混沌の港町
無事に資金を手に入れた一行は、とりあえず食堂で一休みすることにした。粗末な板を張った床は隙間だらけで狭い店だ。テーブル席は道路まで侵食していて、歩行者はそれを避けて歩く。その歩行者が邪魔で車も単車も立ち往生して、クラクションを親の仇のように鳴らしまくる。朱たちは庇で日陰になっている席に、なんとか座ることが出来た。南国特有の湿気、強い日差しがコンクリートの道路に弾かれた照り返し、早いものがちと道路を専有した屋台の売り込みの叫び声、日陰とは言え、出鱈目な活気と混沌が一行を襲う。さすがの朱も、席についてふぅと息を吐く。いつの間にか、朱の横にはでっぷりと太った女が、貫禄たっぷりに腕を組み仁王立ちしていた。
「さあさあ!どうするんだい!腹減ってるのかい?あんたら日本人だろ?あたしもそうさ!日本軍が占領していた時に、一山当てようと来てみたら、現地の兄ちゃんに一目惚れしちまって残留したはぐれ芸者のお吉さんたぁあたしの事さね!ほら、そこで調理している煮干しのようなんが、あたしの旦那だ。あははっは。あたしゃ煮干しで人生狂っちまった。で?注文は何にする?英語読めるんだろ?ほらほら、早くしてくれなー!」
「この、ハロハロというのはどういうものだ?」
「あぁ、そいつぁね、唐行きさんがこの島に来た時に、あんみつ恋しくて作ったのが始まりというフィリピンご自慢の甘味なんさー。タガログ語で混ぜるが、ハロ。ごっちゃまぜと言う意味でハロハロというさー。あんたのようなお嬢ちゃんにはうってつけのもんさー。あんたとあんたとあんたはあんたはハロハロで良いね!はいー、ご新規さんハロハロ四丁!で、そこのプロレスラーみたいな兄さんと白人のあんたはサンミゲルで良いね。はーい、サンミゲル二丁!」
さすがの朱もあっけにとられ固まるしかなかった。ハロハロの事を尋ねただけで、あっという間に全員分の注文が決まって、ドスドスと足音だけを残し、名物女将?は去っていった。やがてフィリピン特産のサンミゲルとハロハロが運ばれてくる。うちのハロハロには、わざわざ挽かせた米の粉で作った白玉入ってるんだからね!と自慢げに目の前に置かれたハロハロに、朱と健太と菊千代とクラウディアの前に置かれた。有無を言わさず押し売るだけの事はある。クラウディアは満面の笑みでかき氷と白玉の食感を楽しんだ。冷たい食べ物に慣れていない菊千代は、氷を口に入れてヒェ!と小さい叫びを上げる。が、満更でもない笑顔でハロハロをかきこみ始める。ハロハロを必要としない朱と健太の分は、馬頭とフランクの前に回された。体格に似合わず、馬頭は酒より甘いものに目がないらしい。目の前のサンミゲルをフランクのハロハロと強引に交換する。苦笑いをして瓶に口をつけたフランクの表情が変わる。サンミゲルの旨さに、フランクは軽い唸り声をあげた。
「ドイツを離れてから、久しぶりに旨いビールを飲みました。いい思い出なんて無いと思っていたドイツでも、ビールとザワークラウトと、ソーセージには罪は有りません。」
一本のサンミゲルを、日差しに眉をひそめながらのけぞるようにラッパ飲みをしたフランクが、笑みを浮かべてそう言った。
「あぁ!こりゃ~、あれだ!パッピンスだ!あぁ。懐かしいなぁ。こんな南の島に来て、国の甘いものが食べられるなんて!」
朝鮮半島で親しまれていた甘味のパッピンスにハロハロが、偶然にも似ていたということで、馬頭も目頭を潤ませている。
「で、話し合ったときには五千ドルあれば足りる。と言う話だったよの?カルディン。我々の家を建てるのに、建材は必要かの?」
「あぁ、そうですね。おそらくセメントとセメントブロックは買う必要がありますけど・・・」
「そうか、では、とりあえずで八千ドルあれば足りるかの。馬頭はこれでなにかクラウディアに買ってやるといい。二人の生活に必要なものもあれば買えば良いだろ。カルディンも村に必要なものがあれば、これで買えばいい。」
朱はそう言うと、馬頭に千ドル。カルディンに二千ドルを手渡した。朱とカルディン。健太に菊千代。馬頭とクラウディア。の三組に分かれることにした。
「カルディン、ここら辺の店は何時頃店を閉める?」
「そうですね。日が暮れたら終わりです。」
「そうか。では、夕方に鬼神丸に集合だ。重い荷物は手付けを打って店に預けて、あとでわしと健太と馬頭が運べばいい。急ぐ旅じゃない。今日で間に合わなければ、鬼神まるで一日過ごしても良い。まぁ三組とも荒事が起きてもなんとかなる面子だが、無理はするな。まずいと思ったら叫べ。わしと健太はこれくらいの小さい町なら、どこに居ても聞き取れる。」
仲間と別れた朱とカルディンは、まずは教材を探すことにした。本屋の場所を聞き向かってみる。絵本や童話、小説の類いを片っ端から、本屋の店員に用意させた箱に入れた。大きな4つの箱を満杯にしたところで、教科書や参考書、問題集の類いはないか聞いてみると、置いてないという。この港町からは少し離れるが、大学と高校が隣接している街があり、そこに文房具売り場も備えた大きな本屋があって、教材の品揃えも豊富だという。帰りに精算するから計算しておいてくれと言い、朱たちは書店を後にする。フィリピン名物のジープニーに乗り本屋の店員に聞いた街へ向かった。ジープニーは米軍から払い下げられたジープの後ろをぶった切り、十二~十四人ほどが乗れる客車を増設した乗り合いバスだ。決められたルートを走る。と言うルールはあるが、ルート上であれば手を振れば止まってくれるし、合図をすればおろしてくれる。二十セントほどで乗れて、マニラ中を張り巡らされたルートを乗り継げばどこにでも行ける。フィリピン人には欠かせない移動手段だ。他にトライシクルという乗り物もある。百㏄前後のオートバイに屋根付きの側車が取り付けられている乗り物だ。これにはルート上しか走れないというルールはなく、行きたいところに連れて行ってくれる。側車は二人乗れて、ライダーの後ろにも乗れる。ただジープニーと比べると割高で、テリトリーを超えてはならないというルールがあるので長距離移動はできない。マニラっ子はこの二つの乗り物を駆使してあらゆるところへ移動するのだ。
大量の文具や、ノート、用紙類に教科書、問題集を買い込んだおかげで、交渉も上手くいき港まで購入物を運んでくれることになった朱とカルディンは、まだ明るいうちに港町に戻って来ることが出来た。健太と四千五百ドルずつ分けた資金はまだ半分ほど残っている。カルディンは島に衣類と薬品類を買って帰りたいという。朱は一人で書店に戻り精算すると四つの箱を担ぎ上げて一度鬼神丸まで戻った。舟に書籍類を置いた後、仲間たち用の衣類と食器など生活品を物色することにした。準備は順調に進んでいる。朱は満更でもない微笑みを浮かべて、騒がしい港町へ戻っていった。




