第九話 邪魔者
家に着く頃には日が落ちて、夕方になっていた。
レオはルーカスに手を引かれたまま、家の中に入った。
戻って来たと安心していると、急にルーカスがレオを抱きしめてきたから、レオは驚いた。
「どうしたんだ? ルーカス」
レオは尋ねたが、ルーカスは黙っていた。レオの鼓動が速まる。
ルーカスがレオの耳元で、
「お願い。俺のものになって」と言った。
「どうしたんだよ?」
レオはルーカスから離れようとしたが、ルーカスはレオを抱きしめて離さなかった。レオが後ずさると、その分ルーカスがレオの方に迫って来る。そうしてレオは、どんどん後ろに追い詰められ、やがてレオの腰がテーブルの端に当たった。もう後ろに逃げ場がない。
ルーカスは、そのままレオをテーブルの上に押し倒した。レオの両腕をつかみ、レオを見下ろすルーカスの目は、これまでになく真剣だ。
レオは茫然とルーカスを見上げた。
《早く逃げなきゃ……》
そう思うのだが、体が動かない。あまりにも急に想定外の事が起きたから、レオの頭と体は、現実について来られなかった。
その時。
家のドアをノックする音がした。レオとルーカスは同時にドアの方を見た。
「誰か来た」
レオはそう言って体を起こすと、ルーカスを引き離した。そして、ドアの方に向かって行った。
レオはこの時、ルーカスから逃れる事で頭がいっぱいだった。だから、何も考えずにドアを開けた。そして、開けてからそれを後悔した。
ドアの前にいたのはフリッツだった。
フリッツは、相変わらず厳しい視線をレオに向ける。
「やっと見つけた。いつまで逃げ回る気だ? もういい加減、考えを改めたらどうだ?」
「僕の考えは変わらないから、帰ってくれ」
レオは急いでドアを閉めようとしたが、フリッツはドアを足で押えた。
「今日という今日は逃がさない」
フリッツがレオの腕をつかんだ。
すると、ルーカスが駆け寄って来て、レオを抱きしめるようにしてフリッツから引き離した。
「レオに触るな!」
フリッツが驚いた様子でルーカスを見た。
「おまえは誰だ?」
「おまえこそ、何だよ?」
「俺はフリッツだ。レオを説得しに来た」
「説得?」
「ああ。レオは強力な召喚魔術を使う事ができる。アレクシアと同じ力だ。きっと、レオならアレクシアに対抗できる。だから、レオにアレクシア討伐に加わってもらいたくて来たんだ」
それを聞いたルーカスが怒りの表情でフリッツを睨みつけた。
「絶対そんなことさせない! 帰れ!」
フリッツもルーカスを睨み返す。
「おまえは一体何なんだ? おまえには関係ないだろう?」
「俺はレオの婚約者だ。レオが嫌がる事をさせようとするなら許せない!」
「婚……約……者?」
フリッツが目を丸めて固まった。
「さっさと帰れ! でないと、容赦しない!」
フリッツが我に帰った様子で、ルーカスに反論した。
「おまえもレオも男だろ? ……まあ、それはどうだっていい。レオは本来力を持つ者が果たすべき役割を果たしていない。できる力があるなら、人を、そして世の中を助けるべきだ。レオが力を貸してくれたら、助かる人が大勢いるんだ」
「そういう考え方、大嫌いだ。レオに重荷を押し付けるな」
「おまえは、いつもそうやってレオを甘やかしているのか?」
そう言うと、フリッツが今度はレオを見た。
「こんなガキにかばわれて、情けなくないのか?」
「ガキ……?」
その言葉は完全にルーカスの逆鱗に触れた。
ルーカスは、
「もう許さない!」と言うと、
「吹き渡る風よ、ここに集い、かの者を退けよ。ヴェントスウェブラーズン!」と呪文を唱えた。それは、レオが止める間もない速さだった。
次の瞬間、フリッツの体は吹き飛ばされ、すごい勢いで木に激突して地面に倒れた。
レオは絶句した。
「なんてことするんだ!」
レオはルーカスを叱りつけ、フリッツの方へ駆け寄った。
