二 「ゆうちゃんはちょっとわがまま」
結局、今回の事件は僕が思っていた以上に重めの結末を迎えていたらしい。バスケ部は一時的に活動停止。上田と瀧本、それから関与していた三年の先輩連中も謹慎処分。僕はとりあえずゆうちゃんがちゃんと家に帰ってくれればそれで良かったハズなんだけど、想像していた以上に色んなところに影響を与えてしまっていた。
「元々、うちのバスケ部って色々問題があったみたいだよ」
「へぇ……まあ、どうでも良いや……あんま興味ないし」
事件の翌日、ゆうちゃんは学校を休んだ。今までゆうちゃん以外に友達がいなかった僕は、昼休みの過ごし方について大層悩むはめになったが、そこで救いの手を差し伸べてくれたのが僕の友達、委員長だ。
初めてのゆうちゃんのいない学校での昼食を委員長と共にした後、昨日途中でゆうちゃんと帰った僕に事の顛末を話したいと言い出して、人気のない屋上へ抜ける踊り場でこうして話している。
話によれば、あの日の体育館は女子バスケ部が紅白戦をやるために貸し切り。それを利用して上田と瀧本は、三年の先輩達に協力してもらい、気に入らないゆうちゃんを連れ込んで体育倉庫で圧迫面接、という状態だったらしい。ほんとよくやるよこんなつまんないこと。
「確かに、灰神君とは関係ないかも知れないけど……一応当事者なんだし、ちゃんと知っておいて欲しいな」
「そんなこと言って、ほんとは特に話題がないだけなんじゃないのか? 僕はあるぜ、絶対に滑らない話が一つある」
「うんまあそれも半分。でも良かったね、まだいじめってほどでもない内に何とかなって」
「絶対に滑らない話が一つある」
「でも灰神君も気をつけてね。これは私もだけど、目をつけられちゃうかも知れないから」
「なあ聞いてくれよ! 僕絶対滑らない話が一つあるんだよ!」
「向日葵さんは大丈夫? 明日には学校来れそう?」
「すーべーらーなーいーかーらー! 絶対滑らないからー! 僕の話聞いてよー! 聞いてくれよー!」
「もう、駄々こねちゃ駄目だよ。灰神君が何を言ったってその話は聞いてあげられないんだから」
「なんれ……」
「……滑る灰神君を私きっと見ていられない……」
「そ、そっか……」
じゃあやめておいた方が良いね……。
僕の、滑るどころか話すことすら許されなかった話はさておき、ゆうちゃんはひとまず今日は休んでいるだけで、明日からは普通に学校に来るつもりらしい。そのことを話すと、委員長は僕が思っている以上に安心した様子で一息吐いた。
「じゃあ、明日からは元通りだね。良かったね灰神君」
「ああ、とりあえず一安心だよ。遅くなったけど、昨日は一緒に捜してくれてありがとな。なんか友達って感じがした」
そもそも昨日の一件は、委員長にはほとんど関係のない話だ。ゆうちゃんが鞄置きっぱなしだからって委員長が捜す理由なんてないし、その後飛び出した僕を追いかける理由も委員長には特にない。僕があまりにも興奮するもんだから、途中で先生を呼びに行ってくれていたらしく、あの現場にコーチと思しき男性教員が居合わせたのもそのおかげだ。そのうち名前を覚えたい。
そんな風に自分には関係ないのに困ってるからって手を貸してくれる感じ、僕これすげえ友達だと思う。うん、友達だなこれ。
「そうだね。私も友達って感じがした。友達だねこれ」
「へへっ……」
「鼻かゆいの?」
「うん、ちょっと……」
あれ、照れくさい時に鼻こするやつってあんま一般的じゃないのかな……。
「そういえば、昔もこんなことあったよね」
不意に、どこか遠くを見るような顔で委員長がそんなことを呟くけど、特に思い当たることがなくて僕は首を傾げる。
