第56話「無能力者、掃除屋の一掃を目撃する」
戻ってきたマーズたちは親を殺されたかのような形相でケレスたちを睨みつけた。
「よくも……私たちの仲間をこんな目に遭わせてくれたわね」
特に憤りを感じていたのはジュピターだった。箒を持つその手が震えている。
僕らの中でもっとも戦争に反対していた彼女だが、そんなことさえ忘れさせるくらいの剣幕で今にも怒りが爆発しそうだ。
「だったら何だぁ? てめえが俺たちと戦うってのか?」
「その通りよ。私が……あんたたちを倒す」
「ハハッ! そんなしょうもない箒1本で何ができんだよ?」
アポフィスがジュピターの箒を嘲笑った。このお調子者は彼女の恐ろしさを知らない。
無論、ケレスたちもそれに同じだ。彼女らは大地さえ震わせるほどの眠れる虎をついに起こしてしまった。ジュピターの堪忍袋の緒が切れる音が僕には聞こえた。
「逃げるなら今の内よ」
「こちとら命懸けでここまでやってきたのよ。のこのこと帰るわけにはいかないわ」
「俺たちは帝国軍の先鋒としてカイパーベルトを制圧する責任がある。明日には帝国軍の本格的な攻撃が始まるんでね」
「そう、ならいいわ」
ジュピターが何かを諦めたような口調で言った。
僕は固唾を飲んで彼女を見守った。1人ではあるが敵全てを圧倒できるほどの魔力の持ち主であると僕は見抜いていた。
「まさかここで……この技を使うことになるとわね」
ジュピターが残念そうに冷めた顔でそう告げると、箒の穂先から暴風が発生し、天空へと駆け上がっていく。風が徐々に強くなり、僕らの髪や服を風の強さに応じて段々と大きくなびかせていき、天の怒りとも思える雷が暴風の中を駆け巡っている。
1本の小さな箒は雷を帯びた巨大な暴風の剣となり、それを縦に空高く真っ直ぐに掲げると、そこに強力な魔力が吸い込まれるように集まっていく。
「――! 思い出した」
プルートが思わず僕の隣から呟いた。彼女は感心した顔でジュピターを見つめている。
僕も共同注視をするように前進していくジュピターのたくましい後姿を見た。
「何を思い出したの?」
「噂で聞いたことがある。遠い大陸でたった1人孤軍奮闘し、敵軍の兵士たちをあっという間に片づけた暴風使いの女がいると」
「暴風使いの女?」
「ああ。彼女に自己紹介をされてからずっと頭の中で引っかかっていたがようやく思い出した。彼女こそが暴風使いの女に違いない。あの魔力の強さを見れば分かる。あれほどの暴風は相当の魔力や裏打ちされた訓練をした者でなければ使いこなせない」
ため込んだ魔力が一気に放出され、ケレスたちを暴風と雷が一斉に襲いかかる。
ケレスはその魔力の強力さに気づいたが時既に遅し。回避しようにも目前に迫る暴風を前に回避する場所など用意されているはずもない。
「みんな逃げてっ!」
「【暴雷斬撃】」
「「うわあああああっ!」」
「「「きゃあああああっ!」」」
絵が乱れるほどの猛烈極まりない攻撃を前にアステロイド部隊も雑兵としてついてきた兵士たちも防ぐ術がなく、次々と真っ直ぐ襲いかかる暴風の巻き添えになり、全身が風の刃によって切り刻まれながら空高く吹き飛ばされ、大きな音を立てながら体を地面に強く叩きつけられていく。
空から息絶えた兵士たちの雨が重力に従ってボトボト降ってくる。
「その圧倒的な攻撃力と、箒を持っていることからつけられたそのあだ名が――」
さっきまでの光景が一変し、周辺の地表までもが地獄絵図へと姿を変えた。
地面は焼け焦げ、草木は燃え盛り、辺りには兵士たちの死体の山が横たわっていた。
「掃除屋のジュピター」
この攻撃で帝国軍先鋒の兵士たちは全滅した。ケレスたちは暴風に切り刻まれた全身の傷からの生々しい流血を気にも留めず、剣、槍、斧といった武器に体重をかけ、それらを杖のように地面に突き刺して立ち上がるのが精一杯であった。
ケレスもエリスも全身にできた傷のせいか、美貌がすっかりと台無しになっていた。
ケレスはまるで風が直撃したかのような見るに堪えないボコボコの顔だ。両耳の一部が削がれるように欠けており、傷のいたるところからは血が溢れ出ていた。エリスは雷とぶつかったように黒く焼け焦げた顔となり、歯を食いしばりながら僕らを憎悪に満ちた目で睨みつけている。
腹からの出血を手で押さえ、ケレスがジュピターの顔をゆっくりと見上げた。
「お願い。今すぐ撤退して。あんたたちをこれ以上傷つけたくないの」
「……馬鹿にしないでっ! 私たちはまだ戦えるわ!」
「もうやめよう。ケレス」
僕はケレスに近づき、哀れみと虚しさが入り混じった顔で言った。
こんなにも犠牲が積み重なるだけの争いに意味を感じなかった。全ては皇帝の企みから始まったこの戦争だが、皮肉にも僕らに国家の危機を伝えてくれたのはケレスだった。
みんなこれで目が覚めただろう。
「アース、あんたまで私を馬鹿にする気なの?」
「違う。こんな虚しい戦いはもうやめよう」
宥めようとケレスのそばに駆け寄り、彼女の悔しそうな目を見つめた。
ケレスは長剣を鞘へと納め、その小さな手で僕の両肩を掴んだ。
「……くっ……あんたを追い出したばっかりに。こっちはあんたがいなくなってから散々よ。将軍から降格させられ、今じゃ様子見の先鋒役よ。しかもあんたたちのせいでそれさえ果たせない。もう戻ろうにも戻れないじゃない」
「何かあったの?」
「このクレセン島を乗っ取れば将軍に戻してやると皇帝陛下に言われたわ。でも何も成さずに戻ってきた時は領地没収の上、将校から士官に降格って言われてんのよ。ねえ、お願い。私たち、幼馴染でしょ。この島を譲ってほしいの。そうしてくれたらあんたをここの領主にするよう皇帝陛下に頼んでもいいわ。ねっ、いいでしょ?」
ケレスが必死に駄々をこねる子供のように僕の両肩を揺さぶった。
幼少期もケレスにこんな風に無茶なお願いをされてはそれを聞き入れてきた。
それは僕がケレスを慕っていたからだ。ウルヴァラ家の中ではウルヴァラ家の者が全てだ。ケレスは家の中では独壇場と言っていいほど輝いていた。ウルヴァラ家の外の世界を知らなかった僕にとってケレスは理想にして憧れだった。
思い出が僕を迷わせる。僕はずっとケレスと一緒に暮らしたかった。
領主になればケレスと結婚できるのかな。ふと、そんなことを考えてしまった。
僕にとってそれは――何より望んでいた幸せなのではなかろうか。
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