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朱血姫  作者: ガチ無知
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授業

健太は初級クラスの特に小さい子供達に、マニラで買ってきた積み木などの玩具や絵本を配る。ページをめくったり、遊んで見せると、すぐに子供たちは遊びに夢中になった。健太は子供たちの様子を目を細めて見守ると、なんとなく振り向いた。満面の笑みを湛えたノラが健太を見上げていた。幼い弟を残し母親が亡くなってしまったため、フィリピン政府が設置した教会の英語教室に通えていなかったノラであった。朱たちが開設した、村の集会所を利用した学校。幼い弟と共にに参加できることが、ノラには嬉しくて仕方がないのだ。マニラで買ったタガログ語の辞書に、既に朱と健太は帰りの航海中に目を通している。イトバヤットの言葉とタガログ語には違いがあるが、大体通じる。健太はノラに向かってタガログ語で話しかけた。


「のら、あるふぁべっとのれんしゅうはじめる。このほんをみて、おなじようにこのかみにかいて。」


健太はアルファベットを一つずつ読み上げながら半紙に書き示した。書き終えると教本と半紙、ノラの分の筆記具が収められた筆箱を渡した。ノラの顔に一層の笑顔が広がる。自給自足でのんびりと暮らしてきた島。通貨や物資がほとんど流通していないイトバヤット島の子供達は、ほとんど私物を持たずに育つ。だから年長者と言えども、筆箱を所持した事がとても嬉しいのだ。ノラは筆箱から一本鉛筆を取り出すと、それを誇らしげに掲げ目を細めて見上げた。そして、健太がしたように一文字一文字を拙い発音で読み上げながら、半紙に記していく。ノラはとても集中していた。読むことが、書くことが嬉しくてしかたがないのだった。


開校して五日目の朝。その日は日曜日で、学校は休みであった。が、集会所の入り口が何やら騒がしい。何事かと健太が様子を見に外に出ようとすると、ずらりと並んだ子供達の笑顔が健太を見上げていた。はにかんだ笑顔のノラが、


「みんなお腹へってたら困るかなぁって思って食べ物持ってきた。」


と、一房のバナナを差し出して言った。開校以来、初めての行為だ。子供達は楽しい学校が休みなのがたまらず、差し入れという口実とともに押しかけたのだった。ノラのほうが少しだけ健太より目線が低い。かすかに見上げる、はにかみを湛えた輝く瞳が、健太をじっと見ている。健太は負けたよという笑顔とともに、軽くうなずくと子供らに入室を促す。年少の子供達は歓声と共に雪崩込んだ。ノラは健太とすれ違う時に島の言葉でありがと。と言った。フランクと菊千代は上体を起こして、子供達と戻る健太と目が合った。フランクは苦笑いとともに首を振る。菊千代も嬉しそうだ。朱ときたら既に中級クラスの教材を吟味している。健太はそれを見て、改めて学校を作って良かったと思うのだった。


子供達の集中力はとても高かった。ノラは開校から十日あまりで、簡単な英会話を理解できるようになり、初級クラスのために用意した絵本の読み聞かせが出来るようになってしまった。初級クラスの子供達の中で、人気が集中する絵本がどうしても出てしまう。子供達の奪い合いで起こってしまう諍いを、健太は島の言葉で上手くさばいた。ノラにとって見た目が少し幼く見えた健太の評価が、急激に上がっていった。中級クラスも最初に掲げた課題として、初級クラス用の絵本の続きを面白おかしく作って発表する。そして、朱に笑いの種類について、ダメ出しをされたりしていた。朱は笑いには厳しいらしい。特に朱は、熱を込めたい主張を島の言葉を駆使して訴えるまでに、コミュニケーションを強く成立させていた。中級クラスの子供達は、朱への信頼を日増しに強くしていった。ある意味、上級クラスが一番運営的に難しさを孕んでいた。つい最近まで通貨の流入さえも反対していた村で育った子供達である。あまりにもシンプルな育ち方をしていたと言っても良い。作品の中で、思春期を経た青年と父親との葛藤が描かれていても島の子供達にはさっぱり解らない。様々な概念に対する質問が、菊千代とフランクに殺到する。江戸時代末期の瀬戸内の小島で、青春期を過ごした菊千代は、健太より素朴な考え方の持ち主であった。説明を求めて群がる生徒の質問に、菊千代も判らずキョトンとする場面もよくあった。そのため、上級クラスで一番成長したのは菊千代であったのかもしれない。初級中級上級クラスそれぞれが、それぞれの色で、活況を呈していた。それはひとえに、生徒たちも教師たちも全員が強い情熱と集中をもって、授業に取り組んでいることを示していた。ナチスのホロコーストにより人の道を外れ、そのまま日本まで流れ着いて、あとは死ぬだけという夢も希望もない状態に陥っていたフランクであった。しかし、今は朱達に出会い、旅を始め、フィリピン沖の小島にたどり着き、そこで学校を始めた。仲間である、朱も健太も菊千代も常人には想像もつかないような人生を過ごしてきた。フランクの抱える心の闇も、解消は不可能であろう。ある意味逃避と言われるかもしれないが、この小さな学校で熱中していることが、自分を含めて仲間たちを救っているのだなぁと、全体を見回しながらフランクはしみじみと思うのだった。




マニラ港に停泊したアメリカ駐留軍の小型高速艇。長い年月により染み付いたしつこい重油の匂いが充満した機関室。機関室とは名ばかりの狭いスペースには照明もない。点火したジッポオイルを鉄製の棚に置いてランプ代わりにして、男が二人顔を突き合わせて話している。MPにも仲間にも聴かせられないヤバい話だからこそ、そんな不自由な場所を使って、話をしているのであった。


「で?どんな状況だ?」

「あぁ。事態はかなりヤバい。MPはかなり正確に俺らのことを掴んでいるらしい。少しばかり証拠集めをしたら、逮捕という段階と考えていいだろう。」

「まじかよ!ヤバいどころの話じゃねえだろ!どうすんだ!」

「まぁ、落ち着けよ。俺だって牢獄ぐらしはゴメンだ。しかし考えてみろよ。フィリピンは七千以上の島で作られた国だ。イザとなったら、この船かっぱらって逃げ出すさ。俺たちが稼いだ金を隠す島だって迷うほどあるだろ?それより通信課の姉ちゃんに毎月小遣いを渡しておいてよかったぜ。とりあえずパクられる前に逃げ出すことが出来るもんな。明るくなったら、急いで食料の調達だ。」


この男二人は、アメリカ駐留軍の高速哨戒艇の船長ザッカーと、機関士ドルンであった。最初は小遣い稼ぎで、マニラ近郊の農村地で知り合った男に、大麻の栽培を持ちかけた。そしてマニラで知り合った娼婦を使って、客としてやってくるアメリカ兵に大麻をさばかせた。金が増えてくると欲も増え、賄賂を使って武器弾薬を横流しさせた。そうして得た武器はマニラのマフィアに売りさばき、金にした。資金に余裕ができてくると、保身の情報収集のため、軍の通信課の女性に金を渡しスパイさせたり、マニラのチンピラを抱き込んで、チンピラ名義の隠し倉庫を手に入れて商売の手を広げた。また、同じ哨戒艇の船員に大麻を分けて仲間に引き込んだ。ところが武器の横流しの内偵捜査から浮かび上がったザッカー達は捜査されていたのだった。

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