最終話 想う心
レオとルーカスは手をつなぎ、山の中を歩いて家に戻った。
家に入ると、居間の椅子にデニスが座っていて、戻って来た二人の姿を見て眉をひそめた。
レオは反射的にルーカスの手を離した。
デニスが二人に向かって、
「どこへ行ってたんだ?」と尋ねてきた。
「散歩だよ」
ルーカスは全く気にしていない様子だ。しかし、レオはデニスに快く思われていないという事を察知した。
《もしかして……》
レオは気付いた。デニスは二人を別れさせるためにレオにあんな事を言ったのではないだろうか。ルーカスがレオを想う気持ちに嘘があるとは到底思えない。デニスの言った事が嘘だという方がすんなりと受け入れられる。しかし、昨晩ルーカスがどこかへ出掛けていたのは事実だ。
ルーカスがレオに、
「今日は俺が作るよ」と言って、レオがさや剥きを途中にしていた豆を手に取った。
「あ、いいよ。僕がやりかけてたし」
「じゃあ、一緒にやる?」
「うん」
レオは答えつつ、ちらりとデニスの様子を伺った。
デニスがこちらを見る目は冷ややかだ。
デニスがルーカスに向かって口を開いた。
「ルーカス、ちょっと話がある。いいか?」
「え? 何? 話って」
「ちょっと来い」
デニスが立ち上がり、ルーカスに外に出るよう促した。
「分かったよ」
ルーカスがデニスについて、家の外に出て行った。
レオは二人が何を話すのか、気になって仕方がなかった。わざわざ出て行ったのだから、レオには聞かれたくない話なのだろう。しかし、どうしても気になって仕方がない。
レオは悪いと思いつつ、呪文を唱えた。
「我、門を開き闇に住まう汝に命ず。コモンハビタンステネブリス」
レオの前に小さな使い魔が現れた。
「行け」
レオが命じると、使い魔は床に沈み込むようにして姿を消した。
使い魔が見聞きした情報が直接レオの頭の中に入って来る。
やがて、デニスの声が聞こえ始めた。
「単刀直入に言う。レオと別れろ」
「は? 何言ってるんだよ? 俺がレオと別れるわけないだろ?」
「お母様がどうしてレオを放っておくか分かるか? それはいざとなったらおまえを使ってレオの動きを封じられるからだ。おまえは人質なんだよ。レオがお母様に歯向かったら、おまえが危険な目に遭う」
「レオはお母様に歯向かったりしないよ」
「そんな事、分からないだろう? そうなってからでは遅い。早くレオと別れるんだ」
「嫌だ。絶対別れない」
「それなら、お母様にレオに怪しい動きがあると報告するぞ。そうしたら、お母様はきっとレオを排除するだろう」
「何言ってるんだ?」
「俺は本気だ。だから、今すぐレオと別れて、家に戻るんだ」
「絶対、そんな事させない」
「別れろ」
「嫌だ!」
「なら、仕方がない」
「待てよ! だったら、俺だって容赦しない! ……吹き渡る風よ、ここに集い我が刃となれ……」
ルーカスが呪文を唱え始めたのを聞き、レオは青ざめた。
「だめだ、ルーカス」
レオは家を飛び出した。
「ルーカス!」
レオの目の前で、ルーカスがデニスに向かって風の刃を放った。
デニスはギリギリのところでそれを避けた。デニスの後ろの木に風の刃が当たり、大きな音を立てて木が倒れた。
レオはルーカスに駆け寄り、ルーカスの腕をつかんだ。
「何てことするんだ!」
「レオは黙っててくれ!」
「お義兄さんを攻撃するなんて、絶対だめだ!」
「俺とレオの仲を引き裂こうとするなら、兄さんでも許せない!」
騒ぎに気付いて、マルセルも外に飛び出して来た。
「何ですか? 何があったんですか?」
デニスは茫然とした様子でルーカスを見つめていた。
「そこまで、レオの事を……」
ルーカスはデニスを見据えた。
「お母様のところへ行くなら、本気で殺す」
「ルーカス! 殺すなんて言うな! もう攻撃するなよ!」
レオは、ルーカスの腕を揺さぶりながら訴えかけた。ルーカスに肉親を傷つけるような事をさせたくない。
「兄さんがレオを危ない目に遭わせようとするなら、仕方ないだろ」
デニスがため息をついた。
「言ってもきかないようだな」
「ああ。俺は絶対レオと別れない。何があってもだ」
「そこまで言うなら仕方ない。勝手にするがいい。しかし、本当におまえが危ない目に遭っても知らないぞ?」
「そんな事にはならない……。もしなったとしても、レオのためなら構わない」
「ルーカス……」
レオは胸が熱くなった。不安だった気持ちが一気にほどけていく。
デニスが諦めた様子でルーカスに言った。
「分かった。もう好きにしろ」
「じゃあ、俺とレオの事、もう邪魔しない?」
「ああ」
デニスの答えに、ルーカスはやっと表情を和らげた。
「約束だからな」
「ああ」
こうして、その場は何とか収まった。
