祇園社事件(4)
久安3年(1147年)7月24日
-白河北殿
集まった諸卿の表情は明るくない。1人を除いて。
「ひょほほー! さっさと終わらせて帰るのじゃ。」
この男、参議・徳大寺公能。
先日、同じ日に子どもと孫が産まれ、喜びの絶頂なのだ。
その公能を憎々しげに見る頼長。
連日、入京を果たそうとする比叡山の僧どもを食い止めるため兵を繰り出している。おかげで十分な睡眠もとれていない。
「とにかく、何としても今日中に決するぞ。」
頼長は決意を込めて言った。
「しかしな、忠盛の配流は到底受け入れられぬぞ。院の武を司る者でもあるのだ。その者を配流などしては院の沽券に関わる。」
忠通が難しげな顔をする。
忠盛が鳥羽法皇の武の要であるのは間違いない。現にこうして諸卿が集まっている白河北殿の守備も忠盛が指揮しているのだ。
「しかし、まったく罪に問わぬわけにも参りませぬぞ。」
罪に問わなければ比叡山が黙ってはいない。確実に強訴におよぶであろう。
「罰金刑で良いのではないか?」
結局、その辺りが落としどころだったのか、銅30斤の罰金と決した。
比叡山の要求を撥ねつけ、鳥羽法皇の権威は高まった。とはいえ、比叡山の報復も気になる鳥羽法皇は、こっそり祇園社にお参りの使者を送ったりしている。
-比叡山
「ああ? 罰金刑だと!?」
比叡山の武闘派は荒れた。
要求はことごとく撥ねつけられ、入京を果たせず、罰金刑のみとは。
「舐められとるんちゃうか! 高僧どもはよぅ。」
鬱憤を晴らすべく、武闘派の矛先はこの結果を受け入れた天台座主以下の高僧に向かい、やがて比叡山の内部闘争となるが、平氏の物語とはまた別の話になる。
一方で平氏も勝ったわけではない。
むしろ罰金を払わされたことで、比叡山に屈服させられたという感すらある。
特に清盛は鳥羽法皇を中心とした支配体制と比叡山に不満をもった。
そして重盛はというと、清盛ほどの不満をもったわけではないが、現代日本を知るだけに、寺社や朝廷への遠慮や恐れがまったくない。そのため何をやるにしても因習や迷信にとらわれないだけに行動が早い。
それが今後どのように影響するかは未知数である。
11月
-平忠盛邸宅
邸宅の中を我がもの顔でのっしのっしと歩く男が一人。
平家盛である。この男、11月の除目で常陸介に任じられた。
清盛と忠盛は今回の事件の影響か据え置きである。
このため、家盛の派閥はにわかに活気づいた。平氏惣領の座を狙うための要因が整ったとみたためだ。
彼らは思う。鳥羽法皇にとって必要なのは、忠盛ではなく平氏の武力だ。ならば平氏の惣領は忠盛の後、清盛でなくても、家盛でも良いのではないか、と。
事実、宮中の平氏に対する風向きは変わりつつあるように思える。
清盛から家盛へと。
しかし、史実を知る重盛は今日も余裕である。
せっせと1,000冊Misson突破のために、祇園社事件以来ひかえていた、頼長邸への日参を再開させるのであった。