「いや、そもそも僕らの出会いってついこの間だろ? 僕らの関係には過去がない……でも未来はある」
「何で急にそれっぽいことを言い出したのかはわからないけど、私達の関係にも過去はあるよ。小学生の時、一緒に靴探してくれたじゃない」
え、なにそれ僕マジで知らない……。と、一瞬困惑したが、よくよく思い出せば小学生の時そんなこともあったような気がしてくる。刷り込まれているのかも知れない。
「ほら、放課後に下駄箱でわんわん泣いてる三つ編みの女の子がいたでしょ? 小学三年生の時、五月頃」
「……よく覚えてるな、そんなに細かく」
「嬉しかったからね。灰神君とはあの時友達になれたと思ってたんだけどなぁ……」
そう言われると少し申し訳ない気もしてくるが、覚えてないものは仕方がない。あの頃の僕の世界は、本当に家族以外だとゆうちゃんと勝彦だけだったし。それ以外はなくて、それがなければ世界足り得なかった。何かが欠ければ、ぽっかりと空いた穴に耐えられなかった。ゆうちゃんや勝彦が風邪で休んだ日は、どうしようもなく不安だったような気もする。
それはきっと、今もあまり変わらないのだけど。
「悪いな、僕は委員長の過去にはなれなかった。でも未来にはなれるぜ」
「なにそれ、ちょっとプロポーズっぽい。その言い回し気に入ったの?」
「ぷ、ぷ、プロポーズじゃねえやい!」
確かに言われてみればそんな風にも聞こえる気がしてきて滅茶苦茶恥ずかしい。穴があったら入りたい。
何はともあれ、昨日も今日も色々と委員長には助けられてしまった。特に今日の僕のぼっち飯を回避させてくれた点についてはいくら感謝してもし足りないくらいだ。
「そういや、ずっと委員長ってのも変だな、友達だし。名前教えてくれよ、友達だし。僕達友達だし……」
「友達に対する異様な飢えを感じるけど大丈夫?」
「実際飢えてたからな……」
「朝顔。朝顔夜菜だよ。そういえば灰神君って下の名前何て言うんだっけ?」
「正助だよ。正しいに助けるで正助」
「へぇ、良い名前だね」
「僕はあんまり好きじゃないけどな……ガラじゃないし」
正しいに助けるだなんて、僕からすれば臭すぎる名前だ。僕は別に正しくないし、あろうとも思わない。助けるなんてもってのほかだ、そんな余裕は正直僕にはない。
僕は、「正直助けて欲しい」で正助なのかも知れない。
……嫌だな、そんな名前は……。
帰りにゆうちゃんの家に寄って様子を見てから家に帰ると、仕事を終えた姉さんが上機嫌な顔で玄関までバタバタと駆けてくる。そして靴を脱ぎかけで停止する僕を見つめて、随分と得意げに胸を張って見せる。良いぞ、ぷるんぷるんだ。
「正助ェ……」
「な、なんだよ……ただいま姉さん……」
「おかえりぃ……へへへっ……」
「あ、コイツまた飲んでやがる! 酒臭いんだよ!」
アルコール度数の高そうな息が僕に襲いかかってくる。これでは先程のぷるんぷるんに感じたときめきも台無しだ。
「少年、これが何かわかるかい?」
「おっぱい……」
「違うよ、胸のことじゃない」
姉さんが手に持っているのは、一枚の封筒だった。姉さんは封筒の中から二枚の紙切れを取り出すと、それを僕に見せつける。
あ、あれは……!
「うわーーー! チケットだー! なんかのチケットだー! 姉さんそれ何のチケットー!?」
「ふふふー! 喜べ少年! 姉さんは一緒に行く相手がマジでいないからこれをタダで進呈するぞ少年!」
「わぁ! 嬉しいなぁ! で、それ何のチケットー!?」
「仕事の関係でもらったペアチケットでね。課長はどうやら私がこないだフラれたアイツと付き合ってると思っているようなのさ!」
「すげえー! それで何のチケットー!?」
「さあ、少年はお友達と使うんだよ……」
「うん……」
何のチケット?
