『絆』と書いて『しがらみ』と読む
町内の初総会。この町内の役員任期は、年度ではなく年ごとに定まる。年始めの日曜午前に行われる総会が、新役員にとって最初の行事だ。
会計報告、新旧の役員挨拶も終わり、最後の質疑応答。
頃合いだろう。
「ちょっと、いいですか?」
私は手を挙げた。挙げた腕が重い。最近、とみに疲れを感じる。
私が住んでいる集落では、町内会の組織として、公民館や婦人会がある。
町内会の執行部だけは引退世代が務めているが、公民館や婦人会は主に小学生以上の保護者世帯で回す、ということになっている。
だが、この少子化の折、組織の担い手がどんどん減っている。特に、私よりも下の世代は先細りだ。
実際のところ、現在ですら、公民館や婦人会の対象を全て足して倍にしても、老人会の人数に届かない。
例年、年末は揉める。新執行部の選出、有り体に言えば、次の三役を誰に押しつけるかである。
我々より上の世代は数が多かったから、せずに『逃げ切った』人もいる。が、下の世代は、六・三・三の十二年に役職数を乗じて、対象世帯で割ると……。まぁ、お察しである。
それに対して上の世帯は先手を打ってきた。「四十五から五十歳ぐらいを目処に、順に三役を務める。それより下の世代が委員長で経験を積む。五十歳以下で、していない人から選ぶことにします」
妙案だ。向こう五年、世帯が増えれば――見込みは薄いが――八年ぐらいはそれで回せるだろうか。そして、彼らは『上がり』だ。
正直なところ、三役がどんな仕事をしているかよく知らない。私の結婚が遅く、組織に入ったのが四十代の半ばだったのも良くない。
漏れ聞くところ、公民館は町内だけでなく、小学校の学区、中学校の学区、市町村レベルのブロック……、とにかく、組織にそういうヒエラルキーが存在し、それぞれの主催する行事を成立させるために『動員』がかかる、らしい。
だから多くの町内では、そういった役は物理的に時間がある引退世代が引き受ける。あるいは、地域の名士と呼ばれるような有閑階級の人が引き受ける例が多い。無論、ここのようにそれを現役世代に押しつけている町も少なくないが。
婦人会も似たようなモノらしい。
三役は各班持ち回りで、それとは別に班長がある。その三役の一つは市町村の組織だろうか、女性ナントカ協議会とか、そんな感じの組織に組み込まれ『動員』がかかる。
加えて班長は、町内会や学区の行事のための、女性『動員』要員だ。
前回、妻が三役をしたときには、あまりにもそういった行事が多く、少しでも負担を軽減するために、町内の婦人会主催行事を減らすという本末転倒なことになった。
小学生の娘が自傷行動を始めたのはその頃だった。
私は、長子が入学していきなりPTAの執行役員をあてられた。というより、選出にあたった人が、上の学年から順に頼み込んだら全員から断られ、あるいは任期が短く負担の少ない委員から埋まり、残っていたのが執行部役員のみだった。
後で知ったのだが、これは各町内回り持ちで、この年が会長などの執行役員が回ってくる年度。要するに全員が逃げたのだ。
家でも、PTAの話、次年度の役員選出の話……。妻は妻で婦人会の愚痴が出る。小学校低学年の娘が、構って欲しくて来るのを後回しにした結果、娘の幼児退行と――詳細は省くが――自傷行動が始まった。
なんとか任期を終え、娘に寄り添い、娘も少しずつ回復してきた。
その娘も小学校の高学年、そろそろ思春期も見え、成績も気になる頃。
婦人会の役がまた巡ってきた。私も公民館の三役を請けさせられることに。
本来は任意団体でしかない組織が『しがらみ』という強制力を発動させた結果である。
娘はそれを察したのだろう。幼児退行と自傷行動が再発した。それらの心配、加えて夫婦揃って仕事が大変になってきたこと。
既に家庭は癒やしの場ではなくなっていた。
普段ならどうということは無いことも、互いの心に余裕が無くなれば、衝突の原因になる。
そんな毎日が繰り返されて年末、『離婚』の話が出たのも、当然かも知れない。
クリスマスの頃から、私は気が変になりそうだった。
私は、総会の場で恨み節をぶちまけた。
「それでも組織を存続させたいと思う人は手を挙げて下さい。
挙げた人で、組織を回して下さい。出来ない人にムリにあてないで下さい。
私は、この組織から距離をおきます。
と言うより、考えるだけで虫唾が走る!」
誰も手を挙げない。当然だ。組織の存続に『自分が』という主語が付くなら、全会一致で反対なのだ。
私は、公民館を後にした。
私は帰宅し、リビングの照明を灯ける。
そして、いつものように「ただいま」と言った。