フリッツはびくともしない。
《まさか、死んじゃった……?》
レオはしゃがみ込み、恐る恐るフリッツの背中に手を当ててフリッツの体を揺らした。
「おい、大丈夫か?」
レオはフリッツの心臓の鼓動を確かめた。レオの手のひらに鼓動が伝わってくる。それを確認して、レオはほっと胸を撫で下ろした。
ルーカスも近付いて来た。
「レオ、なんでそいつを構うんだよ?」
レオはルーカスに厳しい視線を向けた。
「やりすぎだ! 死んだらどうする?」
「別に構わないじゃん」
前々から気付いていたが、ルーカスはレオ意外の人間に冷たすぎる。
「とにかく、今後、人相手に魔術を使うのは禁止だ。また使ったら、僕はルーカスと絶交するからな!」
レオの言葉に、ルーカスが青ざめた。そして、慌ててレオの隣にしゃがみこむと、
「ごめん! もう二度としない。だから、絶交とかそういう事言わないで」と懇願した。
「じゃあ、言う事聞けよ?」
「うん。聞くよ」
ルーカスが必死な様子で頷いた。
「じゃあ、フリッツを運ぶの手伝って」
レオが言うと、ルーカスが驚いたような表情を浮かべた。
「まさか、こいつを家に入れるの?」
「だって、このまま放っておけないだろ?」
レオがフリッツの体を起こそうと手を伸ばすと、ルーカスが、
「だめだ!」と言ってレオの手首をつかんだ。
「なんだよ? さっき言う事聞くって言っただろ?」
レオがルーカスを睨むと、ルーカスが、
「レオが他の人に触るのが嫌なんだよ。俺が一人で運ぶから、レオは触らないで」と言った。
ルーカスのレオへの執着ぶりに、レオは呆れたが、なぜか嫌な気持ちはしなかった。
ルーカスは風の魔術を使い、フリッツの体を浮かせて家まで運んだ。これなら確かに、ルーカスに任せた方が楽だ。
ちょうどマルセルの部屋が空いているから、マルセルのベッドにフリッツを寝かせた。
レオはフリッツを見つめた。
「大丈夫かなあ。ただ気を失ってるだけだよな?」
ルーカスが面白くなさそうな表情でレオを見つめた。
「そんなにこいつが心配?」
「心配っていうか……。人が怪我してるんだから。人に怪我をさせるのは良くないからな?」
ルーカスがため息をついた。
「あーあ。せっかく邪魔者がいなくなったと思ったのにな」
レオは驚いてルーカスを見た。
「よくそういう事言えるな?」
「だって、やっと二人きりになれたと思ったのに」
レオは、ルーカスの冷たさを少し怖いと思った。
「人に怪我をさせて、よくそういう事が言えるよな? 怪我をしたのが僕だったら? ここで寝てるのが僕でも、同じように言えるのか?」
今度はルーカスの方が驚いた表情を浮かべた。
「レオが怪我をしたら正気ではいられないよ。そんなの、想像だってしたくない」
ルーカスがレオの手を握ってきた。
「離せよ」
レオはルーカスの手を振り払った。
ルーカスが傷ついたような表情を浮かべた。
「ごめん、レオ。でも俺、レオを思うみたいに他の人の事思えないよ。だって、俺にとってレオは特別だから。だから、レオ以外の奴の事、構ってなんかいられない」
「もう、いい。ルーカスは出てって」
「レオ……」
「早く」
ルーカスがうなだれて部屋を出て行った。
レオは胸が締め付けられるような気がした。
レオにはルーカスを責める資格はない。世の中の人がレオに抱く感情は、きっと今レオがルーカスに抱いた感情と同じはずだ。
レオは、魔物に襲われる人たちを助けようとせずに、自分の生活を守る事しか考えていない。目にしてしまうと放っておけなくなるから、なるべく見ないように目を背けている。見ても平気でいられるルーカスと、見る事自体を避けている自分に、一体何の違いがあると言うのだろうか。救いの手を差し伸べようとしないのなら、どちらでも同じ事だ。
《僕って、最低だよな……》
レオは深いため息をついた。