花の音色
「それじゃあペアを組んでお互いの顔をデッサンしてみましょう」
真夏の太陽が差し込む美術室の中で先生の声が響いた。
はぁ……、でたでた。ペアを組むやつ。
これまでに、さんざん漫画やアニメなんかでペア組みを嫌うぼっちについて語られてきたが、私もその一人だった。
私には友人が少ない。というか作っていないというが正しい。言い訳とかではなく、事実として。
私は、小さいころから、高校生に至る今まで、人としゃべるのが苦手だった。嫌いではなく、苦手。
話しているときは普通なのだが、話し終えた後に過去の言動を振り返って落ち込むのが私の癖だった。
この話をすると、わたしもそれくらい普通だよ。とよく語ってこられるのだけど、私は普通のそれとはレベルが違うと言っておきたい。
もっとああいえばよかった~が普通レベルだとして、私の場合は、すべての言動に対して、何も言うんじゃなった、という結論に行き着くのだ。
自分のことを話すだけでも、語り方が下手だと誤解を生む可能性があるし、他人の相槌として何かを口にしたとしても、相手に不快な思いをさせている可能性はぬぐい切れない。それなら何も言わないほうがいいに決まっている。
言わぬが花、それが私のポリシーだ。
だから、私は人と話さなくても済むように友達を”作らなかった”。
普段はそれで快適なのだが……、こういうときは少し困る。
他の人たちがどんどんペアを作っていく中で私は誰も誘えずにいた。
人を誘うためには言葉を交わす必要がある、でも、私にはそれが無理だった。
「えっと、御園だよね?よかったら一緒に組まない?」
その時、私の背後から少し高めの男の声が降り注いだ。
「いやあ、今日は京極が休みでさ。誰と組もうか悩んでるうちに余っちゃったんだよね。もう残りは俺らしかいないみたいだし、いいよな?」
私は警戒を解かず、体を強張らせたままうなずいた。
――才川乱。普段は京極大成という同じクラスにいる野球部の坊主とよくつるんでいる子だ。クラスの中ではかなりうるさいほう。
昼休みの音量の7割程度は彼が担当しているといってもいいくらいには声がうるさい。
選択権がなかったとはいえ、正直、才川とは組みたくなかった。
「……ねえ、もっと笑えねーの?」
「無理」
デッサンの前半は私がモデルをすることになった。才川がいきなりうるさい。
私は最低限の言葉でやり取りを交わす。『言わぬが花』を座右の銘とする私でも、さすがに無視は感じが悪いと自覚しているため、最低限のやり取りはこなすようにしていた。
それでも、最適化された最低限だ。これ以上の最低限がないという所までに突き詰めれば、後々の一人反省会の際に生じる後悔は抑えられる。
「い~……、うよんうよん、ぶぃーん」
「なにしてんの?」
「変顔。笑うかと思って」
「……」
これには無視。いいから絵を書け才川乱。
私はそんな気持ちを込めて睨みつけた。
「ああ。わかったから睨むなって!……でも、御園の蔑むような目もなかなかいいな」
「キモ」
……しまった、いらぬ発言だ。でも、これは才川が悪い。本当はもっと言ってやりたい。セクハラとか、ドMうんこ野郎とか、変態性癖……、ダメだ。この辺で思考を止めないとうっかり声に出てしまう。
「いいから、さっさと書きなよ。私の書く時間が無くなるじゃん」
「ああ、そうだな。それは悪い」
これ以上不要な発言を重ねないように私は才川に釘を刺す。これは最低限言葉を発さないための、最低限の防衛策だ。
それから才川は黙々とデッサンを重ねた。
黒い短髪に、流れるまつ毛。腹が立つことに才川の顔は整っていた。見てて飽きないという点ではいいのだが、そのせいで中途半端にモテるのが厄介だ。
才川の顔がいいせいで彼のおしゃべりに良い反応をする女子は多い。それが才川のおしゃべりを調子に乗らせている、と思う。
もし才川がブスなら、彼の話には誰も耳を貸さず、Twitterで「おはよう」とつぶやいてだけで10いいね以上つくことなんてないはずなんだ。(私は以前、暇なときにクラスメイトの名前をSNSで検索して見漁ったことがあった)
「よし、できた!なかなかいいと思わね!?」
20分ほど経ち、才川が頼んでもいないのに私の顔のデッサンを見せてくる。
「え……」
私はその絵を見て、非常に腹が立った。
うまいのだ。私以上に。てか、たぶん、クラスのなかで誰よりも。
「なんでこんなうまいの?」
反射的に質問してしまう。それが必要のないものだと後から気付いても、もう言葉は喉を通り過ぎていた。
「そりゃあ、練習したからな」
「なんか目指してんの?」
「いや別に」
「じゃあ、才能?」
だとしたらムカつく。顔も整っているくせに絵もうまいとか、世の中くそだ。
「まさか。俺、子供のころはかなり絵が下手くそだったんよ。中学の頃の成績は1をとってたこともあるくらいだ。でも、途中でドラゴンボールの漫画にはまってさ。もう、それが転機だったね。絵なんか下手なままでええやろっておもってたけど、ドラゴンボールの面白さを知ってからは、あれ、絵描けたほうが楽しくね?って気づいたんだ。だから、練習した」
「絵が描けたほうが楽しそうって、なにその理由。照れ隠し?ほんとは漫画家になりたくて練習したとかじゃないの?」
「いや、まじだってまじ」
私はため息を吐く。
やっぱり才川は才能の塊だと気づいて嫌気がさしたからだ。今の話が本当にせよ、嘘にせよ、絵の才能かやる気の才能。そのどちらかを持ち合わせていることに変わりはない。
私もオタ活していく中で多少の画力を身に着けたつもりだったけど、こうも上手なデッサンを見せられると私の絵なんかミジンコ以下にしか感じられなくなる。
はぁぁぁぁぁぁ、やっぱ世の中くそ。というか、少ししゃべりすぎだ、私。
「それじゃ。次は私が書くから。才川のを見た後だからちょっと嫌だけど」
「上手い下手かなんていいんだよ。楽しければ。ああ、でも、イケメンには書いてくれよ?」
私は才川の言葉を無視して、黙々と作業を進める。
まずは顔の輪郭にあたりをつけて、ざっと下地を書き上げた。
モデルとなっている才川はさすがに表情を動かせないからか、先ほどのように自由におしゃべりすることができないようだ。
「……なあ、なんかしゃべってくれよ」
「動かないで」
ぴしゃりと釘を刺すと、才川は再び口を閉じて表情を固定した。おしゃべりではあるけれど、なんだかんだ言って真面目な所は評価に値する。
「むほむほむほむむ」
「……」
「むほむほむほむむ!」
「……」
「むほー!むほむほー!むむむ!」
「いや、なに!?」
前言撤回。才川は口を閉じたまま、鼻で音を響かせて、猿ぐつわを口につけたような声(?)を発していた。こいつやっぱりドMか?
