第30話「無能力者、駆け引きを目撃する」
ムーン大公国大公官邸にて――。
僕らプラネテスのメンバー全員がプルート帝国第三皇子を一目見ようと駆けつけている一般客に紛れながら出席し、大公たちはプルート・ディス・パテルたちを迎え入れる用意ができている。
記念日や特別な日であれば一般客も招き入れるらしいが、ここでは貴族と平民の距離が慣れ親しめるほど近いのだ。
そこに、僕よりも高い背丈、凛々しくも冷徹そうな真顔、腰まで届いている薄い灰色の髪を後ろにまとめ、一際目立っている者が闊歩しながら護衛たちに囲まれ、大公官邸へと足を踏み入れた。
あの人がプルート皇子か。悪魔のような顔の皇族マークが縫い込まれた独特の衣装に身をまとっているが、あれだけでも相当な身分であることが一目瞭然だ。
「……! ケレスお嬢様」
小さな声で呟いた。プルート皇子のすぐ後ろには使者としてケレスお嬢様とエリスが並び、プルート皇子を前後から挟むように歩いている。
――どうしてケレスお嬢様までもがここにいるんだ?
「マーキュリー、何でケレスお嬢様まで来ているの?」
「恐らくはプルート皇子の護衛。エリスは前方、ケレスは後方担当」
「あれほど優秀な騎士を護衛に選ぶってことは、本気で同盟しに来たわけね」
「ねえ、さっきからケレスお嬢様って言ってるけど、もしかして」
「ええ、あのケレスっていう人が、召使いだったアースを追放した人よ」
「酷いことするわねー」
「……」
一瞬だが、ケレスお嬢様と視線が合った。
以前のように見下したような顔ではなく、不安そうにすぐ目を落とした。だが彼女ほどの人がどうして皇子の護衛に成り下がってしまったのか、それが実に不思議である。将軍クラスであれば護衛ではなく、むしろ帝国側の御意見番として護衛される側であるはずだが、そうでないということは……。
いや、考えすぎか。ケレスお嬢様に限ってそんなことはないはず。
「アルゲウス大公、拝謁いたします」
威厳と自信に溢れた高い声でプルート皇子が大公と挨拶を交わした。
「こちらこそ、歓迎いたしますぞ。さあ、こちらへどうぞ」
大公が片手を広げ、少し離れた席に座るよう誘導する。
プルート皇子は何の遠慮も恐れもなくどっかりと席に着いた。暗殺を警戒しつつも、堂々とすることで周囲に限りなく自信を示しているようだった。
「大公、私の后となる娘さんはどこなのですか?」
「娘ならそこにいる。ルーナ、出てきなさい」
「はい、お父様」
ルーナが落ち着いたまま僕に微笑み、大広間の中央へと歩いて出た。
この日はプルート皇子を迎える日であるため、ルーナは豪華な衣装を着ている。あれがこういう場での正装なんだろう。ていうかあれ――僕がプレゼントした衣装だよね? 大丈夫なの?
そんな不安を内に秘めたままこの3人の間での問答が始まった。
既にルーナが結婚を強要される理由はなくなった。何も心配はないはずだ。
「これはこれは、絶世の美人ではないか」
「自慢の娘ですからな。しかし、誠に残念ではありますが、結婚はさせられません」
「……」
この2人の間にある妙な空気が一気に凍りついたまま沈黙が続いた。
先ほどまで余裕の笑みを見せながら闊歩していたプルート皇子が動揺した。絶対に言われることのない台詞を耳にしたからだ。
この時点で予定が崩れていることはここにいる全員が承知している。今にも胸が張り裂けそうな緊張が漂っている。早くここから抜け出した。
「大公も冗談がお上手だ」
「いいえ、結婚はさせられません」
「……」
一度は戯言だと思って見逃してやると言わんばかりにクスッと笑ってみせたが、それさえも無下にされると、ガラスに罅が入ったかのようにその表情が更なる強張りを見せた。もう冗談では済まされない領域に達したが、周囲の緊張感はピークを過ぎ壁や床と一体化するように平静を保っている。
思わずその場から全力疾走したくなるほどの重圧感だ。
下手をすれば軍を率いて攻めてくるかもしれないが、徹底抗戦を約束させたのはこの僕だ。逃げるわけにはいかない。
なんだろう、自分のことしか考えていなかった昔であればもう逃げていたはずなのに、今は仲間たちのことを考えている。逃げられないんじゃない。仲間がいるから勇気が持てるんだ。
「大公、約束が違いませんか?」
「帝国では一方的に押しつけることを約束と呼ぶのですか?」
「おかしいですね。あなた方はもう身動きが取れないはず。にもかかわらず、何故同盟に応じないのですか?」
「はて、何のことでしょうか?」
「どうなっても知りませんよ」
「まあまあ、そうお気になさらず。今日はごゆっくりと楽しんでくだされ。食事も用意しているのですから。ここにいる間に、皇帝陛下への言い訳でも考えてくだされ。時間ならたっぷりありますぞ。皆の者、食事へ行くぞ。済まないが、関係者以外は全員お帰り願いたい」
静かだが、内心では不満を露わにし、苛立ちがかすかに表情に表れていたプルート皇子に対し、大公は至ってリラックスしており、余裕を保ったままだ。肝が据わっている。やはり大公になるような人は違うと思った。
大公の命により、その場にいた者たちがぞろぞろと動き始めた。
渋々食事に案内されるようだが、その前にルーナが僕の元へ戻ってきてしまった。
そのまま僕の胸に飛び込んでくると、移動しようとしたプルート皇子がこちらに気づいた。
「ふぅ、何とか乗り切りましたね、アースさん」
「ほう。まさか、既に相手がいるとはな」
蛇のような目でこちらを睨むと、僕とルーナの元へ駆け寄った。
ルーナはプルート皇子に怯えているのか、僕の後ろへと隠れてしまい、僕の小さな肩からひょっこりと顔を見せている。
「お前、名前は?」
「アース・ガイアです」
「アース・ガイア――どこかで聞いた名前だな」
そう言いながらプルート皇子が僕のすぐ近くまで足を進めた。
「このお方はプラネテスのリーダーで、この世界で唯一の回復術師なんです」
「! ……なるほど、お前が今噂の回復術師か」
一瞬驚くもすぐに確信の笑みを浮かべ、緊張気味の僕の姿を見下ろした。
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