姉さんの職場の課長は顔が広いようで、最近近所に出来た遊園地のお偉いさんと知り合いだったらしく、わりと仲の良かった姉さんはその遊園地のペアチケットを課長の善意でもらってきたというのだ。
どうやら課長は個人的に姉さんの恋路を応援しているようで、大変良い上司を持っているなとは思うんだけど、肝心の相手にフラれているのではペアチケットは古傷を抉る余計なお世話である。
「というわけだからぁ~~~少年は誰か友達でも誘って行って来るが良いよぉ~~~~」
マジで古傷を抉られて思い出してしまったのか、べろんべろんの状態でソファに寝そべる姉さんを見て僕は溜息を吐く。リビングが酒臭い。
「気持ちは嬉しいけど、姉さんがもらったんなら姉さんが使った方が良いんじゃないか? 姉さんこそ友達誘って行ってきなよ」
「少年、姉さんはもう行く相手がマジでいないからって説明した」
「あ、うん、ごめん……」
姉さんの交友関係とか全然知らないけど、もしかすると僕が思っているよりも似た者同士なのかも知れない。
「少年はもう友達出来たかい? いないなら姉さんのおっぱいで泣くかい?」
「姉さんの弟だからって僕を甘く見てもらっちゃ困るよ。おっぱいはまたの機会にさせてもらう」
「残念だけどおっぱいはストック出来ない。またの機会はしばらく来ないよ少年」
友達が出来たことによる弊害だ……。
「ま、それを聞いて姉さんはちょっと安心したよ。その友達と行って来れば良いじゃないか」
委員長、確かに友達は友達なんだけど、昨日の今日で遊園地に誘うのは流石に憚られる。というか男女の仲だし、いきなり遊園地デートに誘うんじゃまるで僕の方から好きです付き合ってくださいと言っているようなものだ。おっぱい同様、委員長はまたの機会にさせてもらった方が良いだろう。こちらもおっぱい同様ストックは出来ないが、またの機会はおっぱい程遠くないハズだ。
「……いや、普通にゆうちゃんと行くよ。ゆうちゃんこういうの好きだし、そういえばこないだ行きたいって言ってたしさ」
もう一度差し出されたチケットを受け取りながら僕がそう言うと、姉さんはほろ酔い顔をムッとさせる。
「それは勝彦君と行きたいって話だろ?」
姉さんの言葉に、僕はすぐには答えられずに押し黙る。
そうだ、姉さんの言う通り、ゆうちゃんが行きたい遊園地は勝彦と行く遊園地だ。僕はおまけでしかなく、単に勝彦の存在を共有出来る人物というだけでそれ以上の意味はないのかも知れない。ゆうちゃんが勝彦の話を出来るのは、僕しかいないからだ。
ゆうちゃんが勝彦を認識するのは僕といる時だけだ。もしかすると、ゆうちゃんはもう勝彦が存在しないことをわかっているのかも知れない。それを僕という第三者が勝彦の存在を肯定することで、勝彦はいるんだと自分に言い聞かせているのかも知れない。だとすれば、僕がいなくなった時、ゆうちゃんが見ている勝彦も消えてしまうのだろうか。
「姉さんは何度も言ってるハズだよ。遊菜ちゃんよりも正助自身のことを優先して欲しいって。正助が辛いだけなら、無理に付き合う必要はないよ。遊菜ちゃんのお母さんだって正助を責めたりしないだろうし……」
「僕だって何度も言ってるよ、無理して付き合ってるわけじゃない」
「……そうかい」
諦めたようにそう呟いた後、姉さんは小さく溜息を吐く。酔いも少し落ち着いたのか、顔の赤みもそれなりに引いていた。
「勝彦君がもういないこと、正助が一番よくわかってるハズだろう」
「……もういいだろこの話は」
「……まだ、墓参りも行ってないだろ?」
「……僕には、そんな資格ねえよ」
