第100話「無能力者、幼馴染の最期を見る」
プルートに皇帝としての才はなかった。
言い方はよろしくないが、歴代の皇帝も4代目あたりからは統治者としての自覚もないままやりたい放題暴れていた。
そんな暴君たちの血を引いているプルートには相手を宥めながら交渉をする術はなかった。プルート個人としても、誰かと交渉すること自体が不得手と見た。
遅かれ早かれ、プルート帝国は終焉を迎えていたのかもしれない。今ではパテル家の者たちが不憫にさえ思える。だから僕はニクスの遺言は守りたいと思った。
「ふんっ、仲間ですって。今まで仲間という仲間を騙しては見捨ててきた皇女様にそんなことを言う資格があるんですかねー。まあいいわ。皇帝が死んだというなら、この帝国は私が支配するまでよ。私はこの時を待っていた。何度も不当な降格を繰り返し、今や帰る家もない隊長にまで成り下がってしまったが、実力次第で出世できる国でもある。アース、お前を倒し、私が女帝にのし上がるっ!」
ケレスの代わりにエリスが素早い動きで僕に向かって剣を突き刺してくる。
しかし、その剣が僕の体を貫くことはなかった。そればかりか剣の半分が欠けてしまい、ケレスもエリスも兵士たちも思わず舌を巻いた。
彼女は今の僕の強さを知らない。そればかりかどんなに手を尽くしても傷1つ与えられないことを認識すらできていないようだった。
「そんなっ! どうして攻撃が通用しないのっ!?」
「無駄だよ。僕は君に追放されてから強くなった。マケマケ村でガイアソラスを手に入れて、僕はその力を段々使いこなせるようになっていったんだ。この世界を平和にするために。それなのに君は虎視眈々と皇帝の地位を狙っていたの? それが騎士の誇りなの?」
「うるさいっ! あんたに何が分かるっていうのよっ!? 私は全てを失ったのよ。富も名声も貴族の称号もっ! ……あんたを追い出したのがそもそもの間違いだったわ」
「アース、あなたは本当に邪魔な存在よ」
エリスもまた、ケレスとのシンパシーを感じるように僕を睨みつけた。
「エリス、どうして僕を目の敵にするの?」
「あなたのせいでケレス様がどれほど辛い思いをなされたか……あなたは何の取り柄もない無能力者でいればよかったものを、ケレス様を差し置いて伝説の魔剣の力を得ていい気になるなんて生意気としか言いようがないわ。あなただけは絶対に許さない。ケレス様専属の召使いとして」
「――言いたいことはそれだけ?」
「何ですって!」
マーズが僕の代わりに言ってくれた。そして炎の色に染まった剣をケレスに向けた。
「ケレス、どうしても降伏する気はないのね?」
「当たり前でしょ。私たちは降伏なんてしない――!」
ケレスが徹底抗戦を貫く意思を見せようとするも、周囲にいた帝国軍兵士たちは武器を地面に落として降伏の意思を示した。
彼女を裏切ったのではない。さっきの光景を見た兵士たちが誰の相手をしようとしているのかをようやく自覚したのだ。
「ちょっとあんたたち、何勝手に武器を捨ててるのよ! それでも誇りある帝国軍兵士なの!?」
「俺たちはケレスが勝てるって言うから従ってただけで、あんな防御力を見せられたら、俺たちじゃまず勝てねえよ。俺たちは別に好きでお前に従ってるわけじゃない。皇帝が死んで戦争が終わったというなら、お前はもう隊長ですらねえよ。戦いが好きならお前だけでやれ。俺たちは負けたんだ。素直に認めろよ」
「……」
もはや兵士たちからも愛想をつかされ、隊長としてさえ不適格な存在となっている。
残りの兵士たちも降伏の意思を示し、その場に武器を捨てると散り散りになり、また1人、また1人とケレスたちのもとを去っていく。
しかし、ケレスもエリスも戦意を喪失するばかりかますます躍起になっている。エリスは壊れた剣を捨てると懐から短剣を取り出し、まるで格闘家のように両腕を構えた。
「ケレス、エリス、後はもう君たち2人だけだ」
「アース、私は降伏なんてしないわ。騎士は絶対に折れちゃ駄目なの。分かるでしょ。私は逃げ帰ったことはあっても、敵に屈したことは一度もない。たああああっ!」
「ケレスっ!」
僕は咄嗟にガイアソラスを出し、目前に迫ってくるケレスの長剣と打ち鳴らし合った。
戦わなければならないのか――あれだけ親しくしていた幼馴染と。
