第十三話 襲来
ルーカスが家を出てから二日が過ぎた。
自分の気持ちを自覚してしまうと、レオの頭の中はルーカスに支配された。出会ってからこれまでに起きた、ルーカスとの様々な出来事が頭を巡る。
ルーカスが何度もレオに結婚しようと言ってきた事が思い返された。今のレオなら、「はい」と答えられる。レオがそう答えれば、きっとルーカスは喜んでくれるはずだ。ルーカスの笑顔を想像すると、レオは幸せな気持ちになった。早くルーカスに会って想いを伝えたい。
一方で、フリッツに言われた事も脳裏に蘇ってきた。今のままでは、レオとルーカスは心置きなく幸せな生活を送る事ができない。二人が本当に幸せになるには、この世から魔物を消す事、つまり、アレクシアを倒す事が必要なのかもしれない。レオはそう考えてから、まさか自分がそんな事を思うようになるなんて、と思った。
レオは家の外に出た。
畑のそばの切株にフリッツが座っている。
レオはフリッツに歩み寄った。
「フリッツ」
「レオ、どうしたんだ? そっちから寄ってくるなんて、珍しいじゃないか」
「ちょっと訊きたい事があって」
「なんだ?」
「フリッツはどうして、アレクシアと戦おうって思えるんだ?」
「それは……。前にも言ったが、俺は祖母を魔物に殺されているからな。ああいう思いはもう二度としたくないし、他の誰にもさせたくないんだ」
「戦うのが怖くない?」
「そりゃ、怖いよ。だけど、誰かがやらなきゃ、この世の中は変わらない」
「僕は、魔力が無い人がうらやましいよ。魔力がなければ、こうして山の中に住んでいたって、誰にも咎められないだろ?」
「俺は、レオの方が羨ましいけどな。そんな力があれば、祖母は殺されずに済んだだろうし、すぐにでもアレクシアに立ち向かっていけるのに」
フリッツの話を聞けば、自分にもアレクシアと戦う勇気が湧くのではないかと思ったが、そう簡単な話ではなかった。レオはやっぱり、戦いに身を投じたいとは思えない。
その時、家の中にいたマルセルが外に飛び出してきた。そして、レオの姿を見つけると、
「何か来ます!」と言った。
「え? 何かって?」
「分かりません。ですが、とてつもない魔力を持っています。レオと同等、もしかするとそれ以上かもしれません! とにかく、逃げましょう!」
マルセルは魔力測定器を持って家の周りを一周し、
「あちらから来ます。あちらへ逃げましょう」
と言って、レオの手をつかんだ。そして、フリッツを振り返り、
「あなたも、早く!」と言った。
三人は山の中を走り出した。
走りながらレオは、
「一体何が来るんだ?」と言った。
「分かりませんが、どんどん魔力が大きくなってます。だいぶ近づいてますよ。やっぱり、レオと同じぐらいの魔力です。かなり強い魔物か、そうじゃなければこんな魔力を持っているのは一人しかいません」
「まさか……」
フリッツが足を止めた。
「アレクシアか?」
「おそらくそうです。あなたでは敵わないでしょう? 早く逃げましょう」
「レオ!」
フリッツがレオを見たが、レオは首を振った。
「無理だ」
「早く行きましょう」
一行は再び走り出した。
家からだいぶ離れたところで、三人は足を止めた。走り続けて、三人ともかなり息が上がっている。
「少し、休みましょう」
「そうだな」
一行はその場に座り込んだ。まだ山からは出られていない。
レオは下って来た方を見上げながら、
「大丈夫かな」と言った。
「予想に過ぎませんが、アレクシアには魔力を察知する能力はないと思います。もしあったら、とっくの昔にレオの事に気付いていたでしょうから」
「でも、どうしてここに来たんだろう?」
「きっと、何かしらの方法でレオの存在を知ったのでしょう」
レオは青ざめた。
「僕の存在を知って、僕を殺しに来たってこと?」
「分かりませんが、消すか仲間にするか、どちらかだとは思います」
フリッツが、
「仲間なんて、とんでもない!」と声を荒げた。
レオは、
「もちろんだよ」と言った。
マルセルが魔力測定器を確認した。
「魔力は大きくなってはいません。こちらには近付いて来ていないようです」
「そうか」
「少し休んだら逃げましょう」
「あのさ……。少しここで様子を見ないか? 魔力測定器を気を付けて見てれば、近付いて来ても分かるだろ?」
「そうですけど……。レオ、戻る気ですか?」
「うん……」
マルセルが察した様子で頷いた。
「そうですね。ルーカスが戻って来ますもんね」
「マルセルとフリッツはこのまま逃げていいよ」
「魔力測定器がなければ危険じゃありませんか。レオが戻るなら私も一緒に戻りますよ」
フリッツがレオに真剣な目を向けた。
「アレクシアに狙われているなら、立ち向かわないか? 俺も力を貸すし、同志もみんな手を貸してくれる」
レオは首を振った。
「それはできない」
「一生逃げ回って生きる気か?」
「仕方ないよ……」