強引に会話を切るようにして、僕は握りしめるようにしてチケットを持ったまま自室へと足早に戻る。まだ何か言いたそうにしてたけど、姉さんはもう何も言って来なかった。
「えっほんとに!? 遊園地に連れてってくれるの!?」
姉さんからチケットをもらった翌日の放課後、ゆうちゃんの家に行ってゆうちゃんを遊園地に誘うと、思った以上にゆうちゃんははしゃいでくれた。
床に手をついて跳ねるようにはしゃぐゆうちゃんが何ともかわいらしい。ふわふわ揺れるボブカットから心なしかシャンプーの香りが漂ってくる。もうこれだけでも誘ったかいがある。
「ほんとさ、おじさんが遊園地に連れてってあげるよ……」
「遊園地おじさんありがとう!」
「ハハハ遊園地おじさんは遊園地のおじさんだから、遊園地のこととおじさんのことについては任せてくれよ」
「遊園地おじさん! 遊園地おじさん!」
「ハーハハハ! ハハハ! ハハハーハー!」
遊園地おじさんはゆうちゃんが喜んでくれるだけで幸せだよ本当に。
「遊園地、楽しみだね勝彦君!」
だけど上機嫌な僕に、針みたいな言葉が容赦なく突き刺さる。
――――それは勝彦君と行きたいって話だろ?
ああ、そうだよ。その通りだ。
僕はただの遊園地おじさんで、彼氏じゃない。
だけどそれでも、こんなに幸せそうに笑っているゆうちゃんを見ていると、これでも良いのかも知れないだなんて思えてくる。どっちにしたって僕は恋愛対象としては見られていない。ゆうちゃんがかつて僕よりも勝彦を選んだのが一番の証拠だ。僕は最初から遊園地おじさんでしかなかったんだ。
だから、何も変わっていない。
「ねえ、いつ行く!? 次の土日には行っちゃう!?」
「ん、ああ。そうだな、ゆうちゃんが早く行きたいならそれでも良いよ。なんたって僕の予定は基本すっからかんだからな」
「へへぇ……じゃあ私もすっからかんにしとくぅ……」
まあゆうちゃんもわりといつもすっからかんだけどな……。という野暮な発言は飲み込んでしまえるくらい、今のゆうちゃんが愛おしくて仕方がなかった。
とりあえず土日までに服買いに行って、散髪くらいは行っとくか。
それから数日間、なんだか落ち着かない毎日を過ごしている間にあれよあれよと土曜日が来る。入学式の前に切ったばっかりだったのに美容院で髪を整え、いつもは着回しまくってる癖にここぞとばかりに新品の服を数着購入。出発前日に悩みながら部屋で試着しまくっていると酔っ払った姉さんに死ぬほど笑われて大変恥ずかしい思いはしたが、我ながら悪くない感じに仕上がったと思う。
近いし家の前で待ち合わせようかとも思ったけど、正直緊張し過ぎてるから家を出てすぐゆうちゃんに会うと何の心構えも出来てないまま死に至りかねない。そんな不憫な死に方は流石に嫌だったので、少し僕の気持ちに余裕を持たせるために駅前で待ち合わせることにした。
ゆうちゃんはわりと時間に対してゆるふわだから、集合時間の午前九時から大体十ゆるふわ……即ち十分くらいは遅れると見て良い。それに加えて僕がコーヒーを飲みながら精神を統一する時間が五分、駅のトイレで身だしなみの最終チェックをするための時間が十分、後なんやかんやでスマホいじったりとかなんかするだろうし何かしらのアクシデントのことも考えて四十五分。ということで僕が待ち合わせ場所に到着したのは午前八時のことだった。
「……アホか……」
コーヒー飲みながら待つこと三十分、当然ゆうちゃんはまだ現れない。だってまだ集合時間三十分前だもん。
変に考えて一時間前に来たけど、これじゃ一周回って考え無しの謎の一時間前到着だ。僕は何がしたいんだ、コーヒーたしなみながらスマホいじりか? それは家のリビングじゃ出来なかったのか?
