先生は百合女子を見守りたい
【登場人物】
天霧郁美:24歳。新米教師。百合のために生きていると言っても過言じゃない。
戸河みしろ:17歳。高校二年生。ショートカットの明るい女の子。学校の百合事情に詳しい。
思えば小さな頃から女の子同士のカップリングに並々ならぬ関心があった。
マンガや小説、アニメなんかに出てくる女の子たちが仲良くじゃれ合う様を見ては理由も分からずに胸を高ぶらせていた。彼女たちのそれを百合と呼ぶのだと知ったのはだいぶ後のこと。
百合モノに目覚めてから私の妄想はどんどん百合に傾いていくわけなのだが、あるとき天啓が走った。
――リアルで百合を眺めることが出来たら最高じゃない?
そう。百合であるなら二次元だろうがリアルだろうが尊いことに違いはない。
すべては百合のために。漠然としていた将来の目標が決まった瞬間だった。
傾いた西日が差し込む廊下で、女子生徒たちが私に手を振ってくる。
「郁美せんせー、さよならー」
「はい、さようなら。みんなあんまり寄り道せずに気を付けて帰ってね」
はーい、と返事だけは元気な彼女たちを笑顔で見送る。年齢が近いこともあってか友達のように私に接する生徒たちは多い。だけど私はそれでもいいと思っている。若いからこそ生徒の心に寄り添えることもあるし、若輩の先生だからこそ都合がいいこともある。
私は自分の定めた目標通り、女子校の先生になった。教科は現代文。
だからといって輝かしい百合色ライフが待っているわけでもなく、テストの作成・採点、教職会議、行事への参加等々、授業以外でやらなければいけないことに追われる日々。赴任して間もない私にはなかなかハードだったが、それでも頑張ってこれたのは百合のお陰だ。
(さて、今日はどこにいるかな?)
校舎を進みながら私は心の中で舌なめずりをした。
放課後の見回りは一日で何よりの楽しみだ。うちの学校だと比較的若めの先生に任される見回りだが、私は自らが志願した。新米だからこそ学校に早く慣れて、生徒達からも頼られる存在になりたいから、と。
もちろんそれは本音ではない。本当の目的は隠れていちゃついているであろう女子生徒たちを発見するためだった。
場所に当たりをつけながら時間帯を少しずつ変え辛抱強く見回ること数カ月、初めてそれらしい二人を見つけたときは感激のあまり涙が出てきたものだ。
(おっと、そろそろ用心しないと)
本校舎から別棟に入った。ここには書道室や美術室、家庭科室などの特別教室及び文化系の部室が固まっている。最上階にある音楽室では吹奏楽部が練習をしていて、金管楽器の賑やかな音が聞こえてくる。
人通りがあまりなく、物音をかき消すBGMが自然と用意された環境。それで個室まで揃ったなら恋人たちにいちゃついてくれと言っているようなものだ。
私は全神経を耳に集中させて、足音をたてないように各部屋に聞き耳をたてていった。
『……とか言ってんのー』
『あはは』
話し声。しかしこのトーンは違う。恋人同士だったなら声に親しさと楽しさ以外のものが宿っている。
『……でね』
『うん』
(これは――)
違う部屋の前で私の百合センサーが反応した。すぐさま周囲を確認。近づいてくる人の気配がないことを確かめてから部屋のドアにそっと指をかけた。
(カギは……やっぱり掛けてるよね)
ドアはここひとつだけ。この部屋の窓は廊下側には無い。ここは昔資料室か何かで使っていたのを空けて部室として使っているはずだ。
私はカギ束を音もなく取り出してから慎重にカギを開けた。カギ開けに関してはこっそり練習したのでほぼ無音で開けることが可能だ。それに吹奏楽の音楽が多少の物音はかきけしてくれる。
解錠したあとはドアを小指が入るくらいの隙間だけ開けて、半歩離れたところで姿勢を正して中を覗く。しゃがんでいたらあからさまに覗いてますよと言っているようなものなので、あくまで教師としての見回りの一環であることを装わなければならない。カモフラージュにクリップボードでメモをとっているフリもしておく。
部屋の中では女の子が二人、肩を並べて椅子に座り一つのスマホを見ていた。スカーフリボンの色から三年生だと分かる。
何を話しているかまでは聞き取れない。ただ、膝の上で手を繋ぎ、ことあるごとに視線を絡め頭をくっつけ合う彼女たちの様子はまぎれもなく友達以上の関係であることを知らしめていた。
(はぁぁぁ……眼福ですぅ……)
今この部屋の中は彼女たちだけの空間だ。相手に心から気を許し、触れ合う一動作一動作に愛情を込め幸せそうに微笑む乙女たち――ここを天国と言わずになんと言うのか。
(私は天国の空を飛ぶ鳥になりたい……。邪魔をせず、天使たちをずっと見守る存在に……)
ふと天使たちが見つめ合った。熱の宿った眼差しは次第に距離を縮め、やがて二人の唇が重なり合う。
(キス! キスきた! ふぉぉぉー!!)
