第三話 出会いと勘違い
町に紛れて暮らしていれば、マルセルはレオの正確な居場所をつかめないらしい。そうして、服飾店の地下で暮らし始めてから十日ほどが過ぎた。
薬を煎じてたまに町で売り歩くのだが、町に出る時はマルセルに見つからないよう変装をするようにしていた。服飾店に世話になっているのはこの点では便利だ。
今日は女物の服を着て、頭からストールを被っている。女性としては背が高いのでバレるのではないかと思ったが、案外バレる事はなく、普通に商売ができた。
レオは、町を歩き回り、やがて町のはずれの方までやってきた。
どこかからか、激しく吠える犬の声が聞こえる。
レオが犬の声がする方に近付いて行くと、少し先に、木の根元で上を見ながらけたたましく吠えている犬の姿が見えた。一体何をそんなに吠えているのだろうと、レオはその犬にさらに近付いていった。
木の真下へ行き、上を見上げると、木の枝の上に少年がいて、木にしがみつきながら青い顔で震えていた。
犬が怖くて下りて来られないのだなとレオは悟った。
レオは犬のそばに屈み、犬の胴を撫でた。
「落ち着いて。静かに。いい子だ」
それでも犬は吠え続けていたが。レオは犬の頭や胴を撫でながら、
「あの人は何もしないよ。大丈夫だから」と犬をなだめた。
しばらくして、犬は諦めたのか、吠えるのを止めてその場から去って行った。
それを見届けると、レオは木の上にいる少年に声を掛けた。
「もう大丈夫だよ。下りて来られる?」
少年は下を見ると、ゆっくりと木の幹を伝って下りて来た。
「大丈夫? 犬が怖かったのか?」
レオが話し掛けると、少年が顔を上げ、レオと目が合った。少年はおそらく、レオより年下だろう。色白で栗色の髪をしている。背はレオと同じぐらいだ。やや狐目で気が強そうな印象の顔立ちをしており、ぱっと見は犬を怖がりそうには見えない。
少年はじっとレオを見つめていたが、やがて少し頬を赤らめた。
「もう大丈夫。お姉さん、名前は?」
少年にお姉さんと呼ばれて、レオは自分が女装している事を思い出した。
「レオ……ナ。レオナだよ」
レオは咄嗟に偽名を使った。女装しているのがバレるのは恥ずかしい。
「レオナさん……。さっきはありがとう。俺はルーカスだ」
ルーカスはレオに満面の笑みを向けた。
「そうか。この近所の子?」
「違うよ。レオナさんは? この辺の人?」
「いや。この町に一時的に住んでるだけだ」
「そうなんだ」
「もう大丈夫だよな? ちゃんと家に帰れよ」
レオはルーカスにそう言って、その場を去った。しかし、なぜかルーカスがレオについて来る。
レオはルーカスを振り返った。
「家、こっちなのか?」
ルーカスは首を振った。
「ううん」
「じゃあ、なんでついて来るんだ?」
「レオナさんと一緒にいたいから」
レオは唖然とした。
《もしかして、こいつ僕に惚れたのか?》
レオはルーカスを見つめた。ルーカスの目はレオに対する憧れに満ちている。
《間違いないな……。なんて面倒な……》
レオは、
「ついて来ないでくれ」と言って、ルーカスを無視して歩き出した。
ルーカスはお構いなしにレオについて来た。
「レオナさん、歳はいくつ? 俺は十七なんだ」
「…………」
「家族はいるの? どこに住んでるの?」
「…………」
「結婚はしてないよね? 恋人はいる?」
「…………」
「どんな男が好きなの?」
ルーカスは矢継ぎ早に質問をしてきたが、レオはすべて無視した。
レオはルーカスを無視していつもどおり商売を始めたが、レオが薬を売り歩く間、ルーカスはずっとレオについて来た。
「レオナさんはいつも薬を売ってるの?」
「そうだよ。……どうでもいいけど、どこまでついて来る気だ?」
「ずっとだよ」
「ずっと?」
「うん」
「それは困る」
レオはルーカスから離れようと、足早に歩き始めた。それでもルーカスはレオについて来る。
レオは困ったと思った。そしてふと、ある考えが浮かんだ。
少し脅かしてやれば、ルーカスを追い払う事ができるのではないだろうか。犬をあれほどまで怖がっていたのだ。きっと臆病な性格なのだろう。少し怖い目に遭えば、逃げて行くに違いない。
レオは人気が無い場所まで移動すると、ルーカスに気付かれぬよう、小さな声で呪文を唱えた。
「我、門を開き闇に住まう汝に命ず。コモンハビタンステネブリス」
すると、レオとルーカスのいる場所の空気が歪み、ブラックホールのような黒い塊が現れた。そして、その黒い塊から、大きなトカゲのような姿をした魔物が現れた。