フリッツがため息をついた。
「頑なだな……」
「だって、本当に嫌なんだ。僕は、畑で豆やキャベツを育てながら穏やかに暮らしたいんだよ」
フリッツがふっと笑った。
「本来であれば、確かにレオにはそういう生活が合っているだろうな。レオが作る野菜はうまいし。だけど、世の中には、そういう穏やかな生活をアレクシアに奪われた人が大勢いるんだぞ? それを助けてやりたいって思えないか?」
「……ごめん。思えない」
フリッツが再びため息をついた。
「良心がないわけじゃないのに、人助けをしようとか、世の中の役に立とうとは全く思わないのはレオの変わったところだな。しかし、ある意味正直なのかもしれない」
「え?」
「他の魔術師だって、嫌々魔物と戦ってる奴らはいる。だけど、体面を保つために、それを表に出していないだけだ」
「そう、か……」
「だけど、レオほど突出した力を持っているなら、やはり考えを改めるべきだと思うけどな」
「僕は変われないよ」
「変わろうとしていないだけだろ?」
「変わる必要……あるのかな?」
レオはそう言って俯いた。
それから、三人は魔力測定器の動きに注目しながら、その場に留まった。
しばらくして、魔力がどんどん弱まっていった。
「弱まってますね」
「帰ったのかな」
やがて、針はここにいる三人の魔力分の振れ幅まで戻り、安定した。
「帰ったみたいですね」
「じゃあ、戻ろう」
三人は山を登り、家に戻った。
家には誰もいない。家の中も家の周りも特に変わった様子はなかった。
「本当に、ここにアレクシアが来てたのかな」
「とてもそんな風には思えませんね」
「また来るかな?」
「分かりませんが、魔力測定器を注意しておきましょう」
その日は、魔力測定器から目が離せなかった。いつまたアレクシアがやってくるか分からない。
夜になって、魔力測定器を見ていたマルセルが、
「あ!」と声を上げた。
「どうしたんだ?」
レオはすぐにマルセルの手元を覗き込んだ。
「針が動いてます」
「また来たのか?」
「分かりません」
二人はしばらく魔力測定器を見つめた。
やがてマルセルが、
「この動き方はそこまで大きな魔力ではありません。もしかしたら、ルーカスが帰って来たのかも」と言った。
「本当に?」
レオはすぐに家を出て辺りを見渡した。そして、上を見上げると、星空に浮かぶ人影が見えた。
その人影はどんどんこちらに近付いてくる。そして、家の上空まで来ると、レオの方に下りてきた。レオの前に降り立ったのは、紛れもなくルーカスだった。
「ルーカス!」
レオが呼び掛けると、ルーカスがレオに向かってほほ笑んだ。
「無事でよかった」
ルーカスはそう言って、レオに崩れかかるように抱きついた。
「ルーカス、どうしたんだ⁈」
ルーカスは怪我をしていた。額からは血が出ているし、足に力が入っていない。
レオはマルセルに、
「マルセル! 手を貸してくれ」と助けを求めた。
レオとマルセルは、ルーカスを抱えるようにして家に入り、ルーカスを寝室のベッドに寝かせた。
《何が『無事でよかった』だ。ルーカスが無事じゃないじゃないか……》
レオは痛み止めの薬を煎じてルーカスに飲ませ、傷の手当をした。額に傷があり、足も痛めているようだ。そして、体中にあざがあって痛々しい。
レオは、ルーカスのベッドの横に膝を付き、ルーカスを見つめた。
マルセルもすぐそばに立ち、ルーカスを心配そうに見つめている。
「何があったんだ?」と、レオはルーカスに尋ねた。
「ちょっと怪我をして、動けなかった。帰るのが遅くなってごめん」
「なんでこんな怪我をしたんだよ? ルーカスがこんなにやられるなんて……。こないだ来た、あの男か?」
「違う……」
「じゃあ、何なんだよ? 頼むから、何があったのか話してくれよ」
「レオ、ここはすぐに引っ越そう」
レオは頷いた。
「引っ越すよ。ルーカスの怪我が治ったらすぐに」
「俺は大丈夫だから。魔術で移動できる。だから、今すぐに引っ越そう」
レオは胸騒ぎを覚えた。なぜルーカスはこんなにここを離れたがるのだろうか。今日アレクシアがここにやってきた事と何か関係があるのではないだろうか。ルーカスは、ここにアレクシアが来た事を知っているのではないか。だとしたら、ルーカスはアレクシアと何らかの関係があるという事だ。
レオは、
「今日ここにアレクシアが来たんだ」と言った。
すると、ルーカスの顔色が真っ青になった。その表情を見て、レオは確信を持った。
レオはルーカスに、
「ルーカスはアレクシアと何か関係があるのか?」と尋ねた。
ルーカスは苦しそうな表情を浮かべ、しばらくの間黙った。それから、ようやく口を開いた。
「俺は、アレクシアの息子なんだ」
「――――!」
あまりの告白に、レオは頭が真っ白になった。マルセルも言葉を失っている様子だ。
「俺は、アレクシアの息子だ……」
ルーカスがもう一度言った。