聖人然とした感傷なんて一気に吹っ飛んだ。生で見る百合キスほど最高なものはない。
わずかな音も聞き逃すまいと更に耳を大きくして二人の行為に熱中する。
二人のキスは長かった。密室という環境がそうさせるのか、吐息を漏らしながら唇を動かし、深く交わるようにキスをする。
(このキスの仕方は付き合って一年以上ね)
ひとりで勝手に分析をしながら彼女達を見守る。
(ということは、こんなキスしちゃったらもう収まりつかないんじゃない? え、どうしよ。先生として止めるべきかもしれないけど、でも――)
興奮して無意識にドアに近づいたとき、足が何かに当たった。
(ん?)
下を向いて全身が固まった。私の足元にはいつの間にか女子生徒がいた。視線に気付いたのかしゃがんで部屋の中を覗いていたその子も顔を上げる。私と目が合うとにこっと笑った。
ショートカットの黒髪。快活そうな見た目と爽やかな笑顔の彼女には見覚えがあった。二年二組の戸河みしろ。授業外で何度か私に質問をするくらいには真面目な生徒、と記憶している。
「…………」
危機的状況ではあったが、私の精神は意外と冷静でいてくれた。こういうことが起きるかもしれないと想定はしていた。だからもしそうなった場合にどうするかをすでに決めていた。
まずはドアをそっと閉める。カギはしない。手元が狂うのが怖いから。部屋の中の子たちが帰るときに気付くだろうが、私を特定するには至らないはずだ。
ドアを閉められて不満そうな顔の戸河さんに、ちょいちょい、と手招きをしてから階段の踊り場へ連れていく。戸河さん以外は他に誰もいないようなので少し安心した。
踊り場で立ち止まり、背筋を伸ばして毅然とした態度で戸河さんに話しかける。
「今先生は見回りをしている最中なの。あの部屋にいる子たちにはあとで先生から言っておくから、戸河さんは用がないならもう下校しなさい」
見回りは本当だし危ないことをしている生徒に注意をするのも当たり前。自信満々に言えば多少不自然であっても引き下がるだろう。
なんてのは、完全に甘い考えだった。
「別に誤魔化す必要ないですよ、郁美先生」
「……どういう意味?」
「あたしが覗いてる先生見たの、今日が初めてじゃないし」
「――――」
いやまだだ。観念するのはまだ早い。
「見回りは毎日してるからどこかで会うこともあるでしょうね」
「見回りねぇー」
戸河さんがスマホを操作して画面を見せてくる。そこには先程とは違う場所で覗きをしている私が映っていた。ズームされた横顔はだらしなくにやけている。
(なんて顔をしてるんだ私は……)
さもありなん。それほどまでに絡み合う少女たちというのは素晴らしい光景なのだ。
それはともかく、まさか現場を撮影されていたなんて。この映像を証拠として提出されたら私の人生は終ってしまう。では弱みを握った人間が次にすることと言えば。
「そ、それを使って強請るつもり……? 何が目的なの? お金? テスト問題? そ、それともまさか、わ、私の体を!?」
「そうだねー、どーしよっかなー」
楽しそうにニヤニヤしていた戸河さんだったが、「なーんてね」と手をひらひらとさせた。
「なにもしませんって。あたしは同志を見つけて嬉しかったんだから」
「……同志?」
「そう、覗きが趣味の、ね」
まったく誇れることじゃないことを口に出して、戸河さんが目を細めて笑った。
場所を中庭に移した。ちらほらと生徒達の姿があったが、離れた隅の方で戸河さんと話を続ける。
「戸河さんも、その、女の子同士の恋愛に興味があるの?」
「ある――っていうかそれ目当てで女子校に来たくらい」
「うそ!? 私も!」
口を滑らせてハッとなった。自白をしてどうする。
戸河さんが私の心情を察してか苦笑した。
「今更隠さなくていいですよ。でもそっかー、郁美先生もそんな不純な動機でここに来たんだ」
「せ、先生として生徒達を教え導きたいという気持ちはあります」
「こーんな楽しそうに覗きしててあんまり説得力ないなぁ」
「うぅ……」
スマホに映った私の痴態を見返して笑う戸河さんに対して、ただただ肩幅を縮める。
生徒に主導権を握られるなんて情けないが、現状どちらが優勢なのかは言うまでもないことだ。彼女の口調がほとんどタメ口になっていることすら注意する気になれない。
「まぁまぁ、そんな落ち込まないで。別にあたしは先生を脅そうとか思ってないから」
「……じゃあ、消してくれるの?」
「いいよ」
有言実行。すぐさま戸河さんが目の前で動画を消した。
「はい、これで脅迫材料はなくなったよ」
「バックアップとかもない?」
「ないない。まだ不安なんだったら良いもの見せてあげる」
そう言って戸河さんが違う動画を再生し始めた。薄暗いどこかの教室。そこでは女子生徒が二人抱き合ってキスをしていた。
「こ、これ、盗撮――」
