第44話「無能力者、帝国に潜入する」
ルーナは僕に復讐なんて考えてほしくないと願っている。
さっきよりも抱きしめる力が一段と強くなっていて僕を離そうとしない。それが僕にはとても嬉しくも辛くも感じられた。
それから数日後、僕はようやくプルート帝国へと出発する準備ができたのだ。
僕、マーキュリー、ジュピターを連れていくことを決めたはいいが、残ることが決まったルーナたちは不満そうな顔で僕を見つめている。普段は無表情かつ無感情なマーキュリーでさえ、僅かだが心配そうな顔で僕の方へと顔を向けている。
「アース、プルート帝国まで行くのはいいけど、やばいって思ったらすぐに戻ってきなさいよ。あんたは向こう見ずで闇雲に突っ走るところが良いところでも悪いところでもあるんだから」
「分かってるよ。心配しないで。じゃあ行ってくるよ」
「プルート帝国のどこに【転移】するの?」
「ケレスの家以外の場所は特に知らないから、まずはそこからカロンの街まで行って、そこから城に侵入することになるかな」
「アース、気配を悟られないように【迷彩】を私たちにかけて」
「分かった」
僕は対象を選択すると、【迷彩】と強く願った。
対象となった僕らが周囲の景色に溶け込んだ。僕、マーキュリー、ジュピターの存在が急にルーナたちの視界から消えた。実際に消えたわけではない。気配を感知されなくなったのだ。
「じゃあ行ってくるよ。何日かかるか分からないけど、軍備増強に繋がるだけの証拠を揃えてくる。ムーン大公国は僕が必ず守ってみせる」
「アースさんの無事を祈っています」
「どこにいるか分かんないけど、マーズと一緒にご飯作って待ってるね。非常食が尽きたら必ず一度戻ってくること、いいわね?」
「うん、分かった」
僕はまた対象を選択し、【転移】と強く願った。
僕を中心とした魔法陣の中にマーキュリーとジュピターが入った。
シュパッと魔法陣が消え、僕らの存在自体が一瞬にしてプラネテスの家から消えた――。
強い光に視界を奪われたかと思えば、ちゃんと目的地であるケレスの家に着いていた。見た目の豪華さは以前と変わらない。ウルヴァラ家の紋章である青い薔薇が家の所々に描かれており、その家の権勢を表しているようだったが、不思議と昔ほどの迫力は感じなかった。
「マーキュリー、現在地は?」
「プルート帝国帝都カロン。ウルヴァラ家の屋敷の庭、ここへ来たのは今回が初めて」
マーキュリーにとってはね。でも僕にとっては何度も見慣れた景色だ。とても懐かしいこの恐れ多くも広々とした雰囲気、家の中には贅沢にも大理石の床が敷き詰められており、財力を誇示しているかのようだ。
ジュピターはこの場所が初めてなのかキョロキョロと周囲を見渡している。
「パッと見で貴族の家だってことは分かるわ。でも変ね、プルート帝国は衰退を続けているはずなのに、どうしてこんなにも税の限りを尽くすようなマネをしているのかしら?」
「ウルヴァラ家はプルート帝国将軍の中でも筆頭と呼ばれる存在。皇帝の力を借りれば、体裁を整えるくらいは現時点でも可能」
「優秀なメイドを雇っていた理由は?」
「現時点では不明」
さすがにマーキュリーでも分からないか。
まずはここを出よう。帝都カロンの街に出て宣戦布告の証拠を集めるんだ。
「10時の方向からケレスと1人の召使いの気配を確認」
「2人とも隠れて」
特に意味のない指示を出してしまった。
気配はすっかり消したはずなのに、何故だかケレスの前だと安心できない。それにエリスまで一緒にいるとあってはなおさらだ。
隠れたいのは僕の防衛本能のような臆病さからであって、特に有効な策ではない。ケレスとエリスは僕らに気づかないまま庭へと出てきた。エリスは召使いらしくケレスの三歩後ろを歩き、とても謙虚な様子でスタスタと靴を鳴らしている。
「エリス、私は間違っていたのかしら?」
「アースの件でございますか?」
「ええ……あいつがいなくなってから何もかもうまくいかなくなったわ。軍からやっと認められて将軍になったかと思えば将校に降格するわ、みすみす回復術師を捨てた戦犯呼ばわりされるわ、ホントにロクな目にあわないわ!」
「考えすぎでは?」
「いいえ、アースは必ず私の手に取り戻すわ」
「――お嬢様、彼のことはもう忘れましょう。回復術師となったのも、何か裏があるはずです。無能力者だった者が昨日の今日で回復術師になるなどありえません」
「アースが回復魔法を使うところをこの目で見たわ。確かに味方の傷を回復していた。確かに急所を貫いたはずなのに、何事もなかったかのようにあっという間に復活させた。彼の前では味方全員がゾンビのように何度でも復活する……あの魔法は一体何なの?」
ケレスは両腕の拳が赤くなるほど強く握りしめ、あからさまに不機嫌な様子だった。肌荒れすら起こしていることからも、ここ最近はかなりのストレスを受けているようだった。
「確かマケマケ村の方角へ戻っていったけど、マケマケ村はもう滅びた。だから帰る場所もなくつまらない仲間とつるむしかないのよ」
「!」
僕に気づいていないとはいえ、この心ない言葉には神経を逆なでされた。
僕のことは別に何と言ってくれても構わない。だが大切な仲間を貶されたとあっては体が反射的に動くほど我慢ならなかった。
ケレスに一言文句を言ってやろうと一歩前へ出た。しかし、体がこれ以上前へ行かない。何かに引っ張られていることを確認するべく後ろを振り返ると、ジュピターが僕の腕を引っ張りながら首をゆっくりと横に振った。
そうだ――今は作戦行動中だった。2人の陰口を聞きに来たわけじゃない。
とはいえ……文句1つまともに言えないなんて……悔しい。
目からは水滴がこぼれ落ちそうになるのをこらえ、服で涙を綺麗に拭き取った。僕は何でも回復できるはずなのに――心の傷だけは回復できない。
「お嬢様、そろそろ『アステロイド部隊』の編成をなさってはいかがかと」
「そうね。いずれにせよムーン大公国を攻め落とさないことには資源が手に入らないし、皇帝陛下がお望みの新兵器には魔鉱石が必要だわ。一刻も早く手に入れなければ、今度は降格だけでは済まないわ」
アステロイド部隊? 一体何の部隊なんだ?
それに魔鉱石が必要と言っていたのも気になるところだ。
帝城と呼ばれているあのハデス城を調べれば、何か分かるかもしれない。
そう思った僕はマーキュリーとジュピターを連れ、ウルヴァラ家を後にするのだった。
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