出来るんだなぁこれが。iPhoneじゃなくてもね。
そんなどうでも良いことを考えていると、柱に適当にもたれかかっている僕の前方にかわい過ぎる人影が見えてくる。馬鹿な、まだ約三十分前だぞ!?
すごい、こう……ヒラヒラしている……。シルエットがよく似ているがゆうちゃんとは限らない。だってゆうちゃんは時間の感覚が大変ゆるふわで、時間通りに来たことがないからだ。ゆうちゃんである可能性は極めて低い。
「おまたせ、正助君早いねぇ」
ああ、栗色のボブカットからシャンプーの匂いがする……。こう、王族みたいな……。僕王族の匂い知らないけど……。
「ああ、正助君は早いぜェ」
ああ、のとこと語尾が完全に裏返ってしまった。
ほら起こったじゃんアクシデント! アクシデントじゃんこれ! 僕は間違っていなかった! 僕の一時間前到着には意味があったんだ! ほーら僕は間違ってない! もう誰にも僕を否定させない! 別に誰もしてないけど!
「ごめんね、まったかな?」
「今舞いそうだけど待ってはいないかな。どうする? 早めに出ちゃうか?」
ついでに幸福で埋葬されそうでもある。
今日のゆうちゃんは極めてかわいい。白いカーディガンに、花柄のロングワンピース。シンプルに見えるけどこう、素材の良さとかそういうのがこう……良い。駄目だ、僕の語彙は既に埋葬済みだ。
「そうだねぇ、勝彦君はどうしたい?」
まるで僕をすり抜けるように、誰もいない右隣を見てゆうちゃんはそう問う。返って来ない返事に対してうんうんとうなずくと、ゆうちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「勝彦君も、もう行こうって」
「あ、ああ。それならもう行っちゃうか。ここにいても時間潰せないしな」
「久しぶりのデートだねぇ、勝彦君」
「あっ……」
そこでふと、冷水でもぶっかけられたみたいに思考がクリアになる。そうだ、あの日以来、ゆうちゃんと勝彦はデートに行っていない。行けるわけがない。これはゆうちゃんにとって、久しぶりのデートなんだ。はしゃぐのも、気合が入るのも、珍しく早起きして三十分前に到着するのも、全く不自然な話じゃないんだ。
少しだけ気分が沈みそうになったのをなんとかこらえ、僕は気を取り直す。確かにこれは、ゆうちゃんと勝彦の久しぶりのデートではあるけど、僕も含めて行く三人での遊園地であることに変わりはない。
「ゆうちゃんゆうちゃん、正助君のこと忘れちゃ駄目だぜ」
「うん、もちろんだよ! 今日はよろしくね、遊園地おじさん!」
「おうよ。おじさん精一杯エスコートしちゃうぜ」
遊園地おじさん。なるほど言い得て妙だ。
それはきっときぐるみの中身みたいなモンで、言ってしまえば――――ピエロじゃねえか。
僕の住んでいる町はそこそこの田舎なんだけど、電車一本でちょっと栄えた中心部に行くことが出来る。このせいで僕はよく迂闊に都会にいるような誤解をするんだけど、テレビとかで東京の映像を見るとハッとなる。ここは言う程都会ではなかったと。
そんな感じの地元だけど、今回出来た遊園地は思いの外大きく見える。勿論知名度の高いアレランドとかアレジャパンとかに比べると大したことないんだろうけど、僕やゆうちゃんからすれば十分デカい遊園地だ。
「すごいよ勝彦君! 観覧車おっきいよ!」
「まさかこんなに大きいのが出来てるとはな……最初はどれに乗る?」
何と姉さんがくれたのはちょっとしたフリーパスみたいなもので、普通に買えば結構な値段のする代物だ。
