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第32話「無能力者、過去に苦しむ」

 一瞬ではあったが、僕の中に迷いが生じた。


 僕は今やこの世界で唯一の回復術師、プルート帝国に仕えることを条件に、ムーン大公国への攻撃を中止してもらえるかもしれないし、ケレスお嬢様とまた一緒になれる。


 思わず手を前に出した。だがそれを遮るようにルーナが僕の一歩前へ出た。


「アースさんは私たちの大切な仲間です。あなた方に渡すわけにはいきません」


 ルーナがそう言いながら僕の方を向き、僕の伸ばした手をその手に取った。


「私はアースに聞いているのよ。あんたには関係ないわ」

「――そういうわけにはいきませんよ」


 彼女の言葉が僕の迷いを断ち切ってくれた。


 僕は回復術師である前にプラネテスのリーダーだ。メンバーである彼女たちの許可なく勝手にケレスお嬢様の元へ渡るわけにはいかない。


「この私が以前とは比べ物にならない条件で雇うって言ってんのよ。そんな弱小パーティにいたって一生あくせくするだけよ。そこにいる大公令嬢も、国が滅ぼされれば大公と一緒に負け犬として処刑されるでしょうね。だから今の内に――」

「そんなことは絶対させない!」

「!」


 堪忍袋の緒が切れた。ここまで人を人と思わない傲慢な令嬢に成り下がったか。


 今までずっと気を遣ってきたのが馬鹿みたいだ。よりによって大切な護衛対象であるルーナを侮辱されちゃ黙っておけない。


 僕はこの幼馴染に対して恐れを持っていた。それこそが迷いの正体だった。自分の中にある恐れを支配し、今度は僕がルーナの前へ出た。


「ケレスお嬢様……いや、ケレス。もう君に仕えることは絶対にない」

「あんた、誰に向かってそんな口を利いてるわけ!?」

「君はもう僕が仕えていた令嬢じゃない。ただの幼馴染だ」

「――まあいいわ。だったら皇帝陛下の配下に就きなさい。これは皇帝陛下からあなたへの正式な命令よ。あんたの取り巻きも良い条件で雇ってあげるわ」

「悪いけど、お断りだ」

「なっ、あんた正気!?」

「正気だけど何か?」


 同盟を断った時点でプルート帝国が攻めてくることは分かっていた。


 来るなら来い。必ずここを守ってみせる。僕が拒否の意思を示すと、ケレスは渋々と大公官邸へ逃げかえるように戻っていく。彼女の後姿は以前よりも小さく頼りないように見えた。


 色んな人たちからプルート帝国の話を聞いてよく分かった。あの帝国には人々に対する思いやりが全くない。全てにおいて自分勝手で、自分たち贅の限りを尽くすことしか頭にない。捨てておいて後になって手の平をあっさり返してくるところも気に入らなかった。


 独断でこんなことをしてただで済むとは思っていないが、絶対にルーナたちを守ってみせる。僕はもう、昔とは違うんだ。


「思い切ったねぇ~」

「まあでも、あのプルート帝国なんだから大丈夫でしょ。二等国家になったわけだし、軍がやってきたってやっつけてやるわよ」

「……まずいことになったかもしれません」

「どういうことなの?」

「プルート帝国は誕生当初から軍事色が強く、歴代の皇帝はいずれも軍才を持った軍人皇帝。戦力に至ってはムーン大公国の10倍以上もある。一気に攻めてくれば……たとえ勝てたとしても多大な犠牲を払うことになる」

「……」


 マーキュリーの説明を聞くや否や、急に僕の全身に怖気が走った。


 顔は青ざめており、今さら啖呵切ったことを後悔した。


 それほどの戦力があるとは思っていなかった。長年にわたりプルート帝国にいたはいいが、肝心の戦力は全く把握していない。ケレスもまた、軍の訓練を僕に見せたことはなかった。当時の僕はただの召使いだったし、ケレス不在の際は屋敷の掃除番としていつも彼女の帰りを待っていた。


「僕、やばいことしちゃったかも」

「今さら何言ってんの。ルーナを渡したくないんでしょ?」

「うん。マーキュリー、今から戦争を避ける方法ってないかな?」

「相手の弱みを握るか、軍を増強するくらいしか方法はない。この国は地理的にも政治的にも世界から孤立している。帝国からすれば、まさに狙い目」

「だよなぁ~。まあでも、できるだけのことはやってみせるよ」

「それでこそアースさんです」


 ルーナが僕の左腕を掴み、いつもの柔らかい感触が僕を襲う。


「ねえねえ、今日は温泉に行かない?」

「いいねー。行こう行こう」

「ちょっと、アースさんがまた1人になっちゃいますよ」

「いいんだよ。僕のために我慢することないよ。僕は夜中になってから入るね」

「じゃあ一緒に行きましょ」


 みんな本当に風呂が好きだな。こちとら風呂の鏡を見るたんびに気まずい思いをする。


 だから普段は【浄化(クリーン)】を使って服ごと全身を消毒している。


 みんなが大公官邸近くにある温泉施設へと立ち寄り、そこで僕以外の全員がみんなして風呂に入ったかと思えば、ルーナが僕だけ残った部屋へ戻ってきた。


「あれっ、みんなと一緒に行ったんじゃないの?」

「後から行くと伝えておきました。アースさん、いつまでその召使いの服を着ているのですか?」

「あっ、いや、これは。ケレスに仕えていた時の思い出というか」

「ケレスさんがあなたを呼び戻したのは、恐らくはあなたが……まだケレスさんに依存していると見破られたからですよ。違う服装なら諦めていたかもしれません」

「……それは分からないよ」

「普段の私は他人の服装に文句を言うことはないですが、どうしても気になったのです。いつまでケレスさんに依存するおつもりですか?」


 この時のルーナは僕の人格すら疑うような目つきと冷たい声だった。


 敵対する覚悟こそしたものの、どうしてもこの服装でないと落ち着かない自分がいることをルーナは見事なまでに見抜いていた。ディアーナ様が僕を召使いみたいだと言ったのも、恐らくはこの服装のせいだ。


 未だに幼馴染に心を支配され続けていることにルーナは苛立っている。


 さっきルーナが僕を遮ったのも、僕の中に迷いがあると察してのことだろうか。


 だとしたら――本当に済まないことをしたと思う。


「……ごめんね」

「! アースさん」

「確かに僕は、今でもケレスに依存しているところはあるかもしれない。追放されるまでは、ずっと彼女だけが僕に優しくしてくれていたから」


 自分のやるせなさに目から涙がこぼれた。ルーナは途端に言いすぎたと言わんばかりの困り顔になり、これ以上僕を責めることはなかった。


「でも……僕は間違いなくルーナの味方だから、信じてほしい」

「はい。わたくしもごめんなさい。アースさんを疑ったりして」

「どこの馬の骨かも分からない僕は疑われて当然だよ。むしろ、ここまで信じてついてきてくれたルーナは本当に良い人すぎるよ」

「アースさん……」


 ケレスとの決別、それは……ルーナとの絆の始まりでもあった。

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