「うん。こんなの持ってるってバレたらあたしも危ないよね。つまり、あたしも先生に弱みを握られちゃったわけだ。ちょっとはこれで信用してくれた?」
「まぁ……」
立場の違いもあるし責任の問われ方が違うので同条件というわけではないが、少なくとも戸河さんに害意がないことは伝わった。
しかし盗撮となるとさすがに見過ごすわけにはいかない。私の教師としての良心が最低限の注意をさせる。
「動画で残すと流出とか色々あるから、そういうことはもうしないようにしてね」
「大丈夫大丈夫。本当に危ないのは動画に撮ってないから」
「撮ること自体がダメなんだけど…………え、その、そういうのも見たことあるの?」
「もちろん。あたし以上にこの学校の百合事情に精通してる人間いないよ?」
「そ、そうなんだ」
「何組の誰と誰が付き合ってるとか、どこだったら遭遇する確率が高いかとか、オススメの覗きスポットとかぜーんぶコレに入れてあるから」
スマホを指で叩く戸河さん。
「まぁでも先生も素質あるよ。先生を見つけたのだってあたしの巡回ルートと被ってたからだしね。赴任してちょっとしか経ってないのにそこまで嗅ぎ付けるのは才能だと思うよ、うん」
褒められて喜ぶべきなのか微妙だが、それよりも気を引かれることがある。
「……誰が付き合ってるとか、知ってるんだ」
含んだ意味に気付いた戸河さんの口端が歪む。
「先生も知りたい?」
私は素直に頷いた。顔と名前が分かればそれだけで妄想が膨らむ。ましてや二人が同じクラスだったりしたら、私がそのクラスで授業をするときにもう――最高じゃないか!
教師としての良心より欲望が勝った。
「い、一万円でどう?」
「そうやってすぐお金でどうにかしようっていうのは大人としてどうかと思うよ」
「う……」
「心配しなくても、タダで全部先生にあげるから」
「お金じゃないならやっぱり私の体……?」
「先生さぁ、絶対ヘンなのに影響受けてるよね?」
「だ、だって、戸河さんにメリットないじゃない」
「メリットならあるよ。一緒に百合を語れる」
そういえばさっき同志が出来て嬉しい、とか言ってたような。だけど女の子がいちゃつくところを覗くなんて独りでした方が絶対いいと思うが。
訝しんでいると戸河さんが遠く茜色の空を見上げた。
「この学校に入学してから、あたしはずっとひとりでやってきたんだ。自分の足で探し、聞き込み、目星を付けた教室の窓のカギをあらかじめ開けておいたりカーテンに隙間を作ったりして中を覗き、軋むドアの蝶番を直したり引き戸の下にロウを塗ったりして覗く環境を整え、少しずつ少しずつ成果をあげていった」
やってることはしょうもないがすごい熱意だ。
「いちゃついてる女の子たちを眺めるのは幸せだった。キスをして指を絡ませ、必死に声を抑える彼女達を見るたびに、あぁ生きててよかったと心から思った。でも幸せになればなるほど満たされない想いが湧いてきたんだ」
「それは……?」
「誰かに話したい!」
戸河さんの気持ちは分かる。マンガに例えるなら『マイナーなマンガだけどこの面白さが分かるのは自分だけでいいや』から『やっぱりこの面白さを他の人にも知って欲しい!』になったりするやつだ。
覗きなんて軽々しく話題に出来るものじゃない。だからこそ、その鬱屈した欲求が余計に膨れ上がっていったのだろう。
「…………」
私は無言で手を差し出した。これ以上言葉は必要ない。私達を繋ぐ懸け橋は『百合』の二文字なのだから。
戸河さんは驚いたように目を丸くしたあと、しっかりと私の手を握り返した。
その後、私のスマホにメモのデータを送ってもらった。
「はい、では教科書の続きから始めます。46ページを開いてください」
私の指示に生徒達が教科書を開く。そのとき小さな声が聞こえた。
「あ、教科書忘れてきた……」
「わたしの見せるよ」
「……ありがと」
机がくっつく音に視線を向けてどの生徒か確認した瞬間、私は口を手のひらで覆いたくなる衝動を我慢した。
ひとつの教科書をシェアする二人の女の子。授業をしていたらよくある光景だが、その二人が恋人同士だと知っていれば話は変わってくる。
まるでそこだけが別空間になったような錯覚。私の目には彼女達の周囲が輝いて見えた。
一方は微笑み、もう一方は若干そわそわした顔で隣をちらちら窺う。二人は今どんな気持ちなのだろうか。クラスメイトが周りにいるなかで恋人と肩を寄せて授業を受ける――嬉しい、恥ずかしい、ドキドキする……色んな感情が混ざりあって、でも決してそれがイヤじゃなくて。
(一瞬肩がピクってした)
それと同時にひとりがどんどん顔を伏せていっている。何かに耐えるように。
(こ、これはもしや――)
隣の子がちょっかいをかけている! 今まさに、机の下で! 太ももに触れたのか手を繋いだのか、もしくはもっと違うなにかか。
(授業中なのに……!)