「いや、動けない代わりに腹話術的なので話しかけようかと思って。御園には無視されたけど……」
「無視っていうか、何言ってるのかわからなかったし」
「そうなのか。それは悪かった」
才川ってこんなに馬鹿な奴だったのか……。
「てかさ、黙っていられることはできないの?」
「少しはできるよ。0.2秒くらいなら、よくやってるだろ?」
「屁理屈はいいから」
そいつは悪かったと、全然反省していなさそうなへらへらした表情で才川が答える。
「でもさ、しゃべってたほうが楽しいじゃん」
「私はそんなことない」
少し食い気味に才川の主張を否定する。
無視してもよかったのだが、これは私のアイデンティティにもかかわる問題だ。否定せずにはいられなかった。
「話すだけ人に誤解されるし、自分の嫌なところをさらけ出すことにもなる。自分語りとかもうざいし……、しゃべるのなんて楽しくないよ。言わぬが花ってやつ」
「その割にはすげえしゃべるじゃん」
「これは私にとって大事なことだから。私のことをわかってもらって、才川から二度と話しかけられないようにしたいの」
あ、と気づいた時にはもう遅かった。
目の前にあった才川の表情は悲しそうに歪んでいる。
……ほら、こういうことなんだ。
「これ、できたから」
私は逃げるように才川のデッサンが終わったと告げた。本当は仕上げがまだだったけれど、先生の評価を得る分には十分だろう。
「え、うま……」
目を丸くして驚いた顔でこちらを見つめてくる才川。けれど私は無視をした。
これ以上はもう、話したくない。
授業のチャイムが鳴り、一斉に人々が美術室から消えていく。
4限目の授業だったこともあり、購買に行く人や学食の場所取りをする人など、いろんな人が慌てていなくなった。
私はそれらとはまた別の理由で早々に席を立つ。
「あ、待てよ、御園」
立ち止まってしまった。
無視して進めばよかったのに。とっさに名前を呼ばれるとつい聞く姿勢になってしまうのは人間の本能のようなものだろうか。
「……なに?」
「その絵、俺にちょうだい」
「絵?」
「それ、俺の顔のデッサン」
突然何を言い出すのかと思えば、私が描いた絵が欲しいって。なんで?意味が分からない。
「すごく、上手だったからさ、なんかうれしくて」
「才川ほどうまくないよ。でも、こんなんでいいならどうぞ」
私は早く会話を切り上げようと思い、さっさと絵を渡すことにした。
「あのさ!」
絵を渡して立ち去ろうとした瞬間、突然大きく声を上げる才川。
教室内には私たち以外のクラスメイトはいなくなっていた。
「俺は御園の話、もっと聞きたいって思っている。御園と話していると楽しいよ」
早くなった鼓動が耳の奥にまで響き渡った。
話していて楽しいなんて、今まで一度も言われたことがなかった。
「だから、また話しかけてもいいか?」
真剣な顔でこちらをのぞき込む才川。やはりというか、先ほどの言葉を重く受け止めていたらしい。
チクリと胸が痛む。でも、一人反省会を始めるより先に私には言うべきことがある。せっかく私と話していて楽しいと言ってくれた才川のことをこれ以上、傷つけなくて済むように。
「いいよ」
最低限の言葉で、私は才川を許した。
本当は、私の失言こそ許してもらうべきなのだが、才川目線で見れば私が才川を許したということになるのだろう。
でも、私の本心としての、許してほしいという思いを込めて、できるだけ誤解を与えないよう、精一杯の笑顔を浮かべてみた。
「よかった~!……ぷ、ふふ、あははは!てか、なんだよその顔。笑ってるつもりか?」
「は?」
どうやらあまり笑い慣れていない私の笑顔は才川にとってのツボだったらしい。非常に腹が立つ。鼻の穴にクレヨンを突っ込んでやりたい。
「ごめん、ごめん、ちょっと珍しかったからさ。でも、御園なりの笑顔が見れて俺は嬉しいよ。あ、そうだ」
才川は自分のスケッチブックを取り出して、鉛筆で何か上書きしていく。
「はい、これ。御園さんの絵をもらったから、そのお礼。俺の絵もあげるよ」
そういって渡された私の似顔絵には口元に修正がかけられていた。
とても不愛想で、口角をあげるのが下手くそな私。
でも、今までに見たことがないくらい、楽しそうな私だった。