便乗させてもらい、近況報告をしながら邸宅まで揺られていた。