授業中だからこそかもしれない。普段なら絶対に触れ合えないときに触れ合うことの背徳感、スリルが興奮という熱を生み、甘美な悦楽をもたらしてくれる。
今までの感想は全部マンガからの受け売りだが。
「郁美せんせー、どうしたんですかー?」
最前列の生徒に呼ばれて心臓が跳ねた。危ない危ない。二人の動向に注目しすぎていた。
「あぁごめんなさい、えっと、じゃあここの文章を誰かに読んでもらおうかな。今日の日にちの出席番号の人は――」
「……ということがあってね。授業中その子たちをずっと観察してたんだけど、教科書に交互に何かを書き込んでたのよ! あれは絶対『好き』『わたしも』とか書いてたはずね!」
放課後、戸河さんと合流するや否や私は興奮気味にまくしたてた。戸河さんは呆れるというよりはただ面白がって笑っている。
「あたしの渡したデータを有効活用してくれてるのはいいんだけど、不審な行動とりすぎてバレたりしないでよー?」
「そ、そこはちゃんと気を付けます。もし最悪バレたとしても、戸河さんのことは絶対話さないから」
「なーんかその言い方だと怪しいブツを取引してるみたいだよね」
実際怪しいことには変わりない。教師としての自覚を忘れずにあまり気を緩めないようにしないと。
「ところで先生、仕入れた情報でけっこう良さそうなのがあるんだけど、今から見に行かない?」
「行く!」
まぁそれはそれとして百合を見守るのも私の義務だ。
元気良く返事をしてから戸河さんの後についていった。
やってきたのは放送室。私にはあまり馴染みがない場所だ。
校内の放送やお昼に音楽を流すのが放送部の仕事だったはず。年に一回かアナウンスや朗読の大会もあるとか。たまに外で滑舌や発声の練習をしているのは見たことがある。
「放送部にいる二人が付き合ってるらしいんだけど、毎週決まった曜日は他の部員が塾とか用事とかで早くいなくなるから放送室で思う存分いちゃいちゃしてるんだって」
「その決まった曜日が今日なのね。……そういう情報はどこから仕入れてくるの?」
「企業ひみつ。生徒には生徒のネットワークがあるんだよ。ってことで、先生には先生にしか出来ないカギ開けをおねがーい」
「ここのカギ取ってくるのだって結構危ないんだからね」
小さく文句を言ってから、来る途中に職員室から持ち出してきた放送室のカギを取り出してドアを慎重に解錠する。
廊下に人の姿はない。ドアの隙間から中を確認して体を低くしながら滑り込む。
放送室の中は二部屋に別れている。ミキサーやパソコンなどの機材の置かれた手前の部屋と、奥にある防音ブース。今そのブースの扉は閉められていた。ブースとミキサー卓を仕切る大きなガラスの向こうに部員の姿は見えない。しかし――。
『……ん、ちゅ……』
『は、あ……』
戸河さんと顔を見合わせる。これは。
アイコンタクトをした後、姿勢を徐々に起こしていってゆっくりとブースの中を覗く。灰色のカーペットが貼られた床に、二人分の脚が見えた。投げ出された脚は絡まり、太ももがあらわになっている。
ドクドクうるさいと思ったら自分の心臓の音だった。生唾を飲み込んでからさらに覗き込む。
下半身から順番に視界に入ってきた。皺になったスカート、着崩れたブラウス、めくれたシャツから見える白い肌。
そこでは女の子が二人、折り重なるようにしてキスをしていた。
(あぁ、なんて――)
なんて美しいんだろう。恋人を想い、気持ちを共有するその行為は、何よりも尊く美しい。単純な性欲によるものだけではない愛の姿がそこにはあった。キスの仕方、体を撫でる手の動き、囁く声の色……すべてが愛しさと優しさで満ちあふれている。
放送室にいたのは数分くらいだろうか。私と戸河さんは長居せずに退却した。
百合を覗くうえで気付かれることだけは絶対にあってはならない。見つかるとまずい、というより彼女たちには安心して学校でいちゃついて欲しいからだ。第三者が邪魔をするなんて言語道断。見守り尊ぶのが百合好きとしての正しい在り方だと思う。
教師として校内での淫らな行為を見過ごしていいのか? その疑問はもっともだ。しかし、無理矢理なら許せないがそこに愛があれば問題ない! 人の恋路を邪魔するやつは馬にでも蹴られてろ!