「これは……!」
ルーカスは驚いた様子で魔物から離れた。
魔物はルーカスに向かって殺気を放ち威嚇する。
《さあ、逃げろ》
レオはそう思いながらルーカスの様子を見つめた。
しかし、ルーカスは逃げようとはしなかった。
ルーカスは魔物を見据えた。その目つきは鋭く力強い。先ほど、犬に怯えて木の上で震えていた時とは全く違う表情だ。
ルーカスは呪文を唱え始めた。
「吹き渡る風よ、ここに集い我が刃となれ。ヴェントスザライスン」
次の瞬間、ルーカスの周りの空気が渦を巻き始め、ものすごいスピードで魔物に向かって行った。向かった風が魔物の体を真っ二つに切り裂くと、魔物は断末魔の叫び声を上げて消え去った。
レオは茫然とした。
《魔術師だったのか。それに、強い……》
ルーカスがレオに近付き、レオの手を握った。
「大丈夫? 怖かっただろ? もう大丈夫だから」
レオが召喚した魔物だとは思っていないから、ルーカスはレオを心配しているようだ。
「魔術師だったんだな」
「そうだよ。へへ。見直した? 俺、結構強いんだぜ? だからさ、俺と結婚してよ」
レオは目を丸めた。
「はあ⁈ いきなり何言ってるんだ? なんで僕が君と結婚しなくちゃならないんだよ?」
「レオナさんの事好きになっちゃったんだ。ね? いいでしょ? 俺は頼りになるよ? 結婚してよ」
「無理だ! 僕たちさっき会ったばかりじゃないか」
「関係ないよ。俺すぐに分かったんだ。レオナさんは運命の人だって」
レオはため息をついた。こうなったら、恥を忍んで本当の事を言うしかない。
「僕は君とは結婚できないよ。僕、男だから」
レオは被っていたストールを外して見せた。
今度はルーカスが目を丸めた。
「何て?」
「僕は男だ。名前もレオナじゃなくてレオ。だから、君とは結婚できない。分かった? だから付きまとわないでくれ」
「本当に?」
「ああ」
レオはルーカスの手を取り、自分の胸に当てて、「ほら」と言った。
すると、ルーカスの顔がみるみる赤くなった。
「分かったらさっさと……」
レオが言いかけると、ルーカスがレオの手を両手で握り返し、レオの顔を見つめた。
「関係ないよ。レオが男でも関係ない。俺と結婚して、レオ」
「はああ?」
レオはルーカスの手を振りほどいてルーカスを睨んだ。
「頭おかしいんじゃないのか?」
「おかしくないよ。レオ、頼むよ」
「嫌だよ。もうついて来るな!」
レオはそう言って逃げようとしたが、ルーカスはそれを察知したのか、レオの手をがっちりと握ってきた。
レオは慌ててその手を振りほどこうとした。
「離せよ」
「いやだ」
「離せ!」
「いやだ」
そうしていると、
「見つけた!」という声がした。
レオがそちらに視線を向けると、魔力測定器を手にしたマルセルがやってきた。
《めんどくさいヤツがもう一人来たよ……》
レオはため息をついた。
マルセルは嬉々とした様子でレオに近付いて来た。
「さっきも何かしましたよね? 一気に針が振れたので興奮しました。また現場を見逃してしまいましたよ。それにしても……」
マルセルがレオの姿を見つめた。女装姿を見られるとはかなりの屈辱だ。マルセルが、なるほどといった感じで頷いた。
「違和感ありませんね。どおりで見つからないわけです」
レオは再びため息をついた。
「いい加減諦めてくれない? 僕の気持ちは変わらないから」
マルセルがすがるような目でレオを見た。
「そんな事言わずに、私と一緒にいて下さいよ。それ以上は何も望みませんから」
「嫌だよ」
二人の様子をうかがっていたルーカスが、マルセルを睨んだ。
「おまえ、何者だ?」
「私はマルセルと言います。君こそ、誰ですか?」
「俺はルーカス。レオの婚約者だ」
レオはルーカスに、
「誰が婚約者だよ!」と言ったが、ルーカスは聞き耳持たずだ。
ルーカスがマルセルに、
「レオは嫌がっているじゃないか。付きまとうのはやめろ」と言った。
レオは内心、《おまえが言う?》と思った。
マルセルが冷たく、
「君も歓迎されているようには見えませんが?」と言った。
ルーカスとマルセルの間に険悪な空気が流れる。
「分かった。じゃあ、勝負しよう」
ルーカスがマルセルを見据えて言った。
「勝負?」
「戦って、勝った方がレオを手に入れる」
レオは慌ててルーカスに抗議した。
「何勝手な事言ってるんだよ? 僕はどっちが勝っても、どっちの言う事も聞くつもりはないからな!」
すると、マルセルが「分かりました」と答えたから、レオは耳を疑った。