ありがとう姉さん、ありがとうおっぱい。おっぱいの機会は逃したけど。
「うーん、どれにしようかなぁ」
僕はウォータースライダーで透けたゆうちゃんが見たいけど、ウォータースライダーないし普通にカッパあるよねああいうの。となると、どうやってゆうちゃんを透けさせるか、という話になるんだけど、こればっかりは僕が透視能力に目覚めるしかなさそうだ。
ウォータースライダーがないなら、後は特にこれと言って希望はない。絶叫系はちょっと怖いし、まずは適当にメリーゴーラウンドとかどうだろうか。
「恥ずかしいことに僕はチキンだから一発目が絶叫系ってのはナシにしようぜ」
「勝彦君がジェットコースター行こうぜって」
「えぇ? ほんとに? 勝彦君がぁ?」
「うん、勝彦君が!」
「おいおいおじさんをからかっちゃあいけないよ。勝彦はそんな卑劣なこと言わないぜ」
「勝彦君がジェットコースター行こうぜって!!」
勝彦は卑劣だ。カツレツだあいつなんかもう。
カツレツ君のせいでいきなり絶叫系に乗ることになってしまった僕は、グルングルンとうねるジェットコースターの中で絶叫をグルングルンとうねらせ、シェイクされた(多分されてない)脳みそでゆうちゃんと結婚する幻覚を見始め、新婚旅行の計画を立て始めたところで現実に引き戻された。
「正助君、ほら止まったよ? 大丈夫?」
「……ああ……熱海で良いんじゃないかって思うよ……」
「ちょっと何言ってるのかわかんない……」
僕もわかんない……。
その後もカツレツ君のおかげで絶叫系に立て続けに乗せられる。上から下へ急降下する「重力稲妻落とし」も最悪だったけど、僕的にはとんでもない遠心力でブン回される「ウルトラサイクロン」の方が地獄だった。
「ねえ次はどれにする? 勝彦君どれが良い?」
ゆうちゃんはずっとはしゃぎっぱなしで、どのアトラクションもキャーキャー騒ぎながら楽しんでいる。これだけ楽しんでくれるなら、僕としては満足だし、ここにはまた来たいと思える。
「ぜ、絶叫系以外……」
「大切断とかどう?」
「どういうアトラクションだったらそんな物騒な名前になるんだよ! 絶対絶叫系だろ嫌だぞ僕は!」
「だって勝彦君が……」
「絶対ゆうちゃんが乗りたいだけだよね!? 勝彦のせいにして僕を丸め込もうとしてない!?」
絶対乗らねえぞ大切断なんて……。
「うーん、じゃあ……」
そうこうしているうちに時刻は昼過ぎになり、コーヒーばっか消化してた僕の胃が普通に昼食を欲しがり始めた
ゆうちゃんはまだまだ遊び足りない感じではしゃいでるけど、ほんとこれ以上絶叫系に連続で乗ると空腹もあいまって色々洒落にならない。このままじゃ吐くものがコーヒーしかないのに吐きそうだ。ゲロコーヒーとかそんな感じのタイトルでSNSに写真をアップされるのも嫌だし、いい加減お昼にしたいというのが本音だ。
「そろそろ落ち着いたのにする? お化け屋敷とかもいいよね!」
「なあゆうちゃん、そろそろご飯にしないか? お腹空いただろ? 僕今日はいつもより多めに持ってきてるし、奢るぜ」
決まった……。出来る男は飯奢る。僕のイメージする最強の彼氏だ……。
「もう、勝彦君も結構はしゃいでるじゃない! 私そんなに子供っぽくはしゃいでないもん!」
「なあ、ゆうちゃん」
「楽しいねぇ勝彦君! 誘ってくれてありがとう!」
「いやあの、ゆうちゃん? 誘ったの僕だよね? ゆうちゃん?」
ゆうちゃんは、僕の言葉には返事をしてくれなかった。