「……はぁぁぁぁ……」
胸を押さえると私の口から幸せが溢れだした。隣では戸河さんが腕を組んで満足そうに噛み締めている。
「防音だからこその激しい絡みか……なるほど」
「やっぱりみんな音とか気にしてるのね」
今まで私が見回りで見つけた女の子たちはキス止まりばかりだった。学校でいちゃついてるとはいえ理性は残っているのだろう。
「そんなことないよ」
戸河さんがあっさりと否定して続ける。
「結構大胆な子もいるし、場所探してそういうことしてる子もわりといる」
「本当に?」
「あたしが聞いたのだとクラスが別の子たちが授業中に時間合わせて仮病で抜け出して空き教室使ったとか、保健室で寝てるフリしてカーテンの中でいちゃついたとか」
「え、養護教諭になりたい」
「もっと自分の担当教科に誇りを持って」
「だって、カーテンひとつ挟んだ向こうで女の子がいちゃいちゃしてるとか最高じゃない!?」
「それは分かる」
「でしょ? 嬌声と吐息をBGMに二つのシルエットが重なり動く様子はまさしく影絵の最高峰だと思うの!」
「見えないからこそ想像力が増して物音がより官能的に聞こえ、同時に無彩色の姿がある種の芸術性を生む、と」
「さすがね戸河さん」
「いやいや先生こそ」
視線で互いを讃え合う。ここまで嗜好で打ち解けた相手というのは初めてだ。知り合って時間は経っていないが、私達はすでに先生と教師ではなく同志になっていた。
「でもよく考えたらベッドでいちゃつくなら布団の中にもぐってるから影絵にはならないか。残念」
「盛り上がった布団がもぞもぞ動くのを眺めるのもまた一興かと」
「あぁそれもう最高! 先生に見られてるのが分かったうえで、動かないようにしなきゃいけないのに我慢できずにキスし始めるとかね! 修学旅行の随伴はそれ目当てで参加するつもりなの!」
「そのときはあたしがまた情報仕入れて流したげる。ふっふっふ……」
「戸河さん……!」
がっちりと固い握手を交わす。この学校に赴任出来て良かった。戸河さんと出逢えて良かった。百合の神様がいるなら感謝してもしきれない。
それから私の百合ライフはどんどん充実していった。
戸河さんのくれたデータのお陰で放課後にいちゃいちゃしてる女子生徒たちと遭遇する確率がぐんと上がった。それだけじゃない。彼女たちの名前や顔を知ることで、授業中も妄想が捗り楽しむことが出来るようになった。一粒の百合で何度も美味しい。まさに無限百合。
私にも普通の教師の仕事があるので放課後はずっと戸河さんといるわけではないが、どこで百合女子を目撃したかの情報は毎日交換し合ったし、自宅で遅くまで百合論について語り合ったりした。
先輩と後輩のカップルはどちらが攻めの方がいいか、は深夜二時近くまで激論を繰り広げたほどだ。私としてはやはり年の功である先輩が攻める方がいい。あの手この手で後輩を籠絡し、最終的に向こうから求めさせたら言うことなし。戸河さんは反対に後輩攻め派だった。本来なら優位である先輩が良いようにやり込められるのがたまらない、と。
――分かる。学校での上下関係がプライベートで逆転するギャップは良いものだ。年下に甘える年上というのも心から気を許しているのが見えるのでグッド。というか百合に良いも悪いもない。全部最高!