その日の夜、レオは自分に向けられるデニスの視線を感じた。朝の出来事で、デニスがどれほどルーカスを心配しているかが分かった。デニスから見れば、レオはルーカスの安全を脅かす存在でしかないのだろう。そんな気持ちが痛いほど分かるから、レオはデニスに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
レオがデニスに謝ろうと、口を開こうとした時、逆にデニスに、
「レオ」と声を掛けられた。
「はい」
「今日からおまえがルーカスの部屋で寝ろ」
予想外の言葉に、レオは驚いた。
「え? どうしてですか?」
「その方がいいだろう?」
「いや、でも……」
レオが言いよどんでいると、ルーカスがレオにほほ笑み掛けた。
「そうだよ。そうしよう」
それを聞いていたマルセルが、
「私は一回眠ってしまえば滅多な事じゃ起きませんので、気にしなくて大丈夫ですよ」と言った。
「それ、どういう意味だよ?」
レオは慌てた。
しかし、マルセルはレオの問いには答えずに、
「それじゃ、私は先に寝ますので、おやすみなさい」と言って、寝室に入ってしまった。
デニスも、
「それじゃ、俺はそっちの部屋に行くから」と言って、レオの部屋に行こうとした。
レオは、
「ちょっと待って下さい」とデニスを止めた。
「どうした?」
「お義兄さんは、僕の事許せないんじゃないですか?」
デニスが首を振った。
「俺はもう、何も言う事はない。ルーカスはおまえに本気らしいし、俺が何を言ったって聞きはしないだろう。そうだよな? ルーカス」
ルーカスが頷いた。
「ああ。俺はレオとは絶対に離れないよ」
その様子を見て、デニスがふっと笑みをもらした。
「うらやましいな」
「え?」
「そこまで想える相手がいるというのはうらやましい。お母様の言いつけに背いてまで想いを遂げたいと思うなんてな。俺はお母様の命令に従う以外、生きる意味など見つけられなかった」
それを聞いたルーカスがデニスに向かって言った。
「何言ってるんだよ? まだこれから見つかるかもしれないだろ? そういう台詞は、棺桶に入る直前に言えよ」
ルーカスの言葉に、デニスは一瞬唖然とした様子で黙ったが、それから笑い出した。
「おまえは、俺をいくつだと思ってるんだ?」
「歳なんて関係ないだろ」
「そうだな。可能性がないわけではないな」
「そうだよ」
「ありがとう……」
デニスはそう言うと、照れ隠しなのか、逃げるようにレオの寝室に入って行った。
居間にはレオとルーカスが残された。
ルーカスがレオの手を握り、
「じゃあ、俺たちも寝よう」と言った。
「うん」
二人は一緒にルーカスの寝室に入った。
ルーカスのベッドの横に、デニスが寝るための低い簡易的な寝床を作っていた。
レオはその寝床に座ろうとしたが、ルーカスがレオの手を引いた。
「何してるんだよ?」
「え? 僕はこっちで寝ようと思って」
すると、ルーカスが思い切りレオの手を引き、レオの体を引き寄せると、
「そんなの許すわけないだろ?」と言った。
ルーカスはその勢いのまま、レオをベッドに押し倒した。
「あ!」
レオは心臓が破裂しそうだった。いきなりこんな状況になるとは思ってもみなかった。
ルーカスはレオを組み敷くと、レオの唇を塞いだ。
レオは両手でルーカスを引き離しながら、ルーカスの唇から逃れた。
「待って。僕、こういうの初めてで……。その……」
「怖い?」
ルーカスがレオを見つめた。
「うん……。それに、恥ずかしい」
「大丈夫だよ」
ルーカスがレオの体に手を滑らせてきたので、レオはその手をつかみ、
「待って!」と再び制した。
レオはルーカスを見上げた。顔から火が出そうだ。
「すぐそばにお義兄さんやマルセルがいるのに、だめだよ……」
ルーカスが諦めた様子でレオを組み敷く力を緩めた。しかし、その表情は穏やかだ。
「じゃあ、今日は少し触るだけ、それならいいだろ?」
「うん……」
レオは恥ずかしさのあまり、ルーカスから視線を逸らした。
ルーカスがレオに顔を近づけ、再び唇を塞いだ。舌を触れ合わせる深いキスをしながら、ルーカスがレオの服の中に手を入れ、レオの肌に触れてきた。ルーカスに触られるうちに、レオは頭が真っ白になった。色々な事がどうでも良くなってしまう。生まれて初めて味わう甘美な時間に、レオは徐々に酔いしれていった。
翌日の朝、レオが目覚めると、すぐそばでルーカスが寝息を立てていた。
昨日の夜は雄の顔でレオを支配してきたのに、寝顔にはまだあどけなさが残っている。
《こんなかわいいのに、あんな事するなんて……》
レオは昨夜の事を思い出して赤面した。
《何が『少し触るだけ』だよ……》
レオがルーカスを見つめていると、ルーカスが目を開けた。
「おはよう」
レオが言うと、ルーカスが幸せそうな笑みを浮かべ、
「おはよう」と返してきた。
ルーカスがレオの方に体を摺り寄せ、レオを抱きしめてきた。
「俺、今すごい幸せ」
レオもルーカスを抱きしめ返した。
「僕も幸せだよ」
二人は見つめ合い、ほほ笑みを交わした。