ただ誰もいない右隣に、楽しそうに声をかけ続けている。いくら僕がただの遊園地おじさんだからってそりゃないだろう、とは思ったけど、こんなに楽しそうにされると気が引ける。
そう思ってなるべくそっとしておいてあげようと思ったんだけど、誘ったのは僕だ。勝彦じゃない。そこを捻じ曲げて解釈されるのはどうしようもなく嫌だったし、納得がいかない。
「勝彦君……その、お化け屋敷なんだけど、怖かったらその……手、繋いでも良いよ……?」
少し上目遣いに、ゆうちゃんは甘えるような仕草で右隣に少しだけ手を差し出した。
「……ゆうちゃん!」
思わず僕が声を荒げると、ゆうちゃんはビクンと肩を跳ねさせてからやっとのことで僕へ目を向ける。
「あ……えっと、ごめん正助君、何?」
「……あ、いや、大声出してごめん。そろそろお昼にしないか? 僕お腹空いちゃってさ……」
「そうだね、私もはしゃぎ過ぎてお腹空いちゃった! ご飯にしよっか?」
「……うん、そうしよう」
少しだけ、ゆうちゃんの表情が暗くなるのがわかる。
ああ、やってしまった。一時の感情で怒鳴りつけて、折角楽しかった雰囲気を僕が台無しにしてしまった。
ちょっとした自己嫌悪に陥りながら、適当なフードコートへ向かう。ゆうちゃんの方はフードコートに着く頃にはケロッとしており、また楽しそうに勝彦と話始めていた。そんな様子を見つめながら、ふと思う。
あれ、今僕、楽しかったっけ。
結局、ご飯の後も似たような調子でアトラクション巡りは続いていく。ゆうちゃんは相変わらず勝彦勝彦と言い続け、僕は何か一つアトラクションに乗るごとにどんどん気持ちが冷めていくのを感じた。あんなにウキウキしてた昨日までが嘘みたいで、今となっては苦手な授業よりも冷めている。
最後はあの大きな観覧車、ということで嬉しそうにゆうちゃんが指差す頃には、僕は適当におう、とか、ああ、とかしか返事をしなくなっていた。
もうゆうちゃんの中では完全に勝彦とのデートになっているのか、僕の方なんざちっとも見ちゃいない。試しにあえて別のゴンドラに乗ったら、ゆうちゃんはどういうリアクションをするんだろうか。試してみたくなって、勝彦と話すゆうちゃんを後ろで見送ってやったんだけど、ゆうちゃんは当たり前のようにゴンドラに乗っていく。気づきもしない、僕の方を振り返りもしない。
困惑する係員の人に謝罪の意味を込めて会釈した後。ゆうちゃんの次のゴンドラに一人で乗った。
なんだよ、僕最早いねえじゃん。
真っ赤に染まった景観が心底どうでも良い。
新品同然のゴンドラも何も感じない。
ああ、腹減ったな。帰ったら姉さんか父さんが何か作っててくんねえかな。
そんなどうでも良いことを考えている間に、ゴンドラは回り終わる。
一日が、終わった。
すっかり冷めた顔で遊園地を出た僕とは対照的に、ゆうちゃんは帰りも心底楽しそうにしていた。電車の中でも勝彦と話していたので、なるべく相槌を打って、僕が声をかけられているようにしてやる。でないと周囲の視線が痛い。いつもなら普通にやってることだけど、なんだか今日は億劫で段々適当になって、スマホいじりながら頷いていた。ああ、やっぱ僕スマホいじりに来たのか。
電車を降りて、徒歩で帰路についても、ゆうちゃんのお喋りは止まらない。もう人もあんまり通らなくなってきてたから、僕は頷きもしないで適当に歩いていた。このまま放って帰っても良い。
なんだか、全てが徒労だったように思えてくる。わかってた、わかってたハズだった。こうなるんだ、薄々わかってたつもりになっていた。
そばにいられれば良いだなんて、そんなの逃避に過ぎない。良いわけないだろ。