せめてあの長剣だけでも落として捕縛すれば、ケレスを殺さずに戦闘を終わらせることができる。だがそれで諦める彼女じゃない。せめて戦場で散りたいと彼女の心が叫んでいる。僕にはその思いがひしひしと伝わってくる。
――どうしても、最後まで戦うんだね。分かった……分かったよ。
ケレスは絶対に僕に勝てないことを知りながら戦いを挑んでいる。
死ぬ気でいるのは明白だった。プラネテスのみんなが見守る中、僕とケレスの戦闘は続いた。お互いに一歩も引かない攻防を前に僕はケレスを岩壁にまで追い詰めた。
「ちょっとはやるみたいね。でも私は諦めないわ。最後の最後まで戦う」
長剣が僕に襲いかかる。僕はそれをあえて体で受け止めた。
ケレスの長剣は衝撃を反射されるかのように刃の根っこからボロボロに砕け散った。彼女の意思の強さはよく分かった。
せめて一思いにと、ガイアソラスを思いっきりケレスに刺そうとする。
「お嬢様っ! 危ないっ!」
「「「「「!」」」」」
ガイアソラスがケレスの体を貫こうかと思われたその時――。
横から割って入ってきたエリスがケレスの体を突き飛ばし、自らを身代わりにすると、ガイアソラスがエリスの腹部から刺さり、それがそのまま背中まで突き抜けた。
彼女の腹部と背中からは夥しい数の血が噴き出た。口からも顎を赤く染めるほど流血し、僕らを驚かせた。だがエリスの顔は憎しみを見せるどころか不気味なくらいの笑みへと変わっている。まるで任務を果たしたかのように。
慌ててガイアソラスを引き抜くと、エリスは血を流しながら仰向けに倒れた。僕の服にはエリスの血飛沫が生々しくついていた。
「エリスっ!」
ケレスが瀕死の重傷を負ったエリスを抱きかかえた。
「エリス……どうしてこんなマネを……」
「……お嬢様をお守りできて……死ねることを……誇りに思います」
「何言ってるのよ。あんたが死んだら、私はもう1人なのよ!」
「お嬢様……お別れです。先に向こうで……お待ちして……おります」
エリスがそう告げた途端、彼女の両手が地面につき、その目はまるで色を失ったかのように力尽きている。最期までケレスに盲目的に従い続けた召使いのエリスはケレスに抱かれながら逝った。
ある意味本望なのかもしれない。これでケレスを守る壁は消えた。
エリスは恐ろしいほどケレスに従順で、まるで腰巾着のようだった。
ケレスにとってはただの召使いの1人でしかなかったが、彼女はその最期と引き換えに唯一無二のお供としてケレスに受け入れられた。
エリスの開いたままの目をケレスが指で閉じた。
そして今度は目をぎらつかせながら僕の方を向いた。
「アース、あんただけは絶対に許さないわ」
「ケレス、命を粗末にしちゃ駄目だよ。後はもう君だけだ」
「黙りなさい! たとえ最後の一兵になろうとも、私は絶対に諦めない。あんたに傷をつけられないんだったら、こうするまでよ」
ケレスが素早い動きで僕らの後ろに回ると、1番後ろにいたルーナの背中から掴みかかり、人質に取る格好となった。
「きゃあああああっ!」
「「「「「!」」」」」
「動くな。動けばこいつの命はないぞ」
「ルーナを放せ。彼女は関係ない」
「お前はこいつの専属護衛なんだろう。だったらこいつを殺せばお前はクビだな」
「頼む。手を出さないでくれ。大事な人なんだ」
「……アースさん」
「あんたは私の大切な人をさっき目の前で殺したじゃない! 自分の都合の良いことばっかり言ってんじゃないわよっ! 降伏しなさい。さもないとこの細い首を切り落とすわよ」
そんな……このままじゃ動けない。
なんてこった。ルーナの専属護衛としてご奉仕するはずが、よりによってこんな形で阻まれることになるなんて。
どうしよう。下手に動けばルーナの命はない。
一体どうすれば――。
「さあ、早く降伏宣言をして立ち去りなさい! そうすればこの女は――」
「「「「「!」」」」」
ケレスが無理難題を押しつけようとしたところに大きな銃声が聞こえた。
気がついてみれば、ルーナはケレスから解放され、マーズたちに確保されていた。そしてケレスの右腕からは血が噴き出していた。
「あああああっ!」
剣を地面に落とし、右腕から出る血を左手で蓋をするように抑えようとする。
ふと、横を見て見ると、両手に銀色の銃を持ち、険しい表情を見せるヴィーナスが強い殺意と共にケレスに銃を向けている。銃先からは白い煙が黙々と上に向かって飛び出ていた。
銃声の正体はヴィーナスだった。