結局戸河さんとは議論したというより好きなシチュエーションを互いに挙げていっただけとも言える。
ある日の放課後、会議やら採点やらで泣く泣く残業をしていた私のもとに戸河さんから連絡が来た。
『運動部の部室裏! 早く!』
時刻は閉門時間を少し過ぎたころ。彼女がこんな文章を送ってくるからにはよほどのものを見つけたのだろう。
机の上のプリント類はそのままにすぐさま言われた場所に向かった。
運動部の部室はグラウンドの隅にある。長屋のようなコンクリートの建物で、部ごとに部屋が与えられている。
すでに日が沈みかけて辺りは薄暗い。下校を始めた運動部員らしき生徒たちとすれ違いに挨拶をしつつ、大回りで部室の方へ歩いていった。
「…………」
到着して部室の裏を覗き込む。部室の裏にはフェンスがあり、すぐ外は学校の外周の道路になっているのだが、フェンスと部室の間には腰の高さほどの低木が並べて植えられていて外からは見えづらくなっている。
戸河さんは低木と部室の隙間――樹木の管理用と思しき道の中程にいた。姿勢をかがめて側へ近寄ると戸河さんが上を指さした。視線を向けると壁の上の方にある窓に明かりが見える。
「ここ、陸上部の部室なんだけどちょっと覗いてみて」
小声で戸河さんが言ってきた。ご丁寧に折り畳みの踏み台も用意してある。
いつもなら飛びつくように覗くのだが冷静な私が待ったをかけた。
屋内と違い外ではどこから見られているか分からない。おまけに部室は更衣室に当てはまるので明確な迷惑防止条例違反。見回りをしているという言い訳も効かない。
『――あっ』
かすかに聞こえた声が全部の懸念を消し去った。
すぐに踏み台に上り、あらかじめ戸河さんが開けてくれていたのであろう窓の隙間から中を覗く。
「――――」
息を飲んだ。ロッカーを背に、二人の女子が密着している。まくりあげられた陸上のユニフォーム。ひとりがその胸に顔をうずめ、水音が部室に響くたびにもうひとりが切なそうな声をあげる。
彼女たちのそれも美しいとは感じたのだが、さすがに刺激が強すぎた。そういうシーンが見たいと口では言っていても、覚悟が出来ていたわけではない。簡単に言うと『これを見てたら興奮しすぎておかしなことになる』と思ったのだ。
いったんやめよう、と踏み台から降りたとき、石だか木の根だかを踏んでバランスを崩した。
「わ――」
がさがさと大きな音をたてて地面に倒れてしまう。部室の中の声が止まった。まずい。覗いていたのがバレた?
焦った顔をした戸河さんが私を起こすために手を差し出してくれた。でも今から逃げても後ろ姿は見られてしまうだろう。覗かれていたことを知った彼女たちが嫌な思いをするのだけはなんとか回避したい。
(そうだ――)
閃きが舞い降りた。こんな人気の無い場所にいる理由を作ればいい。
「ごめん、戸河さん」
私は戸河さんの手を掴み起き上がると、そのまま抱き締めるようにして壁に押し付けた。
「っ!?」
「ちょっとだけ我慢してね」
囁き、戸河さんの首筋に唇をくっつける。頭上で窓がスライドする音が聞こえた。だがこの薄暗さでは上から私達の顔を判別することは出来ないだろう。
(よし、これで……)
付けた唇を少しずらし、そこから息を吸うようにしてわざとキスの音をたてる。部室の中にも聞こえるように大きく。舌打ちする要領で唇を離す音も再現しながら。
(あとはもうちょっとそれっぽい声を出してもらって……)
戸河さんの脇腹を指でつつく。
「ひぅっ!」
少し思惑と違ったが、まぁ大丈夫だろう。
しばらくキスの真似を続け、頃合いを見はからって窓を窺うとすでに閉められていた。明かりはまだついている。
戸河さんから体を離し、唾液で濡れてしまった首をハンカチでぬぐいながら声をかける。
「ごめんね。もう行きましょうか」
「…………」
自分の背中やお尻についた土を払い落とし、部室の裏から抜け出した。職員室に戻る前にお手洗いで汚れや葉っぱがついてないかチェックしないと。
校舎に入るところで戸河さんとお別れをする。
「遅くなってるから気を付けて帰ってね。さようなら」
「……うん」
戸河さんの様子のおかしさには気付かないふりをしておいた。
いきなり先生に抱き着かれてキスをされる。常識で考えたら怖いことこのうえない。
キスをした理由は向こうも分かっているはずだ。あの場を穏便にやりすごすため。
夜になって謝罪のラインを送ったし、戸河さんも全然気にしてないと返事はくれたもののやっぱり心配だ。
それはさておき。
(……戸河さんの体、柔らかかったなぁ)
あのときはいっぱいいっぱいだったが、あらためて思い返すと抱き締めた感触が蘇ってくる。
(初めてキスしちゃった……)
自分の恋愛よりも他人の恋愛(百合)の方が大事だった。寂しいと思ったことは一度もない。この世界に百合さえあるなら私は満足だ。
なのに唇に触れた戸河さんの肌のぬくもりを思い出して喜んでいる私がいた。
もしもあのとき私がやめなければ、もっと長くキスをしていられたのだろうか。
(――いやいや、生徒に手を出すのは本当に洒落にならないから!)