「私ね、今日本当に楽しかった! ずっと楽しみにしててね……」
僕だってそうだ。ずっと楽しみにしてた、ずっと浮かれてた。
「服もお母さんと買いに行ったんだ……ちゃんとおめかししなきゃって思って……」
ああ、そうだ。服も買いに行った。髪も切った。少しでも良いところが見せたかった。なんでわからなかったんだろう。身だしなみってのは他人に見てもらうために整えるものだ。
僕が普段以上に気にして、整えたのは、誰よりもゆうちゃんに見て欲しかったからじゃないか。
ずっとずっと、勝彦勝彦勝彦勝彦。遊園地おじさんの僕は、見向きもされなかった。
僕が誘ったんだ。
僕がチケットをもらったんだ。
僕だろ。僕だっただろ。
「今日は、誘ってくれてありがとう」
幸福そうなゆうちゃんのその一言で、僕の中で何かがプツンと切れる音がした。
「僕だっただろ!」
我慢出来ずに叫んだ僕に、ゆうちゃんはやっと振り向いた。
「正助君……?」
「正助君……? じゃねえよ! 誘ったのも、チケットもらってきたのも、今日一緒にいたのも、全部僕だろ! 僕だっただろうが!」
「え、あ、うん、そうだよ? 正助君が、誘ってくれて……」
「矛盾してんだよ! さっきから勝彦が誘ったとか、ずっと言ってたじゃないか!」
「わ、私……そんなこと、言ってない!」
無茶苦茶だ。自分の都合で捻じ曲げてる。
ゆうちゃんはずっとそうだ。自分の都合で、気分で、捻じ曲げて。なんでもかんでもそうやって、自分は悪くないみたいな顔して。
「いい加減……目ェ、覚ましてくれよ」
「……何のこと……?」
「いないんだよ、勝彦は。勝彦は死んだ、死んだだろ!? ゆうちゃんだって葬式に来てたじゃないか!」
「そんなことない! 意味わからないこと言わないでよ! ずっと一緒にいたじゃない!」
「違うだろ! 勝彦はもういない! ゆうちゃんと一緒にいたのは僕だ! ずっと僕だった!」
そう叫んで、気がつけば僕は勢い余ってゆうちゃんの両肩を掴んでいた。
くりくりとした瞳が、滲む。肩が小刻みに震えて、僕の両手にゆうちゃんの感情が少しだけ伝わってくる。
「あ……」
気づいた時にはもう遅い。吐いた言葉は絶対に戻せない。
「なんで……なんでそんなこと言うの……? 酷いよ、酷すぎるよ正助君!」
酷いよ。そんな言葉を言われて、少し冷めかけていた頭がまた熱くなる。
酷いのはどっちだよ。
「勝彦はいない、いないんだよ……! ゆうちゃんこそ酷いじゃないか! 僕がいないと駄目な癖に、いつもいない奴の空想ばっかりしてさ! 一番ゆうちゃんのために頑張ってる僕のことなんて無視しっぱなしじゃないか!」
「そんなこと頼んでない! それに勝彦君はいる! いるもん!」
「いねえよ!」
「勝彦君に謝ってよ! 正助君の馬鹿!」
「いねえ奴にどう謝るってンだよ!」
そう言った瞬間、パチンと頬に鋭い衝撃が走った。
平手でぶたれたんだと中々気づけず、僕は唖然とした表情でゆうちゃんを見つめる。
目にいっぱいの涙をためて、顔を真っ赤にして、ゆうちゃんは涙をこらえながら僕を睨みつけていた。
そのことに罪悪感を感じたのは、それからずっと後のことになる。
「正助君の顔なんてもう見たくない! どっか行ってよ!」
「こっちこそ願い下げだ! そんなこと言われなくたってどっか行ってやるよ!」
後は売り言葉に買い言葉。僕らは汚く罵り合って、先にその場を走り去ったのはゆうちゃんの方だった。
その背中を見つめながら、僕は頬に手をあてる。冬の残党みたいな風に冷たくなでられて、僕は思わずその場で震えた。