彼女はピンポイントでケレスの右腕を狙い、ルーナを救出してくれたのだ。
「くっ……ヴィーナス」
「これはこの前あたしを刺した分」
「ちいっ!」
咄嗟に左手で剣を拾い、それでヴィーナスを刺そうとする。
またしても銃声が響き、今度はケレスの左腕を狙い撃った。
「ああっ!」
二度も剣を落とし、銃弾が命中した影響で両腕の握力がなくなっていたケレスにはもはや勝ち目はなかった。
「これはさっきルーナに手を出そうとした分。あたしならともかく、仲間に手を出したり苦しめたりすることは絶対に許さない。プラネテスはね、仲間に手を出される方がずっと怒りを買うのよ」
「……馬鹿にしないでっ!」
ケレスが走りながらヴィーナスに近づき、体当たりを仕掛けようとする。
「ああっ! ううっ! がはっ!」
体に何発もの銃弾を受け、ケレスの体の動きがようやく止まり、その場に仰向けに倒れた。
もう瀕死の重傷だ。全身からは血が出ている。また仲間に手を出すかもしれないと思うと、もう回復してやることもできない。
実に哀れだ。こんな形でケレスの最期を見たくはなかった。
「そしてこれは――アースを散々苦しめてきた分よ」
倒れたままのケレスが地面に這いつくばりながら横たわっているエリスの死体に近づいた。
ケレスの後を追い、僕は彼女の体を抱きかかえた。ぎこちない動きと弱々しい表情からも、全身から今にも魂が抜けかかっているのが見て取れる。僕らに対する怒りはすっかりと収まっており、息が段々と弱くなっていく。
「ケレス、どうしてこんなマネを」
「アース、ごめんなさい……これはきっと、あんたを追い出した罰よ。私にはもう居場所がないの。だからここを死に場所にしたかった。騎士として、戦場で美しく散りたい。その願いをあなたの仲間が叶えてくれた。今になってやっと分かったわ。居場所を奪われる辛さが」
ケレスがとても小さなかすれ声で囁くように言った。僕はそれを聞き逃すまいと耳に全神経を集中させて聞き取った。
彼女は僕を追放してから歯車が狂い始めたことを知り、慌てて僕を連れ戻そうと奔走していた。だがもう時既に遅しだった。
「私は……あんたが好き。ずっと好きだった。でも今はあんたが貴族で私は平民。断られてもしょうがないわね」
「ケレス、もし生まれる世界が違っていたら、きっと凄く仲の良い仲間になれていたのかもしれないと思うと……残念だよ」
「私もそう思うわ。死ぬ前にやっと本音が言えた。あんたの献身的な働きはとても素晴らしかった。あんな皇帝さえいなければ、私はきっと……幸せに……なれた」
さっきまでズシッとのしかかっていた彼女の体が急にフワッと軽く感じた。その目は開いたままぐったりとしており、僕は彼女の目を指で静かに閉じた。
ここに、ウルヴァラ家最後の当主、ケレス・フォン・ウルヴァラは死んだ。
まだ19歳の若さだった。彼女の死をもってプルート帝国最後の一兵が消え、僕らはようやく戦争を終えることができたのだった。
1ヵ月後――。
プルートは最初からプラネテスの味方であったことを理由にその罪を大幅に軽減され、しばらくの保護観察処分に留まることとなった。
プルート帝国は滅び、領土はネプチューン王国とウラヌス共和国に分譲された。そしてエッジワース港周辺の制海権はムーン大公国が握ることに。
サターンとウラヌスは知見を広めるという名目で僕らのパーティに居続けることになった。
僕らは帝国戦争と名付けられたこの戦いで最高の功績を上げたことで勲章を貰い、10人揃ってムーン大公国へと戻った。
「あれからもう1ヵ月ですか。月日が流れるのは早いですね」
「そうだね。もうあんな戦争は繰り返しちゃいけない。僕の村も戦争で滅びた。だからこれからはルーナの専属護衛を務めながら、平和のために尽くそうと思う」
「わたくしもアースさんを応援します」
「ルーナ、今度は必ず君を守ってみせるよ。たとえこの命に代えてもね」
「アースさん……」
僕とルーナはそよ風が舞う家の庭でそっと口づけを交わした。
それは、まだ見ぬ平和な世への誓いでもあった。
無能力者はこれにて第一部完とします。
他に書きたい作品ができたので、一応ここで完結ということにさせていただきます。
続きはもう書かないかもしれませんが、もし書籍化した場合は必ず続きを書きます。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。