懲戒免職なんてされたら死んでしまう。社会的にも精神的にも。
(私が何のために女子校に来たと思ってるんだ! 百合のためだ! 女の子たちがいちゃつく姿を見守るためだ! 余計なことに気を取られるな!)
イエス百合女子、ノータッチ。それこそが私の定めたルール。
(……少し戸河さんとは距離を置いておこう)
きっと向こうも私と顔を合わせづらいはず。
翌日の放課後、しばらく忙しくなるから一緒に見回りにいけない旨を戸河さんに連絡した。
返事は『りょーかい』だけ。特におかしなやりとりではないが、昼の授業で会ったときに目も合わせてくれなかったのが気になるところ。
(気持ち悪いとか思われてたらへこむなぁ)
なんて悩んでいた次の日の放課後、いきなり戸河さんから連絡がきた。
『家庭科室に来て』
もしかしてまた中で誰かがいちゃいちゃしているのだろうか。戸河さんと距離を置くって決めたのに……でも見に行きたい……。
理性と欲望が戦った結果、行くことを決めた。せっかく誘ってくれたんだ。好意を無下にするのは申し訳ないし、それに戸河さんの中ではとっくにキスのことは解決してる可能性もある。
(少し覗いたらすぐ戻ってこよう)
自分に言い聞かしてから職員室を出た。
(あれ? いない)
家庭科室のドアの前に着いたが戸河さんの姿はない。
(ドア開いてる)
中途半端にドアが開いていたので中を窺うと、戸河さんが佇んでいた。
「……戸河さん?」
そっと部屋に入って呼びかけると戸河さんが私の方を向いた。
「先生……こっち来て大丈夫だった?」
「う、うん、少しくらいなら。ここには戸河さんだけ?」
「そうだよ。ここにはあたしだけ」
戸河さんの雰囲気がいつもと違う。表情や声色がどこか固い。
「カギ閉めて」
言われた通りに閉める。なんだろう。何故だか心臓の鼓動が早くなっていく。
「こっちきて、ここ座って」
入り口から離れた、窓に近い席に案内された。正面には準備室に繋がるドアが見える。
外からは相変わらず吹奏楽の演奏が聞こえていた。
「……えっと戸河さん? 何か相談ご――と――」
私が言葉を言い終わる前に、戸河さんに抱き締められた。
(!?)
二日前と変わらない感触と体温。かすかな芳香は柔軟剤か何かだろうか。
「と、戸河さん?」
「……先生、ごめん」
耳元でいきなり謝られて混乱する。
「??」
「この前陸上部の部室覗いてたの、バレちゃった」
「――え」
予想もしてなかった言葉に脳が揺さぶられた。
「実はあのとき部室にいたのってあたしのクラスメイトでさ、普通にあたしの趣味も知ってるんだよね。だからすぐにあたしだって気付いたみたいで、しかもスーツで相手が郁美先生だってことも当てられちゃって」
「ど、ど、どうするの!?」
「どうするっていうか、『私達にもちゃんと覗かせろ!』って」
「はい?」
嫌な予感がして視線を前方に向ける。準備室への扉がわずかに開いていた。そこからこちらを覗く複数の目と私の目が合う。
「――――」
「先生も協力してくれるよね?」
「で、でも、私達本当に付き合ってるわけじゃ」
「その辺も説明したんだけどさ、『そんな言い訳通用するか!』って信じてくれなかったんだよ」
「そんな」
「けどまぁ、あのときと同じ状況だと思えば――」
戸河さんが私の首の根元にキスをした。ぬるりとした生温かい感触。吸い付く音が首筋を伝って鼓膜に響いてくる。
「――このくらい全然大丈夫だよね?」
吐息まじりの艶っぽい声。まったくもって全然大丈夫じゃない。
「ふ、フリでいいから。本当にキスせずにフリだけで」
「先生はあんなにいっぱいキスしたくせにあたしだけフリって不公平すぎ」
「いっぱいキスしてないよ!?」
「してた。おっきい音たてていっぱい」
(戸河さんもしかして、あのキスが本気のキスだと思ってる!?)
再び戸河さんが私の首元に顔をうずめた。先程よりも激しいキスが私を襲う。力が入り過ぎているのか吸い付き引っ張られた皮膚がたびたび歯に当たった。
「ま、待って戸河さ――あんまり強く吸ったら、多分跡が残っちゃう、から――」
キスマークをつけて職員室に戻った日にはどうなることやら。
戸河さんが水音を大きくたてながら唇を離した。荒くなった呼吸を繰り返し、私の正面に顔を持ってくる。熱に潤んだ瞳がまっすぐに私を見つめた。
「……じゃあ、跡が残らない場所にキスして、いい?」
それがどこかは聞かなくても分かる。私は言葉なく、首を震わせるように横に振った。
「あたしとキスするのイヤ?」
「イヤとかじゃなくて、私は先生だし……」
「普通の先生は生徒がいちゃついてるとこを覗かないよ」
「ゆ、百合を見守るのはいいの!」
「じゃあさ、これだって百合を見守るために必要なことじゃない?」
「必要な、こと?」
じっと間近で見つめられて私の体温が上がってきた。
「あたしたちがいちゃつくのを見せることで、またあの子たちがいちゃついてるとこを見られるんだよ? だったらキスをすることくらい安いと思わない?」
「そう、かな?」
「むしろ覗きが本人たち公認になれば好きなだけ覗けるし、バレる心配もなくなって良いことづくめ」
「…………」
「これも全部、百合のため」
「百合の、ため……」
自分たちの欲求でキスをするのではなく、他の子たちの百合を見守り、百合を楽しむためにキスをする。それはつまり、百合のために生きている私にとって何も問題がないことを意味している。
「…………」
視線を交わし、そのまま止まることなく私達は唇を重ねた。
反省しています。他の子たちの百合のためだと言い訳をして、生徒である女の子に手を出してしまったことを。
良いことは確かにあった。キスがすごく気持ち良いことがわかった――じゃなくて、私にフレンドリーに接する生徒が増えたのと、一部の生徒が放課後に閉まっている空き教室のカギを私にお願いするようになったことだ。そのお陰で私の百合ライフはますます充実している。
(このままいくと『この先生にお願いすればいちゃつく場所確保できるよ』っていうのが代々伝わっていったりして……)
ただし覗かれてもいい人に限る。
(おっと――)
スマホの通知が届いたのを確認して、姿見の鏡に体を向けた。
(服装オッケー、メイクもオッケー)
新しく買ったリップグロスが唇を艶やかなピンク色に仕上げている。
(ちょっと目立ちすぎかなぁ。いやでも、このくらい外に行けば普通に見るし……べ、別に意識してるわけじゃないんだけど一応ね! 一応!)
これもすべて百合のためだ。私が百合のために尽力するのは当然のこと。
インターホンが鳴った。
「あ、はーい」
急いで玄関に向かい、ドアを開ける。そこにはおめかしをした女の子がいた。
笑顔で中に迎え入れる。
「いらっしゃい戸河さん」
「お、おじゃまします」
彼女の唇も、リップグロスを塗ったように艶のあるピンク色をしていた。
どうやら考えていたことは同じらしい。自然と頬が緩んでくる。
「ずいぶん気合い入ってるじゃない」
玄関で靴を脱ぐ戸河さんの唇を指さすと、照れたように唇を尖らせて顎をしゃくった。
「そっちこそ」
「これは百合のためだから」
「あたしもだよ」
見つめ合い、引き寄せられるように唇を重ねる。くっつけるだけの軽いキス。
あの日から『百合のため』という言葉が出るたびにキスをするようになった。私はだいぶ慣れてきたのだが、戸河さんはまだ恥ずかしさがあるのかキスをし終わった後は少しツンツンしている。
「……来て早々化粧直しが必要になるかと思った」
「戸河さんががっついてこなければ大丈夫よ」
「はぁ? 先生だってたいがいだし! っていうか、今日は今後の学校での方針を決めるために来たんだからね!」
「そうだね。『百合のため』に、ね?」
部屋に入った戸河さんを壁に追いやる。
「え、あ、そう、なんだけど――先生?」
「百合のため百合のため」
「早いって! さっきしてから三十秒くらいしか経ってないよね!?」
「せっかく戸河さんもその気で来てくれたのに、我慢なんて出来るわけないじゃない」
「ほらみろ! やっぱり先生の方ががっついて――んん!!」
うるさくなってきたので唇でふさぐ。色々言ってはいるが、嫌だとは一言も言っていないところに気持ちが表れていると思う。
百合のためとは――他ならぬ“私達の”百合のためなのだから。
すっかりおとなしくなってキスに応じている戸河さんに舌を差し入れながら、後で化粧直しするときにまた怒られるんだろうなぁ、と思った。
終
大変お待たせいたしました。
先生と生徒の話は『不良少女は~』以来だったり。歳の差も全然アリなんですが。
歳の差攻め受け議論ですが、個人的には『状況に応じて優位を変えながらいちゃつく』が好きです。